モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

神に尋ねる

2019-11-15 05:36:52 | 福音について
あなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会う」エレミヤ29:13~

感謝の祈りは「心に溢れる喜び」であり、心にあるままに口にすることができます。
しかし願いは「不足の訴え」であるので、よく思いはかり、慎重であるべきです。
「あなたはそれを尋ね、探り、よく問いたださなければならない」申命13:14

「祈りの応えが分からない」と悩む人は、主に尋ねることを恐れる傾向があります。
祈り尋ねないなら、祈りの応えに対する信仰は弱まります。
神の怒りが向かうのは「受け入れる心がなく、尋ね求めようともしない者」です。

真心から神に祈り尋ねることは罪に成り得るでしょうか。
「心の鈍いわたしに分かるように応えてください」と願うことは高慢でしょうか。
「主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられたことがない」詩篇9:10

「すべてあなたを尋ね求める者は、あなたによって喜び楽しむ」詩篇70:4




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祈りの応え

2019-11-14 05:45:43 | 福音について
「知恵に不足している者があれば…神に願い求めるがよい、そうすれば与えられる」ヤコブ1:5

質問に対する応えが理解も納得もできなければ、それは答えと言えるものでしょうか。
「『モロナイの約束』を試したけれど、応えが分からない」という話を聞くことがあります。
神は本当に祈りに応えるのでしょうか。

「どんな時でも御霊によって祈り…なさい」エペソ6:18
「祈って御霊を受ける」のではなく、「御霊を受けて祈る」のです。
「御霊を受けての祈り」は主の御心にかなう祈りであり、それは必ず応えられます。

御霊は何をするように勧めているでしょうか、何を避けるように勧めているでしょうか。
「聖霊の賜物」はそれを見分けるために与えられました。
御霊に従わないでいながら、祈るときに御霊に期待することができるでしょうか。

「わたし…はどう祈ったらよいか分からないが、御霊自ら…執り成しをしてくださる」ローマ8:26
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批判

2019-11-13 08:32:24 | 今日の一言
批判する者は
批判されることを
恐れている
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福音の喜び

2019-11-13 08:30:02 | 福音について
「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい…感謝しなさい」1テサロニケ5:16~

感謝の祈りは「お礼」でしょうか、「喜び」でしょうか。
「お礼」は知識から出るものであり、「喜び」は心から出ます。
「心から溢れて出る感謝」が福音の喜びです。

感謝が口から出るときに、心に目を向ければ、そこには福音の喜びがあるはずです。
もしも喜びを見つけることができないとしたら、それは福音と呼べるものでしょうか。
福音とは「喜びのおとずれ」だからです。

「キリストの栄光が現れる際に、喜びに溢れるためである」1ペテロ4:13
主を信じる者にとって「キリストの栄光」は喜びであるはずです。
聖徒は喜びによって主に従います。

「聖徒を栄光によって喜ばせ…喜び歌わせよ」詩篇149:5
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価値観

2019-11-10 06:33:06 | 今日の一言
人は自分にとって最も価値のあるもので損得勘定をする



それはお金や財産であったり、地位や名誉であったり、愛や平安であったり、
家族の喜び、或いは自分の喜びであったりもします。

他人の考えや言動を理解できない原因は、価値観の違いにあるようです。
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