2025年1月20日に放送されたNHK映像の世紀「兵士達の消えない悪夢」は内容、編集ともに素晴らしい番組であり、どんな戦争番組よりも戦争の実態を伝える内容であったと思います。備忘録を兼ねて医師の視点を交えて感想を記します。
内容は一般の国民、民衆が徴兵によって、国家の要請で兵士となり戦争をさせられる結果各国共通に生ずる精神的障害を、精神科医学の発達の視点、殺される側の視点、殺す側の視点から考察した内容です。メンタルヘルス全盛の現在からは想像がつきませんが、精神医学が発達していなかった20世紀初頭の第一次大戦の世界戦争で多くの兵士に生じた「砲弾病」と言われる外傷を伴わない原因不明の痙攣や自己喪失状態は「詐病」なのか「真の病」かも分らず、軍も医師も対応に苦慮するものであったことは明らかです。
I. 殺される側の戦争神経症 Shell shock(砲弾病)
第一次大戦は戦線が膠着したまま年単位で動かない「消耗戦」(war of attrition)で塹壕に兵士達は籠って何日も続く砲弾の雨を耐え続けて、攻撃になると昔ながらの列をなして突撃を繰り返していました。死や手足を失う恐怖が終わりなく続く状態を強いられる事でshell shockと言われる不随意運動や痙攣、夢遊病や茫然自失状態が多発する様になりました。この塹壕に籠る消耗戦は21世紀の現在もウクライナで再現され、陣地を守らされるウクライナ兵のみが体験しています。砲爆撃の量は1:10でロシアが一方的に優勢であり、現在のウクライナにおける砲弾病の実態がいかなるものか報道が待たれます。
激しい痙攣と不随意運動の症状 電気ショックによる治療
Shell shockの治療法として外力による強制的な運動や電気ショックといった当時の治療法が紹介されます。軍はより強い恐怖「戦場離脱による銃殺」で対応し、その犠牲者が21世紀にやっと名誉回復するニュースも紹介されます。精神心理学の泰斗であるフロイトはこれらの反応を「心因性疾患」と考えて「戦争神経症」という病名を付けます。
II. 生き残る者の罪悪感survivor’s guilt
日中戦争において、皇軍は戦争神経症がないことになっていましたが、実際は同様の患者が出現しており、陸軍国府台病院で治療と研究が行われていた事が紹介されます。私は自衛隊病院の精神科病棟も受け持った事がありますが、当然ながら戦争神経症の患者はおらず、通常の精神疾患の患者だけでした。市川市にある国立国府台病院は戦後も戦争神経症の患者が入院を続けていて、朝になると起床ラッパを吹く患者がいるという話を聞いたことがあります。日本の国府台病院で治療された例で紹介されたのは、激戦で一人生き残ることで罪悪感を感じて立ち直れなくなるsurvivor’s guiltという症状でこれも戦争神経症の形態とされます。戦争のトラウマは殺される側から戦う側、殺す側のトラウマに焦点が移ります。
III. 殺す側の戦争神経症 PTSD
国家の存立危機と関係ない戦争に駆り出されて、精神を病む帰還兵 ソンミ村虐殺を伝えるメディア
第二次大戦の沖縄戦では、抵抗する民間人を米軍軍が殺戮します。女性や子供を殺すことにまっとうな米兵達は「罪悪感」を覚えます。また一方的な殺戮にも嫌悪感を示します。これは敵を殺してほしい「軍」にとっては邪魔な感情です。「人間は同じ人間を殺したくない」という自然の感情を持つのが普通なのです。1947年、米軍のマーシャル将軍は戦闘で実際に敵に銃を撃つのは兵の25%だと記して物議をかもします。そこで米軍は新兵の訓練方法を変え、「敵は同じ人間ではなく家畜以下」標的も動かない的ではなく「人形をした動く物」にして銃を撃つ抵抗を無くすようにします。
自殺したシンプソン氏 冬の兵士の聴聞会(1971)で想いを語る帰還兵
しかしベトナム戦争ではゲリラ戦法を採るベトコンに対して、一般人虐殺であるソンミ村虐殺事件などが起きてしまいます。その時19歳の黒人兵であったシンプソンは無抵抗の民間人25人を殺した罪悪感のPTSDで30年後に自殺をしたことが紹介されます。ベトナム帰還兵達の証言からPTSDという病名が1980年の精神医学の病名に追加されました。
IV. 兵士脳、娑婆脳を共存させる21世紀の戦争
2023年6月に自衛隊教育隊で候補生が銃を乱射した事件を受けて、軍の教育隊における教育の基本は「娑婆脳を一度棄てさせること」だと説明しました。軍務経験のない日本人にはこれを理解することは難しいと思いました。余分な知性、知恵を一度全て棄てて頭を白紙に戻し、教範と教官の言う事だけで動ける体にする事は、二等兵にとって作戦上も部隊にとっても重要なことです。
しかし21世紀の「テロとの戦争」においては、本来警察が行うべき「犯罪者と一般人を見分けた上で発砲する」という状況判断の連続を強いられます。これはイラク・アフガン戦争に従軍したペトレイアス将軍が策定したCOIN(counterinsurgency)という戦闘教範に即した戦い方で、イスラエルの「ハマスも民間人もまとめて虐殺する」現在のガザ紛争を彼が批判したことでも有名です。COINは本来の軍の戦い方(任務)ではない事は、かねてから私は主張してきましたが、この戦場において兵士脳と娑婆脳を共存させる事は多くの兵士達の精神を破壊する結果になり、この番組でもイラク・アフガン戦争における戦闘による米軍の死者が7,057名であるのにPTSDによる自殺が3万人を超えていることが紹介されました。クリント・イーストウッドの映画「アメリカン・スナイパー」は伝説的狙撃兵としてイラクに従軍したクリス・カイルが自らのPTSDを克服しながら、最後は心を病む帰還兵に銃殺されてしまう実話の映画化でした。2008年のグラン・トリノでは朝鮮戦争で朝鮮の少年を殺してしまい罪の意識に悩む老人を演じ、硫黄島2部作は米軍の「殺す側の論理」がこれ(星条旗)でよいのか?という問いかけを日本側から描いた「手紙」との対比で描きました。彼は兵士の立場からの「心の葛藤」と向き合った監督と言えます。
番組は現代の戦争における実相を暴き出します。イスラエルはガザにおけるハマス攻撃にAIを活用することでヒトが攻撃の命令を下す心理的負担を減らしていると紹介。一方でウクライナ戦争ではロシアは今回の戦争で10万人のPTSD患者を産んだ(英国国防省)と言い、ウクライナは民間人を含め1,000万人のPTSDを産んだ(WHO)と紹介して番組を閉じました。
罪悪感をなくすためAIによる殺人を活用 パレスチナ人はhuman animalとして扱うという国防相の発言
V. 国家という共通幻想はヒトとしての道徳より優先するか
法は道徳に優先するものではなく一部であるのが法学の基本中の基本 イスラエルでも帰還兵の自殺が増加という記事
貨幣が経済を成り立たせるための人類の共通幻想であるのと同様、国家は社会を機能させるための人類の共通幻想でしかありません。また「社会」は「個人の我欲煩悩を調整」するための決まり事として存在しているに過ぎません。尽きるところ「個人の我欲煩悩の調整」であり、調整するための共通幻想としての国家の要求が絶対的なものと言えるか疑問です。法は道徳の一部であることは法学の基本であることは述べましたが、法で「ヒトを殺せ」と命じられても道徳として「ヒトは殺せない」と心が命じてその葛藤で神経症になるとすれば間違っているのは「我欲の調整を行う社会の法」の側です。戦争は外交上万策尽きた最期の手段であり、一刻も早く終わらせるために最低でも「出口を決めて行う」事が、人類が決めた知恵であったはずです。現在のガザ紛争、ウクライナ、始まりそうなイランや中国との紛争は本当に万策尽きた結果でしょうか。自分の心身は傷つかない人間に限って「戦争やむなし」と気軽に口にしていると私には思われます。
時々書いてますけど、フリーアナウンサーの桑原征平の父が、前の戦争でのPTSDでDV親父になってしまった・・・てのを聞いたことがあります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1422e5f0fa3df28d82a816458d6f89928ca4f0cc
そんなこと日本では「見て見ぬふり」をしてきたので、それが今の日本の社会の衰亡の一因に思うことすらあります。
「みんなのため」に教室ではいじめが頻発するようになってしまった日本。
その道徳とか倫理観が、揺らいでいるので、日本人を戦争に駆り出したい人たちには、現状の日本は宝の山なのかもしれません。