米国では政治家達がAIPAC(米イスラエル公共問題委員会)から買収されて悪逆非道イスラエルを支持し続けるとする一方で、真にイスラエルの未来を考えるユダヤ系市民や若者が、イスラエル政府が行う戦争への批難を強めています。それは今年5月に渡米した際にも実際にハーバード大学等でイスラエルを批判する学生達の活動を確かめ確認できました。一方で同じハーバード構内では頭にユダヤ教のシンボルであるキッパーを被った学生が「親イスラエル」の集会を開いている様も見かけました。
2024年5月ハーバード大学構内でピケを張る反イスラエルの学生達 抗議が行われているキャンパスに入るには学生証の提示が求められる(rakitarou撮影)。
NHK BS世界のドキュメンタリー 「アメリカ揺れるユダヤ系新世代」
このドキュメンタリーは2023年に10月7日より前に制作され、批評家から絶賛された長編ドキュメンタリー映画『イスラエル主義』を基にしています。世界中の若いユダヤ人にイスラエルへの無料旅行を手配するバースライト・イスラエル財団が主催したエルサレムでの歌と踊りの メガイベントから始まり、米国の親イスラエル・プロパガンダ機構と、一部の若いユダヤ系アメリカ人がそこから得ている道を探ります。中心人物は、ロサンゼルスで育ち、ユダヤ人学校に通い、交換留学プログラムでイスラエルに住んだシモーヌ・ジマーマンと、高校卒業後にイスラエル軍に入隊した同じアメリカ人のエイタンです。
ドキュメンタリーはこれらユダヤ系の若者達が実際にイスラエルやパレスチナを訪れて今まで米国内でユダヤ人として教育されてきた内容と現実の違いをいかに認識し、「真のイスラエル国の平和と安定に必要な事」に目覚めるかを扱った内容で見ごたえがありました。
偏向教育のもたらす分断と誤解
紹介される米国生まれのユダヤの若者は小中高とユダヤ人の学校に通います。全米で350校あるとされるユダヤ人学校では12歳までにモーゼ5書は暗記し、中高は全寮制の教育環境が整った環境で高度な教育を受けます。その中でイスラエルがいかにユダヤ人の繁栄に欠かせない場所かを教えられて、実際に現地教育なども受け、中には大学に行かずにイスラエル軍に志願する若者もいます。現在2万人以上の米国籍の若者がイスラエル国防軍(IDF)に所属し、ガザ侵攻に参加していると言われ、米国議員では二重国籍でIDFを除隊した人もいます。在日米大使で10月には帰国し、カマラ・ハリスの指導者となる予定のラーム・イマニュエル氏は米・イスラエル二重国籍でイスラエルの国益のためにも活動している事は有名です。
このユダヤ学校で教えられる教育が、広い視野で公平なものであれば問題ないのですが、ドキュメンタリーで紹介される若者は、それがシオニズムに基づいた一方的な正義の教育であり、アラブやパレスチナの問題を相手の視点から考えさせる内容は一切なかったと顧みます。
イスラエル軍の制服を着て議会に出る米議員 AIPACに同調しないと選挙で落選させられる現実
ユダヤ教の教えよりも教育洗脳
大学に進学したユダヤ人女性は、ヒレルというユダヤ系大学内組織でイスラエルを擁護する活動をして過ごしますが、同じ大学で学ぶパレスチナ人達の問いかけに答えられず、自らパレスチナを訪れて答えを見つけます。18歳でIDFに入隊した男性は、ユダヤ人入植地で正当な理由なくパレスチナ人をIDF兵士が虐待する場に居合わせ、自分もそれに加担した事に罪の意識を覚え、除隊後勇気を持って声を挙げます。米国内で反イスラエル・反シオニズムを訴えるユダヤ人達は若者が多く、それはホロコーストのトラウマに囚われ続けて排他的なイスラエルの存立を目指す「シオニズム思想」に疑問を持つことから始まると説明されます。それは神話からなる宗教物語よりもホロコースト・トラウマからの解放、洗脳的思い込みからの解放だと解釈されます。
イスラエルの未来は米国系ユダヤ人の若者に託されるか?
現在のイスラエル国内にも停戦と平和を訴える人達が多くいますが、日々周辺アラブ諸国からの攻撃にさらされている状況で、政府は戦争拡大に走っており、状況を変える事は困難であるように見えます。イスラエルの現状を我が事として俯瞰して見ることができる米国やイスラエル国外にいるユダヤ人の若者こそが、将来の望ましいユダヤ国家を創造する源になってゆく可能性があるように思います。米・イスラエル・パレスチナ共同制作のこのドキュメンタリーの主題もそこにあったように見えました。
シオニズムに疑問を持つユダヤ系若者が増加している
挑発を続けるイスラエル・自制を続けるイラン
10月1日イランのイスラエル国内へのミサイル攻撃 中東に配備されている米海軍の布陣
2024年10月1日イランはイスラエルに180発の極超音速ミサイルを発射し、イスラエルの防衛網を圧倒しました。この「真の約束2」と名付けられた作戦は、発射の約1時間前に米国に空軍施設が標的になることを通告され、イスラエルはF35戦闘機や空中給油機などの高額兵器を緊急発進して退避させる余裕を与えられた様です。また住宅地などの民間施設も目標とされず、レバノン民間人を巻き込んだポケベル爆弾テロ攻撃、ヒズボラの指導者ナスララの殺害やレバノン南部へのIDF侵攻への対応として「いい加減やめなさい!」と言わんばかりのかなり慈悲深い内容であったと思われます。イスラエルは盛んにイランを「テロ国家」と宣伝していますが、いくらメディアを支配して偏向報道をしかけても現実との乖離が大きすぎて却って滑稽に映ってしまいます。
金で世の中を支配していれば、いかなる「悪」も許される、とするのが現在の米国ユダヤ富裕層がシオニズムを支持し、米国政界を資金豊富なAIPACを通じて操る構図です。しかしアンパンマンや水戸黄門を始め、世界中の童話や寓話は「金で正義を変える事はできない」という「現実社会はその傾向があるがそれは誤りであり、ヒトの心を変えることまではできない」事を繰り返し語ってきました。現在のユダヤ富裕層は「金で正義は買える」が信条であり、それを世界に押し付け通すつもりですが、現在の金満の基になっている「グローバリズム経済が行き詰まっている現実」があるからこそ狂った様に慌ててシオニズムの正義を通そうとしているのだと思われます。
中東情勢はアラブ人特有のエトスで理解しがたい
イスラエルとエジプトを旅行した経験から、イスラエル人は西洋人的な思考が理解できればその行動や論理は理解できますが(賛同するかどうかは別)、アラブ人は独特の思考があって理解しがたいと感ずることが多いと思いました。勿論ヒトとして基本的な感情や理屈は同じなのですが、アラブ人同士全く一枚岩ではないし、損得の感覚も異なる。親イスラエルの人もいる。殉教や報復の概念も西洋社会とは少し異なる様で、戦争の勝ち負けの感覚も異なる。多分これは自然が厳しい砂漠での部族社会同士の長い抗争を生き抜いてきた文化によるものだと思われ、文化圏外の我々が安易に介入すべき問題ではない様に感じます。日本人に理解しがたいものは、単純なアメリカ人には猶更理解しがたいと思われ、アメリカの中東政策がアラブに翻弄されるだけでうまく行かない理由でしょう。イスラエル建国は米英権力層が西欧の理屈が通る暴力装置として中東に根付かせる目的があったのでしょうが、アラブの原油の重さが低下してきた現在、イスラエル共々店じまいの時期に来ているのかも知れません。
彼らは人類などに興味が無いのが解るかと。
シミュレータの中の1因子などに興味あるはずもない。
なのでヤハウェはイスラエルをたしなめないし、罰しもしない。たぶん神が対話してるとしたらガイアそのものとであり(ガイア理論)、人や民の喜怒哀楽や人生など眼中にないであろう事が解る。
創造主の神はいるかも知れないが、それは人類には興味ない。見守ってくれるとは幻想に過ぎないし、同様に個々の人生に意味ある(神の定めと関わる)というのも幻想なのがよ〜く解りました。
神とは各人の心の問題で、戦争や我欲遂行の方便ではないということでしょう。
しかも、英労働党保守派の「反ユダヤ主義に反対」の意味が、パレスチナ人大虐殺だったとの怖すぎるオチ。
それなら我々日本人一般市民のように、民主主義とか世界平和や民主主義、人権を標榜するなら、必然的に全員が「反ユダヤ主義」になってしまうが、今グーグルなどネット世界で取り締まっている最大のターゲットがやはり「反ユダヤ主義」なのです。
ところが、
『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎/大澤真幸著)によると、聖書に「地球は神が作った」とあるので、神が生まれた時に地球は宇宙に存在しない。何もない空白から神が全てを作ったので「創造主」だと書いていある。時系列的に神が先で地球は後。人類誕生などは最後の方で、文明など最後の最後
聖書の記述が正しいとすれば、神(ヤハウェ ゴッド)は地球外知的生命体エイリアンなので、人類とは家畜扱いか最悪なら蛆虫扱い。
何しろ絶大なパワーを持った正体不明、理解不能の恐ろしいエイリアンなので、決して日本の神々のように人類の幸福とか平和共存なんか考えていないらしい
その恐怖のエイリアンを唯一神とするイスラエルの行動原理が、「ハンニバル指令」であるのは必然で少しも不思議はありません。
逆に言うと、すべてのマスコミ有識者たちが「ハンニバル指令」を言わないから勘違いするだけで、伊勢崎賢治のように、すべて「ハンニバル指令」に収斂する。去年10月7日のハマスの越境攻撃内対してハマス戦闘員だけではなくユダヤ入植者など全員無差別空爆で炭化して判別不能になるまで焼き殺しています。まさにエイリアンの手下のやりそうな悪魔的な大虐殺
停戦すると、これ等数々の不都合な真実が露見するので、イスラエルのネタニエフとしては戦線を拡大し続けるしか方法がない