夏期休暇に今年は富士登山を計画していたのですが、生憎の台風6号で中止を余儀なくされました。息子夫婦と合わせて休暇を取っていたので、折角の登山計画を家で過ごすのも残念に思い、「ヤマップ」などで天候が持ちそうな山形県の月山に行く事にしました。富士山は一泊二日の予定だったので、やや強行軍ながら出羽三山を巡る計画を立てて様々な偶然(神のお導き?)に助けられて達成することができました。
富士山も言わずと知れた霊峰ですが、出羽三山とは「月山」「羽黒山」「湯殿山」の三神の事で、死後の安楽を祈る月山が過去、現世の幸せを祈る羽黒山が現在、そして生まれ変わりを祈る湯殿山が未来を表し、三山を詣でる事がセットとなっています。江戸時代には西の伊勢参りと東の奥参り(湯殿山神社の奥の院の事)が「人生儀礼」の一つとされて全国から参拝者が集まったそうです。
I. 羽黒山参拝
羽黒山入山口にある随神門 樹齢千年という爺杉
庄内平野の鶴岡にある羽黒山に山形自動車道経由で行きました。関東からは東北道から山形道に入るのが普通ですが、混雑を避けて常磐道から入った所、東北道で大きな事故があって一時下り線が通行止めになったりしたので、それに合わずスムーズに仙台方面の連絡道から少し戻って山形道に入り、昼過ぎには羽黒山に到着しました。一つ目の神の導きでした。
羽黒山入り口の随神門を通って東北最古の国宝五重塔(改築中)、樹齢千年の爺杉など見ながら二千段の階段を登ると羽黒山山頂の三神合祭殿に到着します。冬場は月山、湯殿山は積雪で登れないので羽黒山に三神を合わせて祀ったとされます。三山を巡るにはまず入り口であるこちらをお参りすることになっている様です。
二千段の階段 小一時間はかかる 羽黒山頂上の三神合祭殿(車やバスで直接行く事も可能)
伊勢宮の様に多くの社殿があって多種の神が祀られている
II. 湯殿山参拝
宿泊は、富士山をキャンセルした後たまたま空いていた月山の麓にある「志津温泉つたや」さんでした。羽黒山を後にしてから台風の影響で一過性の激しい雷雨に見舞われましたが夕方5時には到着。温泉と山菜を中心にした(山形牛ステーキも)美味しい食事を満喫しました。
この旅館はご主人含めて3名の方が本格的な修験者もしておられて、希望する宿泊客に毎日朝5時25分集合で湯殿山朝参りにマイクロバスで連れて行ってくれます。神主さんのお祓いなどもあるので宿泊とは別料金になりますが、期せずして湯殿山神社(奥の院)に本格的参拝ができた事は二つ目の神の導きでした。
湯殿山は標高1504mで、奥の院とされる湯殿山神社本宮は山の中腹にあります。ご神体は「見た内容を語るべからず」とされ(撮影禁)、お祓いを受けてから素足で参拝します。ご神体についてはそのような理由で敢えて触れないことにします。拝辞を神主さんとお参りする人全員が唱和してからお参りします。朝6時の清々しい時間帯に神主さん数名、宿泊者の希望者8名と引率の旦那さんのみ貸し切り状態での参拝でした。奥の院に参拝すると「生まれ変わる」とされるので、それぞれのご先祖様への感謝と供養をする儀式もあります。先祖を祀らない神道では異例の儀式ということです。
山菜など中心にした夕食 湯殿山奥の院参拝の時に唱和する拝辞(お経と違い音階がある)
III. 月山登頂記
下山してから月山全貌が拝めた 隣接する姥が岳方面を月山から眺める
月山は標高1,984m日本百名山の一つであり、花の百名山としても有名でニッコウキスゲなど様々な高山植物も見られます。リフトで姥沢登山口に向かう途中に珍しい渡り蝶のアサギマダラにも出会いました。今年は卯年で547年の卯年に「霊験新たか」な神仏が月山に出現されたという言い伝えから、卯歳御縁年(うどしごえんねん)として参拝すると12年分の御利益があるとされています。その年にお参りできたのも第三の神の導きだったでしょうか。
渡り蝶のアサギマダラ(リフトから撮ったのでぶれあり) ニッコウキスゲ
初心者向けとされる姥沢コースですが、台風の影響もあって風が強く、ガスも多く時々しか遠望が望めませんでした。それでも日本海や庄内平野、鳥海山なども見る事ができ、山頂の月山神社でお祓いを受けて三社参拝を果たす事ができました。前日の悪天候や平日だったこともあり、登山自体は割と空いていてリフトもお祓いも待ち時間なし。登山は、お参りや昼食含めて4.5時間くらいでした。
夏だが所々雪渓が残っている 頂上小屋の奥に月山神社の小さい社があって神官の方も数人いる
富士登山が果たせなかったのは残念でしたが、来年は大学も定年になるので生きながら新たな魂として生まれ変わる「うまれかわりの旅」ができたのは「神のお導き」だったかと感謝しています。宿泊した「つたや」さんは、+2,000円で月山登山パックとして往復のリフト券、昼のお弁当(炊きたて山形米の美味なおむすび2個と副菜)、登山後の入浴、天然水など付けてくれて大変「お得」でした。月山登山後、帰りは東北道で幸い渋滞もなく夜9時には家に到着しました。
姥が岳から鳥海山を遠望できた 霧が晴れると時々日本海や庄内平野が見えます。
流石は修験で有名な出羽三山。後半のダイナミックな眺めも、ここを山伏は登っていたかと。全く行った事がないので、想像していたより雄大な景色でした。
出羽三山と言えばミイラ仏文化でも有名ですが東北には平泉も含めて、遺体をモガリで白骨化する沖縄や大和とは異なる文化があったようです。
フィリッピン戦線での飢餓から起きた「食人」を書いた大岡昇平の「野火」と同じで、乞食坊主の死体を燻してミイラを作ることが書いてある森敦の「月山」は文章が何故か驚くほど美しい。
ひょっとすると美しい月山を登ることで、小説「月山」を構想したのかも知れない
今世界一の高山エベレスト登山がトンデモナイことに、昔は登山許可を1カ国(ワンシーズンにはワンパーティ)しか出さなかったネパール政府が金に困って年2000人ほど出しているらしいのですが、結果は登山ルートが順番待ちに。天気急変なら間違いなく大量遭難で大勢が死にます。
同じことが日本一の標高の富士山にも起きているらしくて新聞が警鐘を鳴らしている。入山規制云々まで言い出したが、
実は地元では山小屋に泊まらないで、日帰りのカミカゼ登山を「危ないから止めろ」と言っている。ところが、
火山学者の早川由紀夫は逆に暗いうちに歩き出して山頂でご来光を仰ぐ(山小屋に泊まらない)日帰り登山を「安全だ」と言っている。標高差1400メートルなので日帰りは十分に可能です。
そもそも一晩寝れば疲労が回復するのは若い人だけの特権で、我々のような中高年以上では疲労物質は代謝されずに蓄積するばかり。日帰りの方が安全かも知れません。
それに見るぶんには美しい富士山は出来立ての「ぼた山」で川が一つもないだけではなく、細かい火山灰が靴や衣服の中に入って実に不愉快で汚い。
見かけが優雅な日本の富士山の場合は外国人観光客が大勢くるので、一部は安易に半袖半パンの軽装で登山する人が出てくる。これは、スイスのマッターホーンとは大違いで、何処にも難しいところがないので誰でも簡単に登れると勘違いするが、標高差1400メートルを登るには十分な体力が必要です。
今の様に入山者(分母)が大きければ遭難者が出るは避けられないでしょう。地元は入山規制を考えているが、林立する営業小屋を全て閉鎖(無人の避難小屋に変換)すれば自動的に入山者は激減します。山小屋が営業していない冬季には富士山に登る人は極少数しかいません。