rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

政治には金と手間がかかる

2008-11-26 23:48:39 | 政治
民主主義の政体においては、国民は等しく参政権があり、選挙権、被選挙権を行使して理想の社会を築いてゆくということを学校で習います。しかし民主政治においても独裁政治においても政治には金と手間(人手)がかかり、それを出さない人の希望は殆ど通らないということは学校では教えません。選挙によって候補者の中から最も自分の理想に近しい政治家を選ぶというのは実は最も消極的な最低限の政治参加であって、投票をするだけの国民は実際には政治に参加などしていないのだと教えた方が現実に近いでしょう。

欧米は日本よりも民主主義の歴史も長く、国民の政治参加の意識も強い感じで大統領選挙においてもボランティアの選挙協力や資金協力を積極的にしています。しかし現実には候補者が出てくる段階で強力な資金援助を持っている(要は黒幕に既に選ばれている人)が有力候補であって、それ以外の候補者が勝つことはまずありません。

日本においては選挙にさえ天気が悪ければ行かない(良くても行楽に行くので投票率が下る)有り様で、一般のサラリーマンが会社の組織的命令以外で自分の理想とする政治家のために身銭を切ったり余暇をつぶしてボランティアをするようなことは殆どないでしょう。共産党の党員は数が少ないものの皆が共通の認識を持っているので身銭を切って余暇を潰して政治活動に打ち込んでいるようで、皮肉にも一番民主政体を実現している人達と言えるかも知れません。

民衆の金と手間を最もうまく政治に利用したのは公明党で、宗教という魔術を用いて本人達を無意識のうちに政治参加させています。公明党が創価学会と全く縁を切った場合現在の勢力は維持できないことは誰も異論がないでしょうし、創価学会の人達は純粋に政治的モチベーションで活動をしているのではないことも明らかです。宗教と政治が密着していることの善し悪しは別として、政治的理想を実現するには金と手間が必要であるということの明らかな例であることは間違いなく、もし一般の国民が自分達の理想を政治的に実現したいと望むならば、創価学会の人達が公明党のために活動している位熱心に身銭と暇を費やして政治活動をする必要があるでしょう。

私は10年位前ですが、新興住宅地内に新築した家のそばの交差点に信号がなくて毎週のように事故がおこり、家の前の道路も路肩が狭く危険だったために「今に自分の子供達が犠牲になる」という危機感を持って市や市議会に交通安全対策を掛け合ったことがあります。多忙な中で請願書を作って近所を周り、市長に手紙を書いたり、市議にお願いに行ったりしました。共産党系の市議も相談に乗ってくれたのですが、結局知り合いの自民党の市議にお願いして、少ないながら選挙協力などもし、議会で取り上げてもらった結果、早々に信号設置、路肩整備が実現しました。このとき「政治は手間と金がかかるのだなあ」と実感しました。

現在日本人にとって何ら利益にならない、むしろ将来の日本の国家に禍根を残す怖れのある国籍法の改悪や移民招致などの法案が大した審議もされずに国民の知らないうちに通されようとしています。一部の国会議員が強力に法案通過に力を入れ、反対する議員に圧力をかけていると言います。結局議員達にこのような行動をさせているのは政治に「金と手間」を十分かけている集団であることは間違いありません。日本の国会議員に「金と手間」を出す集団とは土建関係=裏に暴力団=朝鮮系、ある種の宗教=もとは外国の利益団体、経済界=アメリカとの貿易=アメリカの支配層、ODAのキックバック=中国など、であって純粋に日本人による日本人のための政治集団のようなものは(弱小な団体のみであって)殆ど皆無といってよいでしょう。日本の4000万世帯が1万円ずつ身銭を切って4000億の金で真に日本のための政治集団を立ち上げたら自民も民主も吹っ飛ぶ最強の日本人のための政治団体ができるだろうと思います。しかしそれでは既存の政治団体が好きなことをできなくなってしまう。だから今後もサラリーマンには政治に参加させる余裕など与えず、教育でも単に投票にゆくのが民主政治に参加することだと教え続けるでしょう。

インターネットの時代になってやっと私のような平凡な日本人も政治的意見を表明する機会ができて、どうも同じような感想を持っている日本人が沢山いることが分ってきました。日本人を政治から遠ざけていたい連中には片腹痛いことでしょうが、そろそろそのような連中が勝手に日本を操縦することを止めさせる時が来ていると思います。権力者というのは民衆が目覚める時、平気で牙を剥くものです。いざと言うときには、我々も命がけで力ずくでそのような連中を日本から追い出す必要が出てくるかも知れません。

「分割して統治せよ、divide and rule」が権力者達が民衆を支配する時の常套手段です。日本は明治維新の時も戦後の混乱期も安保の時も結局完全に分裂せずに済みました。日本人の均一性や和を好む性分からだと思いますが、実に賢明な選択だったと思います。格差社会だの勝ち組負け組だの最近やたらと日本人を分裂させたがる人々がいますが、現実には日本人の生活は皆同じようだと医者をして沢山の人達と接していると感じます。今後も日本が大きく分裂することは一部の人間が画策してもないだろうとは思いますが、自分も仕事の一線を退いたら何らかの形で政治活動をしたいものだと最近思っています。
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