2023年5月のブログです
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時々、暇な時に、昔の家庭裁判所での仕事を思い出したり、考えたり、反省をしたりすることがある。
例えば、だんご3兄弟が面会交流で大活躍をした(?)20年以上も前の思い出。
お父さんがワンマンで暴力的ということで、子どもを連れて実家に帰ったお母さんに対して、お父さんが子どもに会わせてほしいと求めた調停。
話し合いは難航をしたが、一度、家庭裁判所でお試しの面会交流をしてみようということになった。
お父さんが待っているお部屋に到着した4歳と2歳の女の子たち、お母さんと一緒に部屋の隅で固まったまま。
お父さんが、子どもたちに呼びかけても、動かない。
お父さんが、部屋の真ん中にあるおもちゃや絵本で誘うが、見向きもしない。
小さいなりに、女子連合の意地(?)があるらしい。
しかし、そのうちに、2歳の女の子がおもちゃの魅力(?)に誘われて、部屋の真ん中に移動し、お父さんに背を向けて遊びだし、お姉ちゃんも一緒に遊ぶ。
ところが、2歳の女の子がだんご3兄弟のお人形を振り回していると、おだんごが一つ外れてお父さんのほうに転がる。
お父さんが、拾って、ほら!と女の子に渡すと、女の子は受け取り、お父さんと一緒に遊びだす。
それを見て、お姉ちゃんも遊びに参加、お母さんが見守る中で、父子の面会交流ができるようになった。
こういう場面を見ていると、じーじは、世の中には本当に神さまがいるのかもしれないなあ、とつくづく思ってしまう。
面会交流では、こんな素敵な偶然がよく起こる。不思議だなあ、と感心をしてしまう。
じーじはキリスト教徒でもイスラム教徒でもその他の教徒でもないが(?)、世の中にはきっと子どもたちを守ってくれる神さまがいるのだろうなあ、と思う。
そして、そういう神さまに守られて、面会交流などもできるようになるのかもしれない、と思ったりする。
臨床のちからとはそういうことなのかもしれない。 (2023.5 記)