rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 バカ学生を医者にするな!

2010-10-24 22:48:20 | 書評
書評 バカ学生を医者にするな!―医学部バブルがもたらす3つの危機― 永田宏 著 毎日新聞社刊 2010年

刺激的な題名に思わず手に取ってしまった本ですが、著者が本文の中で白状しているようにこれは手に取ってもらうための題名で、本書の主旨とはやや異なっているようです。書かれている内容が医者の世界についても正しく、偏見や思い込みがないので私はてっきり医学部を出たドクターが書いているものと思っていました。しかし卒業後に勤務したオリンパス工学やKDDIの医療情報研究室などで広く医師と接した上、現在医療関係の大学で教授をしておられるから医療行政を含めて専門的でしかも事実に即した知識を持っているのだとわかりました。

医師不足(私は絶対数の不足でなくリスクの高い医療に従事する勤務医の不足と言ってます)はさすがに国民にも認知されたと思われますが、その解決策として政府から出された答えが医学部の定員増で、07年に7,625人であった医学部の定員が現在1,200人増えて8,846人になりました。また来年度も87人増えて8,900人を超えることが決まっています。以前のブログに書いたように定員100人の医学部が3年間に13校できたのと同じことですが、このことによって起こり得る事態を著者は医学部バブルがもたらす3つの危機として上げています。

1) 医師になる間口が広がったことによる医学部学生の学力低下
ひと足早く8,000人から13,000人に定員増加になった薬学部は定員割れと同時に薬学部学生の学力低下が目立ち始め、薬量の単純な計算もおぼつかない学生が出始めているという。医学部も地域枠や推薦入学枠が増加することで水準に達しない医学生が増加する可能性がある。また国家試験浪人を増やすことができないから医師国家試験のレベルも今後落ちる可能性がある。これは本書の題名にも関連した事象です。

2) 今後医師が増え続けることによる医師の世代間偏在
18歳の人口あたりの医学部定員は1970年代の医学部新設時代前(各県1医大政策前)の団塊の世代では人口1,000人に1.6人程度、1991年でも3.7人であったのに2010年には少子化の影響と定員増で7.3人まで間口が広がった。今までは地域と診療科の偏在が問題であったけれども今後は世代間の医師の偏在が起こってくる。
但し、団塊の世代を中心に今後高齢者が増加するので、世代別人口あたりの医療機関受療率から計算すると医師が今後増えても医師一人当たりの仕事量は減らない、ということです。ではそのもっと後はどうなるのか、著者の興味深い論述があったので引用します。

(引用開始p117)
 見方を変えればこういうことだ。いまから医学部を目指す高校生や、すでに医学部に入って勉強している若者たちは、主に団塊世代の医療を支えるために国によって招集されているようなものだ。あるいはもっと露骨な表現を使えば、団塊世代の最期を看取るための要員ということだ。したがって対象となる団塊世代の大半が鬼籍に入った暁には、多くの医師がお役ご免となる。その時期はおそらく2040年前後になるはずである。2040年までに団塊世代の多くが90歳を超えている。日本人の平均寿命は男が79歳、女が86歳だ。
 一方、2010年に18歳を迎えたひとは、2040年には48歳になっている。人生まだまだこれからという年齢を迎えて、多くの医師が失業の危機に立たされることになる。患者がへってしまってはやむを得ないことだが、それにしても50歳を前にして生活の基盤が脅かされるのである。しかも医師というきわめて専門性の高い職業に就いていることが、かえって再就職の壁を高くしてしまう。(中略)国家によって招集され、必死になって勉強し、働き、気付いたらお役ご免で捨てられる。そういうことがいまからすでにチラチラと見えてしまっているのだから、ある意味、可愛そうでもある。逆に医学部受験に失敗して別の学部・学科に進んだ学生は、案外それが正解だったかもしれない。「人間万事塞翁が馬」というが少なくとも医学部受験に関しては当たっているように思う。
(引用終わり)

これは医学部受験生必読の内容かも知れません。リスクを恐れて医師自身の生活の質(QOL)の良い予防医学を中心としたような科を選択する若い医師達は今後泣きを見る事でしょう。治療をする上でリスクがあり、技術習得も大変で成り手が少ない外科系や救急を今選ぶ医師達こそ将来が約束されていると言えるでしょう(今苦しい状態のロートルの我々は報われないまま引退するのでしょうが)。

3) 誰が増え続ける医療費を払うのか
少子化で生産年齢が少なくなる上に理系の学生の上澄みを全て医学部に吸い取られたのでは技術立国を標榜する日本の産業の未来は暗く、増え続ける医療費を国民が払うことは不可能になる可能性がある。2009年の18歳人口121万人のうち、理系の大学に進んだのは18万3,000人だそうです。このうち医学部合格に必要な偏差値65(上位7%)以上は13,000人で8,000人が医学部に進学すると5,000人しか医学部以外の理工生物系に進む秀才がいなくなってしまいます。これは学力の偏在とも言えます。特に医学部は数学と英語の得意な人が入りやすい入試になっているので本当に理系に必要な能力のある人が医学部に吸収されてしまう、と著者は危ぶんでいます。民主党のマニフェストでは医療や介護で新たな産業を構築して雇用を増やすと謳われていますが、医療や介護が保険でまかなわれている限り保険料以上の産業にはなりえないというのが著者の主張です。

これだけでは将来の医師、日本の医療、日本自体の暗い未来を描いただけの書になってしまうのですが、著者は後半の章を割いて将来の医師と医療産業に日本の未来を託すための提言をしています。曰く、重厚長大なエネルギー効率の悪い産業で儲けるのではなく、医療材料のような軽くても価値の高い製品で将来の日本は立国すべし。医師は地頭が良く、勉強熱心で勝負魂もあるのだから商才を発揮してベンチャーを立ち上げるべし、そのためには医学部の6年間か卒業後のどこかで外国に医学留学でなく医療産業やそのほか将来の日本の国益になるもののために1年でも2年でも留学し、その費用は国が持ってはどうか(一人年間300万として年間240億円、医学部学生に年間かかる国の費用と変らない)。幕末に新生日本のために多くの人材を輩出した適塾のように、日本の理系秀才を全て吸い上げる医学部は日本のエリート教育最後の砦として医師になるための教育だけでなく将来の日本を背負って立つ人材を排出する機関になるべきである、というのが著者の本当に言いたかった結論のようです。

これは面白い意見だと思います。医師である私からみても「この人は医者にしておくのは惜しい(いろんな意味で)」という医師は沢山います。目の前の仕事に追われて副業どころか本業の研究でさえ十分にできないという現在の状態ですが、もっと時間的に余裕のある状態になれば有り余る才能を発揮できる医師達は沢山いることは間違いないでしょう。日本国のためにその才能を使わない手はないだろう、と私も思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする