モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

親子

2019-11-21 06:00:05 | 福音について
「子たるものよ、主にあって両親に従いなさい、これは正しいことである」エペソ6:1

「ある人が…自分の家族を顧みない場合には、その信仰を捨てたことになる」1テモテ5:8
主は神と人との関係を理解できるように家族関係を定めました。
人は親の立場、子の立場を経験することによって神の御心を知ることができます。

子どもに対する真の愛があるなら、親は子どものためにあらゆる犠牲を払うことができます。
それを理解できるなら、天父がイエス・キリストを救い主として遣わした理由、
主が自分の命を犠牲にしてまで救いの業を成し遂げた理由も知ることができます。

親に対する愛のある子どもは親に従う努力をし、
親を理解し知るために努め、親のようになることを目指します。
親を愛する子どもは親に頼り、相談し、その言葉を聞きます。

神を愛する者は親を愛し、子を愛する者は神の愛を知ることができます。
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小さな悔い改め

2019-11-19 06:12:43 | 福音について
「小さなことから大いなることが生じる」教義と聖約64:33

大きな悔い改めとは「改宗」であり、小さな悔い改めとは「成長」です。
楽しい会話の後に「こう表現すればもっと良かった」と振り返ったことはないでしょうか。
そして次の機会にその時感じたことを試してみます。

小さな悔い改めとはそのようなものです。
その時に感じるのは「後悔」と呼べるほどのものではないかも知れませんが、
「もっと良い方法を見つけて改善しようとしようとしている」ことは確かです。

子どもはこのような「改善」を繰り返すことによって成長します。
それが「主イエス・キリストに立ち返る=改宗」に繋がるものであれば、
福音でいうところの「悔い改め」と呼ぶにふさわしいものです。

福音を学ぶとは「より善いもの、改善すべき点」を見つける作業です。
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喜びと理由

2019-11-17 07:21:31 | 今日の一言
心に喜びを感じて
その理由を探すのは幸せなときである

感謝すべき理由を見つけてから喜ぶのは
時折、喜びを強いているように感じられる



純粋な喜びとは、先ず喜びがあって、その理由は後付けです。
喜ぶべき理由が先に来て、喜びが後付けであれば、
「喜ぼうとして頑張っている」といったところでしょうか。

幼い子どもの喜びは前者であり、
彼らにとって後者は理解できないかも知れません。
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悔い改め

2019-11-17 07:18:12 | 福音について
「わたしが来たのは…罪人を招いて悔い改めさせるためである」ルカ5:32

福音に出会って、それまでの生活を改め、主イエス・キリストに従うことを決意しました。
このことを「改宗」と言い、それは「人生におけるもっとも大きな悔い改め」です。
悔い改めとは改宗を目的としたものであり、それは生涯続きます。

悔い改めは常に自分の罪を認めることから始まるため、落胆が伴うことが多く、
うんざりしながらも、その一つひとつを認め、受け入れ、向き合わなければなりません。
それだからこそ「贖いの喜び」を知ることは重要です。

悔い改めが喜びに至るものでなければ、それは福音と呼べるものでしょうか。
改宗の喜びは悔い改めに伴う苦難を上回るものでしょうか。
自ら進んで悔い改める人はその喜びを知っており、悔い改めを避ける人はその喜びを知りません。

「悔い改める者は正義をもって贖われる」イザヤ1:27
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聖書

2019-11-16 07:59:09 | 福音について
「あなたがたは…この…書物の言葉について…主に尋ねなさい」列王下22:13

「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもの…である」2テモテ3:16
英語で書かれたものを理解するには、英語と英語圏の文化や考え方をも知る必要があります。
同様に霊感によって書き記されたものを正しく理解するには霊感を受けなければなりません。

「主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは願わしい」民数11:29
「主の言葉を伝えても理解できない民」に苦労していたモーセは、
主の御心を理解するためには霊感を受けなければならないことを知っていました。

学問として聖書を学ぶのも良いことでしょうが、聖書の目的を知っておくことは重要です。
聖書の知識を得ても幸せになることはできません。
聖書の教えに従うなら幸せになることができます。

「聖書に永遠の命があると思って…いるが…聖書はわたしについて証するものである」ヨハネ5:39
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