佐渡金山を構成する「相川鶴子金銀山」のシンボル「道遊の割戸」(新潟県佐渡市)
インド・ニューデリーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は27日、新潟県の「佐渡島(さど)の金山」について、世界文化遺産への登録を決めた。
日本の文化遺産としては21件目で、自然遺産も合わせた世界遺産は26件となった。
ユネスコの諮問機関は6月、日本に登録内容の一部修正などを求める「情報照会」を勧告していた。政府や地元自治体は明治以降の史跡が多い地区の除外といった要請を受け入れ、今回の審査に臨み、同委員会ではこうした対応が評価された。
同委員会は「世界の他の地域で採鉱などの機械化が進んだ時代に、高度な手工業を継続したアジアにおける他に類を見ない事例」と評価した。
佐渡金山を巡っては委員国でもある韓国が朝鮮半島出身者の強制労働があったとし、登録に反対していた経緯がある。政府関係者によると、日本側が佐渡市内の博物館で朝鮮半島出身者を含む鉱山の労働者に関する新たな展示を始めることなどを決め、韓国側と合意に至った。
27日の世界遺産委員会では、韓国を含む全会一致で登録が決議された。
佐渡金山は「西三川(にしみかわ)砂金山」と「相川鶴子(つるし)金銀山」の2つで構成される日本を代表する金山の一つ。17世紀には世界最大級の金の生産地となり、1989年まで操業を続けていた。採掘や精錬などの遺構、鉱山集落跡などが残る。
佐渡金山の価値は人力による独自の鉱山技術によって、機械化された鉱山を上回る質・量の金を生み出したことにあるとされる。
航海時代を迎えた15〜16世紀、欧州を中心に機械化が進んだ。鉱石の運搬や排水などに機械を導入。化学薬品の使用も広がった。
一方、佐渡金山は江戸幕府の下で本格的に開発が始まり、鎖国政策が敷かれるなかで諸外国との交流を制限された結果、手工業による金生産システムが19世紀半ばまで続いた。幕府は国内各地から技術者を集め、生産技術の向上をはかった。
17世紀前半には世界の2割の金を日本が生産し、国内の半分を佐渡島で産出するなど、国際的にも認知度が高かったという。純度は99.54%までに到達した。
相川では地表の金銀鉱脈を人力のみで掘り取る大規模な「露頭掘り」が行われた。巨大な鉱脈を掘り進めた結果、山がV字型に割れたような景観が生まれ、「道遊の割戸」として知られている。
露頭掘りのほかにも、山を崩して大量の水で洗い流して砂の中から砂金を選び取る「大流し」や、山の横からトンネルを掘り進める「坑道掘り」も実施。それぞれの特性に応じた集落が形成された。
採掘以降も細かな手作業が施された。鉱石を鉄のハンマーで砕き、石臼ですりつぶして砂状にした後、水槽に入れて軽い砂と重い金銀分に分けて回収した。
精錬の作業では、まず金銀と鉛を炭火で溶かして合金を作る。鉄鍋で加熱すると鉛が灰に染み込んで金銀だけが残り、金銀を分けるために塩を混ぜて加熱するなどした。
各地から集まった技術者により、信仰、祭礼など多様な民族文化も生まれ、歌や神事は現在も受け継がれている。
世界遺産への登録が決まったことを受け、地元の新潟県や佐渡市などは観光客増への期待を膨らませる。
坑道跡や採掘施設などは良好な状態で保全されており、国の重要文化財などに指定されている。観光客向けに、坑道内を歩きながらガイドから歴史を学んだり、幻想的なプロジェクションマッピングを楽しんだりするツアーのほか、皿に金箔を貼るといったワークショップなどが行われてきた。
日本政策投資銀行は2021年、19年に50万人弱だった佐渡金山の来訪者数が登録1年後に70万人弱に増えるとの試算を公表した。
経済効果については、ホテルなどの売り上げ増といった直接効果に加え、食材を供給する農家や漁師の売り上げも拡大するなどの間接効果もあり、登録1年後に期待される佐渡市への経済波及効果(生産誘発額)は、約520億円になるという。
同時に、観光客の旅行消費などにより期待される入湯税や固定資産税など同市税収への効果(登録1年後)は、約8億円になると想定している。
地域航空会社のトキエア(新潟市)は島と首都圏を結ぶ路線を24年中に就航することを目指している。現在は新潟市などから船で移動する必要があり、実現すればアクセスが格段に改善される。
(大元裕行、斎藤さやか)
分析・考察
極めて喜ばしいニュースです。何より私が注目したのは、韓国からの支持が得られたことです。
2022年の時点で韓国の反対で断念した経緯もありますが、佐渡金山登録の問題が、「韓国海軍レーダー照射問題」などと並んで日韓関係改善の妨げとなっていました。
6月にレーダー照射問題でも解決が図られたのに続き、今回の佐渡金山登録が実現したことで、両国関係の一層の前進に弾みをつけたいところです。
これらの合意には双方の難しい妥協があったと思いますが、日韓両国がこれを前向きに活かして、日韓関係を進展させていくことを期待します。
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ひとこと解説
地元の熱意はもちろんですが、この種の情報戦やロビー活動が巧みな韓国との関係改善が効いています。
ただこの後も大事です。記事に「日本側が佐渡市内の博物館で朝鮮半島出身の労働者に関する新たな展示を始めることなどを決め、韓国側と合意に至った」とあるように、今回の合意は「現場展示」が決め手になったからです。
2015年の端島炭鉱(軍艦島)を含む「明治の産業革命遺産」の世界文化遺産登録の際に、日韓両政府は日本側が「犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」をとることで合意しながら、展示施設の場所(東京)や展示内容をめぐり韓国側に大きな不満を残す結果になりました。
今回は最後まできちんとまとめてほしいと思います。
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