たぶん2016年ころのブログです
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「そして親になる」
何年か前に似たような題名の映画がありましたね。
そうだと思うのです。「親」になるには、それなりの「自覚」や「覚悟」が必要なのだと…。
もちろん、動物学的な親には子どもが生まれればなるのですが、心理学的な「親」とか人間学的な「親」になるには、盲目的でない、しかし、無償の「愛情」とそれに加えて「自覚」や「覚悟」がいるようです。
以前、家庭裁判所で仕事をしていた時に、子どもの調査の重要性が叫ばれたことがありました。
子どもの意思、子どもの気持ち、子どもの本音を調査しろ、とよく言われました。
ごもっともなことなのですが、しかし、ことは簡単ではありません。
なぜなら、子どもは(虐待でもない限り)両親のどちらもが大好きですし、どちらもが大切な存在だから、どちらかを選ぶなんてことは困難だからです。
子どもはできれば両方の親と一緒にいたいし、愛されたいのです。
おとなはですから、そういう方法を可能な限り考えなければなりません。
そしてその時にも、親には「おとな」の親としての「自覚」や「覚悟」が重要になります。
盲目的ではない、子どものことを考えた、自己抑制的な「おとな」の親の判断が大切になります。
それが「親になる」ということではないかと思います。
親は子どもがいるから親なのではなく、(立場の弱い)子どものことを考え、守り抜くからこそ「親になる」のです。
子育てはたいへんなことですが、だからこそ、親は「親になる」チャンスを与えられているのだと思います。
感謝とともにある日々を送りたいと思います。 (2016?記)
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2024年2月の追記です
また虐待死のニュースが二つ、痛ましいことです。
「おとな」の親になることの平凡さと難しさ、を考えさせられます。 (2024.2 記)
妻がネグレクトで悩んでいます。
あまり高望みをせずに、足元から少しずつできることをやっていくのがいいのかもしれません。
その努力を子どもは見ているような気がします。