樟徳館に行ってきました。
樟徳館は樟蔭学園の創設者である森平蔵の邸宅であり、通常は4年に1度、夏のオリンピックの年の11月第二土日の2日間一般公開されるが、今回は樟蔭学園創立100周年と東大阪市市制施行50周年連携企画で特別公開をしていました。
元々は帝国キネマ長瀬撮影所だったが、1930年に火事となり、その後、森平蔵の邸宅となりました。
門をくぐり、受付でパンフレットをいただきました。
建物の中に入ると、1932年に建てられた当時の写真も掲載されていました。
まずは応接室へ向かいました。
立派な応接セットです。
天井には楠の一枚板には圧巻でした。
応接室から庭が眺められます。
次は和室です。
執事室です。
洋風居間です。
樟徳館はドラマで撮影されていました。
食堂です。
残念ながら2階は非公開でした。
電話室です。
女中仕事部屋です。
呼び出しの部屋が分かる装置で、当時の時代の最先端の装置でう。
一番奥の仏間と次の間です。
ここで森平蔵の孫の藤原氏から、昔のお話を聞きました。
とても興味深い話でした。
建物から出ました。
外から樟徳館を見ました。
宇佐八幡宮が祀られています。
とても広い館で、豪華な館でした。
樟徳館は樟蔭学園の創設者である森平蔵の邸宅であり、通常は4年に1度、夏のオリンピックの年の11月第二土日の2日間一般公開されるが、今回は樟蔭学園創立100周年と東大阪市市制施行50周年連携企画で特別公開をしていました。
元々は帝国キネマ長瀬撮影所だったが、1930年に火事となり、その後、森平蔵の邸宅となりました。
門をくぐり、受付でパンフレットをいただきました。
建物の中に入ると、1932年に建てられた当時の写真も掲載されていました。
まずは応接室へ向かいました。
立派な応接セットです。
天井には楠の一枚板には圧巻でした。
応接室から庭が眺められます。
次は和室です。
執事室です。
洋風居間です。
樟徳館はドラマで撮影されていました。
食堂です。
残念ながら2階は非公開でした。
電話室です。
女中仕事部屋です。
呼び出しの部屋が分かる装置で、当時の時代の最先端の装置でう。
一番奥の仏間と次の間です。
ここで森平蔵の孫の藤原氏から、昔のお話を聞きました。
とても興味深い話でした。
建物から出ました。
外から樟徳館を見ました。
宇佐八幡宮が祀られています。
とても広い館で、豪華な館でした。