最近のブログへのコメントなどを踏まえて、やや漠然とした内容にはなりますが、自分が還暦を迎えたこともあり、「生きる」ということについての考え、意義などについてまとめておこうと思います。
人生は修行だと思う
基本的に自分は仏教的な考えであり、人類が古くから自然と持っている「輪廻転生」の考え方が正しいと思います。一神教においては、人生は1回であり、神は死後審判を下して天国か地獄に行くということになっているようですが、どうも欧米の小説や映画を見ても「死後の世界はある」「輪廻転生がある」という前提で描かれた物が多く、しかもあまり異論なく受け入れられている所から「人生は一回きり」と本音では思っていない人が沢山いることが解ります。
仏教的な考え方では、人間の今生は前世からの種々の業や因果によって規定され、現在の私は色、受、想、行、識の五蘊の統合による仮の姿(仮我)として認識されます。前世の五蘊は全く同じままで今生に引き継がれるというものではなく、種々の魂は交錯し得る物のようです(魂自体が複数あって一部が抜けると呆となる)。人間は徳を積む事で魂は次のステージに上がるものとされますが、罪を犯し、今生で償う事なく次ぎの人生に引き継がれる事もあるでしょう。
罪を犯したにもかかわらず、償う事なく死んで行く者は、次の人生で黙々と徳を積む他ないと思いますし、罪を償う気さえない者は神からチャンスを与えられる事なく地獄行き(か人間界から追放=日本霊異記では畜生道、餓鬼道、地獄道の世界へ)となる「あはれ人」になってしまいます。今回の人生で夭逝するなど本懐を遂げる事なく不本意に終わる人も沢山おられますが、神は次の人生で今回果たせなかった夢を叶えるチャンスを与えて下さるだろうと思います。だから与えられたチャンスは活かして、大いに精進に励む事が「生きる」意義なのだと考えます。米国では優秀な若者が若い時は必死に働いて金を稼ぎ、四十代半ば以降は享楽的な人生を送るのが成功者の理想的人生だ、とする人生観を聞いた事があるのですが、私としては違和感を感じます。神は「優秀な才」をそのような人生を送るために与えたのではないだろうと。米国エスタブリッシュ達から何となくにじみ出る「軽薄さ」「あなた生まれてこなくても世の中困らなかったのでは?」のような感じはそのような人生観にあるのではないかと私は感じます。
孔子の教えに三十にして「立つ」、四十にして「迷わず」、五十にして「天命を知る」とありますが、大体五十歳になれば、「今回の人生の意義、使命はこのような事だったのだろう」と理解して以降の生き方を定められるようになります。私も今回の人生は「一介の医師として可能な限り人の役に立つよう努力する(名誉、栄達、金銭ではなく)」というのが天命なのだな、と感じたのでそのように生きるのが自分にとって「徳を積む」ことになるのだろうと考えています。
清濁合わせ飲むということ
社会の一員として生活してゆくには、必ずしも自分の理想や良心のままに全て事を運ぶことが許されないことがあります。最近社会で問題になっている組織の問題もそこに根ざしていると思います。所謂「おとなの対応」とか「組織の論理」という言葉で表現されているものです。また自分の利益のために必ずしも相手の利益にならない事を推し進める事もあります。これをどこまで許容するのか、というのは生きて行く上でかなり深刻な問題です。
私は防衛医大出身ですが、大学当時はまだ反戦左翼全盛の時代で「自衛隊の存在」自体が許されない、といった雰囲気がありました。高校の同級生からも「人殺しのために医者になるのか」みたいな批判を受けましたし、ベトナム戦争で米軍が行った非人道的な事が取りざたされ、冷戦まっただ中の頃でもあり、将来自衛官になった時に米軍と共に戦場に行くような場合どのような心構えで行くか、といった事を真剣に大学の同僚達と話し合ったりしたものでした。森村誠一の「悪魔の飽食」といった731部隊の話も話題になっていました。そんな折、大学の倫理学の先生に「自分の本懐に沿わない命令を下された時にどうするべきか。」という問いを悩める青年達がぶつけました。
先生は「日本には職業選択の自由がある。自分がどうしてもできない命令であれば職を辞するしかない。しかし少しでも意に添わなければ辞めるといった態度はよろしくない。自分が許容できない限界、red lineをはっきりと決めておきなさい。そこまで行かない命令は意見を言うのは良いとしても命令であれば最終的には従うのが社会人、組織人としての勤めだ。その覚悟で辞表は胸にいつでも用意しておきなさい。」と指導されました。これは自衛官のみならずどこの社会でも通用する至言であると思っています。このような指導をしてくれた倫理の先生を私は今でも最高の教育者であると尊敬しています。私は卒業後12年自衛隊に奉職して退職し、民間に移りましたが、red lineを超えたために辞表を提出する事態にその後も合わず勤務できたのは幸せであったと思います。
還暦を過ぎて体力の衰えと共に長時間の手術などが耐えられなくなって来たことを痛感しています。しかし知識や経験を後輩に伝えたり、体力勝負でない治療を行う事はまだ可能だと思います。健康でいられる間、天命を果たすためにもう少し現職を続けて行きたいと思っています。
それは迷う若者に読ませたいのです。
もちろん、先の勉強会では講師として失格でした。テキストをきちんと伝えられなかった点ではrakitarou様の顔に泥を塗りました。
再起の機会をお願いいたします。
その為には、きたんとテキストを理解し、どのような主旨で書かれているのか把握が必要です。その為には私も勉強せねばなりません。
今日、神田で生命倫理と宗教学と解剖学と生理学の本を購入してきました。
もう一回、勉強せねばならぬ。
ただ「感動しました」で終えては、何の為に先生が書いて下さったのか主旨を読み間違える。
お時間を下さい。必ずや読みといて伝えます。
一つだけ。先生が尊敬なさる倫理の先生ですが、レッド・ラインの話は。あれは必ず若者に伝わる話だと思いました。
俺のあの行動は本当に正しかったのだろうか?
私にも倫理の先生に相当する方がいます。
初期教育の教官です。
陸士に応募して本当に情けない事ですが、私は一度、脱落しかけました。
先生の時代に比べて自衛官への視線は和らいでいましたが、バブル景気の中で、わざわざ3Kの仕事する我々はバカにされてました。
そんな精神的に荒廃した中でしたので、同期は
ゴロツキ同様の奴ばかり。でも「不良」って、
実はカンが良い奴らで、暗黙知に長けてる。
体力も特技もなく、腕っぷしの弱い私は同期への劣等感に苛まれました。
教官に泣いて告白しました。
「自分には取り柄とか特技がありません」
その時に教官に怒鳴られました。
「生きる事をなめた口を利くな!」
20前のお前らに「取り柄」なんかあるもんか!
特技とか取り柄とか、そんなものは自分で見つけてゆくものだ!!
お前のようなバカに何で俺が付き合っていると考えろ!
ここはなソ連が攻めてくれば最前線だ。
お前のような自分を可愛がる甘ちゃんが、うっかりした甘えで仲間も部隊も全滅するんだ!
だから俺達は「落第」を作らないようにする。
エリート隊員を育ててるんじゃい!
やるべき事をきちんとやれる人間にお前らを育ててるんだ。
自分に特技がない、取り柄がない!
ンな事で泣くくらいなら、やるべき事をきちんと果たせ!
人並みの人間になれ。それが先だ!
私がrakitarou先生の記事を吟味して、それを伝えるには把握せねばなりません。
それが読者としての責務だと思います。
お時間を下さい。
先日の新幹線での惨劇です。女性を護ろうとした会社員の方が頸部への切傷と、刺傷で亡くなられております。
墜落時に対応しなければならない航空機と違い、鉄道は高速鉄道でも、実は座席の座が取り外し式な事柄多いです。これは日本も西欧も同じです。
吐瀉物で汚れた時に、清掃が外せるようになっております。全てがそうではないでしょうが、
多くはマジックテープ式になってる。
揺さぶりはずす事ができます。
裏側は金属枠とスプリングである事が多い。
昔のギャッチアップを想定しない病院のベッドと似た構造です。
これは有事には「盾」となります。
あの逃げ場のない密室状態で「盾」があるか否かは生死を分けるかと思います。
学会で移動を余儀なくされる先生には、頭の隅に入れておいていただければ嬉しいです。
シートベルトを締めてまてと客室添乗員は申されるようですが、足はゆるやかに組んで「あぐら」をかくべきです。
胴体着陸した時には、座席が前に飛ばされ、足元を床に接地していると、後部の座席です切断される恐れがあるそうです。
今回の事件や前の池田小学校の事件なども思い出しますが、本人が「死にたい」と言っているのに、死にたいと思っていない他人を「誰でも良いから殺す」という行為がどうつながるのか非常に疑問に思っています。本当に死にたいのならば他人を傷つけず、自死する方はかなりおられるので、自死が良いかどうかは別としてまだ理解できます。
暴れて死にたいのならば、暴力団事務所に殴り込みをかけるでも良いと思うのですが、それもしない。多分「死にたい」は「現状の自分を終わらせたい」であって、現状の自分を変えるための辛い選択をして自らを変える気まではない。元々社会性などないから他人がどうなろうと知った事ではないということからこのような行動に出てしまうのかとは思います。このような人が自分の犯した罪を償うにはどれだけ今後(来世含めて)努力が必要だろうかと思います。
私が勉強会で遭遇するであろう事にまで先回りされて言及なされてるので。正直に鳥肌が立ちました。でも、それは先生が外科医という仕事に生涯を掛けてきたから?としか思えない。
クズがヤクザの事務所を襲えば良い!それは正しいです。ヤクザは金にならん事はしない…と言う人がいますが、それはウソです。素人ほどそういう事を言う。彼らは組織を代表して代紋をしており、そんな事をしたら必ず…です。
だから、自分を改変する為の痛みにビビり、
他人を…てのは正鵠を射ている!!
正直、私は解らなかったんです。そうか……それしかないな!!
私の半分以下の言葉で「真実」を暴いてらっしゃいますね。それは先生が「剣士」だから。
メスを持つ剣士だからだと思います。
看護学校的に、人を斬る事と、患部を切除する事を同一視するのは赤点でしょう。
でも下手の横好きでも武術に凝った事のある者として、「外科的に破壊する」のと「治す」のは皮一枚の違いと思います。
先生はメスを持つ剣士だから、このように単文でコア(核心)を切るのだと思います。
それで犯人の話になれば、必ずや勉強会で出てくる意見がある!
rakitarou先生は強い士だからできる!
頭が良くて強くて信念があるサムライだから出来たんだ。俺は違う……
この種の奴は老若男女を問わず必ずいる!
どの世代でも!
「最近の若者は…」ではすみません。
それが現在の仮想敵であります。
先生が研ぎ澄まされた文章で、単文に斬るのは、外科医というメスを持つ武士だからと思います。でも、先生は別に「産まれながらの外科医」な訳ではない!!
今は記事を基に構築してる段階ですが、私は論破してやるつもりです。そんな意見は許さん!
先生の斬る言葉は、似ていると思います。
宮本武蔵の書画です。
真っ白な画面に、一筋の墨滴で一本の太い線を引く。それが「雪原の木」であり、そこに泊まる一匹の百舌鳥を描いてる。
白地に数点の書画でです!
これが「芸術」として、どのような評価なのかは解りません。しかし「剣士だから書ける」と思いました。
あの空間をぶった斬る墨痕は剣士のものです。
先生はメスを持つ剣士として血反吐ほいてきたから、数行で表現できると思います。
でも、そこまで、どれだけの冷汗をかきました?
ポット出の言葉でないんですよ必ず!
それが次の勉強会で争点となると思ってます。
御安心ください。こっちはフラフラと生きてきた奴の一人ですからね。フラフラとタヌキの金玉みたく生きてきた事では若僧に負けない!
それでも、俺みたく亡き妻にさんざん迷惑をかけてきた男でも「向上心」は大切なのだ!
それを無くしたら畜生道、餓鬼道に堕ちると経験から言える!
先生の言葉を、エリートで強いから……
そんな能書きはガキどもに言わせない!!
絶対に言わせない!
先生はご自分の経歴まで披露して下さいました。私は自分を「士」とは思いません。
でも最後は「侠」でありたいと思います。
痛みを他人の責任に転嫁する生き方は、
一人の社会人として認めません!
これはガキ共と私の戦です!