モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 3月21日

2024-03-21 06:35:08 | 総大会
「主の贖罪、主の愛、主の憐れみ、主の教義…また主の…福音についてさらに学んでください。主に頼り、主に従…い…主を選んでください。」
(英雄以上の存在 ワデルビショップ)

人は良心に従うことを選ぶなら、穏やかに、思いやりと赦しの心をもって人に接することでしょう。
良心を選ぶなら御霊に従うことを選んでいます。
御霊に従うならキリストに従うことを選んでいると思います。

御霊は主の教義とその福音について学ぶように導きます。
その教えを知らなければ選ぶことはできないからです。
御霊はそれらが真実であることを証します。
その証を受け入れ、主の愛と贖罪の業を知るなら、主に頼らないではいられないでしょう。

わたしはそう感じています。
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総大会 3月20日

2024-03-20 06:11:00 | 総大会
「イエス・キリストは天の御父の計画で定められた行く末に向かうこの世の旅において、欠かせないことをすべて行ってくださいました。
(英雄以上の存在 ワデルビショップ)

主の用意されたもの
・地球と太陽、月、星…
・海と陸、植物、動物、人、空気…
・社会と国、文化、科学技術…
・試練と平安、感情、良心、自由意思…
・光と闇、救いの業、そのための手段…

こんな話を聞いたことがあります。
「主はわたしたちに必要なすべてのものを用意してくださいました。
あとはわたしたちが選ぶだけです。
選ぶための導きも与えられています。
心を開いて、その導きに従うだけでいいのです。
『求めるなら与えられる』
そのために物質的にも霊的にも、必要なすべてのものが備えられています。」
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総大会 3月19日

2024-03-19 06:13:59 | 総大会
大会 3月19日「この道を歩めば、憂いや悲しみ、やるせなさから解放されるわけではありません」
(放蕩の果てに-家へと続く道 ウークトドルフ長老)

宣教師から言われました。
「バプテスマを受けて教会に入りませんか?」
 「ぇ、もういいの?」
わたしのような人間がそんな簡単に神の教会に入れるとは思っていませんでした。
「教会に入ることを認めてもらえるまでに3~4年はかかるんだろうな」なんて勝手に思い込んでいました。

教会に入ったからといって急に変われるわけもありません。
予想通り、いえ、予想していた以上に大変でした。
教会に入ったことを何度も後悔しました。

それでも次第にその後悔は‟福音に出会う前の人生を悔やむ気持ち”に代わって行きました。
たぶん、目指すものが見えてきたせいだと思います。

未だに、憂いや悲しみ、やるせなさを感じるときがあります。
ただ、目指すものが見えなかったときから比べれば…
楽とは言いません、平気とも言いません、どう表現すればいいのでしょうか。
「前に進もうとする力が助けてくれる」
そんな気がします。
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総大会 3月18日

2024-03-18 06:10:13 | 総大会
「戻ってくることが簡単なことだとは思っていません…実際、これ以上ないほど厳しい選択かもしれません」
(放蕩の果てに-家へと続く道 ウークトドルフ長老)

何度も福音を選んだことを後悔しました。
「福音を知らなければ、こんなに苦しまなくて済んだのに」
福音を受け入れず、主を知らないまま、気楽に生きている人たちを見て、自分の選択を恨んだものです。

「でも、わたしは証します。あなたが救い主、贖い主の…道を歩もうと決意した瞬間に、主の力があなたの人生に流れ込み、あなたの人生を変えることでしょう。」

それでも福音から離れることがっできなかったのは、その力を感じていたのでしょうね。
その時には全く認識できないでいました。
今になって思い返してみると、人生に変化が生じたのはその頃であったように思えます。
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総大会 3月17日

2024-03-17 06:40:01 | 総大会
「キリストの贖いの犠牲の無限の光が届かない深みなどあり得ないのです」
(放蕩の果てに-家へと続く道 ウークトドルフ長老)

「どうしてこんなわたしに主の愛を感じられるのだろう」
よくそんなことを考えました。

自問しました。
「わたしは善い人間だろうか?」
とてもそうは思えません。
「主に従っているだろうか?」
見せかけだけは何とか保っています。
でも心の内は高慢なままです。

そのことを知っているので不思議に思えました。
ただひとつだけ、「主に従いたい」その気持ちだけは確かです。

もしかすると‟キリストの光”とはそれなのかもしれません。
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