風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

宮城の里と会津の旅 1-1

2018-09-12 | 東北
● prologue

先日、共通の友人つながりで、ルビーと知り合いました。
私は中2・中3を宮城の多賀城で過ごしましたが、彼女も中2で同じ学校に転校してきたとのこと。
「始業式の日、一緒に説明を受けた転校生たちの中に、私たちいたんだね」
そう言われましたが、はてさて、全く覚えていません。
同い年なのに、記憶力の差が…。

思春期の転校生って、ハードモード。我ながら、よくグレなかったと思います。
多賀城には2年しかいませんでしたが、中3でまた転校していった彼女は、私よりも短い滞在でした。
それでも彼女はグレていません。早まらなくてよかったです。

彼女の多賀城一の仲良しが、私の友人ひさっぺと知って、盛り上がりました。
ひさっぺは、2年でルビー、3年で私と同じクラスだったのです。
「ちょうど8月末に彼女に会いに行くから、よかったら一緒に行かない?」と誘ってもらいました。
「えっ、まさか、本当に?」と驚いていたら、ひさっぺからも「二人、友達なの?びっくり!一緒においでよ」と誘ってもらいました。
なかなかないすごい偶然に、とんとん拍子!
思わぬ巡り合わせが嬉しくて、一緒に多賀城に行くことにしました。

仙台まで新幹線かな?と思っていたら、ルビーは車を運転していくと言います。
えっ、行けるの?
仙台に車で行くという発想がなかった私。
「一緒に乗って行かない?」と誘ってもらいました。
私、ラッキーすぎるんじゃないかしら。ドライブも含めて、いろいろ楽しみです。

● 電車で東京超え

当日は早朝起床。
朝に1本だけ走っている、最寄り駅からの直行便に乗って、彼女の住む埼玉まで向かいました。
平日5時台の電車はがら空きかと思ったら、結構人が多く、空いている席は1、2席といったところ。
みんな出勤時間が早いのね。

乗り換えの必要がないので、安心してうつらうつらしていきます。
電車はどんどん混んでいきましたが、渋谷で潮が引くようにざーっと人がいなくなります。
これまで上りだったのが、ここからは下り。
2つ前のみずほ台駅で目を覚まし、(こんな駅名だったかな)とうっかり降りかけました。
7時ちょうどに、東武鉄道東上本線ふじみ野駅で下車。

● 転校生同士の再会

駅前でルビーと落ち合いました。
当日まで、頻繁にやり取りはしていたものの、実際に会うのは初めてで、ドキドキ。
でも、ひと目顔を見た瞬間、(あ、知ってる顔だわ)と思いました。
「だって中2の時、隣のクラスだったもんね」
記憶はおぼろですが、転校生同士、話をしたこともあるはずです。

最初の挨拶をしてから助手席に乗り込んで、さっそく出発!
三芳スマートICから高速に入りました。



横浜から北にドライブするとき、東京の渋滞を抜けるのが大変ですが、電車で埼玉まで来てしまうと、あとは下りになるため、混む心配はありません。
いろんな話をしながら、快調にドライブしていきます。

リラックスしながら、ふと運転席を見ると、速度メーターは110キロを指していました。
けっこう出てるのね!
そんな感じはしないので、つまり彼女は運転が上手です。

出発した時は青空が見えていましたが、次第に雲が多くなってきました。
途中で突然大雨が降って、水の中を進む感じになりましたが、それでも速度は落ちていません。
そして、ちらちら見るたびに、メーターは同じメモリを指したまま。
君の身体の中にはコンピュータが入っているのかい?

● 一気に菅生へ

「私、かなりずっと行けるけど、疲れたら休憩するから言ってね」とルビー。
いやいやそんな、と思いましたが、途中も疲れた様子は見えません。
助手席の私が疲れるはずもなく、話も弾んで、どんどん先に進んでいきます。

途中、菅生SAに寄りました。二人とも知らない場所です。
「なんて読むの?すがお?」
「あそこに書いてあるね。SUGO...すごうだって」
「今どこなんだろう?」「福島かな?」



でも、壁面にデカデカと三日月が描かれています。あれは伊達政宗の兜では?
中に入ると、伊達推しのお土産ばかり。笹かまやずんだ餅とか。
「ここ、もう宮城なんじゃない・・・?」



カーナビは、目的地の多賀城まであと30分弱だと教えてくれます。
「そんなにすぐなの? ちょっとおかしくない?」
と言っていたら、あっという間に仙台市に入りました。
つまり私たち、埼玉からノンストップで一気に宮城入りしたことになります。
すごいわ、ルビー。

「宮城に入ったよー、ワー!」と盛り上がって、そろそろ降りる場所を探し始めます。
仙台港や仙台空港の表示は出てきますが、
「多賀城って、出ないよね?」
「仙台港って、仙台市じゃなくて、七ヶ浜町(宮城郡)の方になかったっけ?」
「仙台港と新港って、違ったっけ?」「えっ、なにそれ?」
降りる場所にアタフタする私たち。

● 多賀城の赤い橋

お互い転校生で、多賀城に1、2年しか住んでいなかったので、わかってるようでわかっていません。
「あれれー?」と言っているうちに仙台港は過ぎ、その後にようやく多賀城の標識が出てきました。

ああよかった。
「多賀城のインターチェンジって、最近できたんだよね」
「そうなのね。逆に今までなかったんだ」
2016年にできたばかりだそうです。市民はぐっと使いやすくなりましたね。
ちなみに仙台港は、仙台市・多賀城市・七ヶ浜町にまたがっており、仙台港ICは仙台市内にありました。

また、仙台港と仙台新港は同じだそうです。
うっかりそこで降りなくて良かった!

普通道に入ると、見慣れた赤い欄干の、新市川橋が近づいてきました。
多賀城は奈良時代から古代政庁があったところ。
その多賀城跡を取り巻く遺跡の一つ、市川橋遺跡があるところです。
ここを渡ると、多賀城に戻ってきたなあと思います。



ひさっぺ宅への道の途中、多賀城址の前を通りました。
そばに、芭蕉も訪れた壺の碑(いしぶみ)があります。
これは、多賀城のマンホールにも描かれています。



いったん上がった雨は、また降り出して大雨になっています。
「今日は松島の夕日を見たいのにー」と嘆くルビー。
「お互い雨女じゃないんだし、大丈夫だよ」と期待する私。

● 友人宅とマンモス坂

ひさっぺの家へ到着しました。旦那さんも迎えてくれます。
私は2年ぶりの再会ですが、ルビーは十数年ぶりだそう。
「思ったより早く着いたね」とひさっぺ。
「ルビーがサーッと連れてきてくれたから。走りっぱなしで疲れたでしょう?」と聞くと、
「ちっとも。前に行った新潟より近いし」とさらっと返す彼女。
私が運転したら、ぐったりして夜までバタンキューでしょう。

宮城は19度。ずっと35度近い猛暑日が続いていたので嬉しいですが、急激な気温の変化に身体が冷えてびっくりしています。
暖かいおうちランチをごちそうになりました。
ゆっくりしてから、今度はひさっぺの車に乗せてもらって、出発です。

「ここ、マンモス坂だよ。今から降りまーす」
言われて思い出しました。マンモス坂!なつかしい!
雪が積もれば通行止めになる場所です。
なぜマンモスの坂というんでしょう?超、急な坂って意味なんでしょうか。

気になって、調べてみました。
宮城県一の急勾配だそうです。約150メートルの坂道で、平均勾配12%。
頂上付近の勾配は30%の急斜面だそう。
30%って・・・ありえなくない!!??

象の鼻にたとえて「マンモス坂」と呼ばれるとのこと。
なるほど。「マンモスうれピー!」的な意味ではなく、象よりすごいマンモスってことなんですねー。
ワーワー興奮しながら通っていたので、画像は撮っていません。
急斜面に驚いて、座席にしがみついていたので、カメラを出すどころではありませんでした!
機会があれば、実際に通ってみて下さい。

● 母校訪問

坂を下りて向かったのは、私たちの母校、多賀城中学校。
建ってから40周年だそうですが、通っていた当時と全く変わっていません。
でも、水回りはかなり改修しているそうです。



ちょうど授業が終わって、部活の時間に変わる頃。
廊下を通る学生たちは、口々に「こんにちは」と声をかけてくれます。
まあ、なんて礼儀正しいんでしょう!
フレッシュな後輩たちに、ニコニコします。

私たちの頃は、学校にヤンキーっぽい人がたくさんいました。
卒業アルバムを見返すと、なかなかワイルドです。
それでも結構楽しくやっていました。
先生に向かっては本気でやんちゃだった子も、級友には親切で、今でも気のいい友人です。

中学校の隣にあった派出所がなくなっていることにも驚きました。
「駅前に移動したんだよ」
これまで、駅前に交番がなかったの!それって不便じゃなかったの?

それは、多賀城中の治安が良くなったからだろうと思います。
だって私のチャーミングな友人は、中学卒業式の日に学校の前で流血沙汰を起こして、警察のお世話になったから…。
(本人もきっと読んでくれているので、これ以上は書けませーん!)



正門の入り口には、「和」と刻まれた大きな玉がありました。
当時からあった気がしますが、ひさっぺもルビーも「えー、記憶にないー」と言います。
…自信なくなってきた―。



「教室、中校舎だった?」
懐かしい、その響き。
ここは1学年13クラスもあるマンモス校で(またもやマンモス)、100m廊下のある校舎が3つ並んでおり、要塞のようでした。
音楽室や理科室に移動するとき、校舎を間違えると迷ってしまったものです。



多賀城中学校の航空写真です。
上から見ると、3つの校舎がはっきりわかります。
私たちが入った正門は、ピンクの点の辺りです。

ちなみに、左の黄丸が交番があった場所で、上の茶丸は消防署です。
中学校のめちゃ隣!やっぱり見張られてたのかも!?

下の緑丸は多賀城公園(後出)、右の緑丸は、翌日訪れるガスト(後出)です。



震災後には校庭に仮設住宅ができていましたが、さすがに今はすべて撤去されていました。
体育館(黒い屋根)が新しくなっていました。

後にも先にも、マンモス校はここだけでした。
転校する前の中学は、7、8クラスだったし。
小学校に至っては、2クラスしかありませんでしたから。



中学校の向かいには、多賀城公園が広がります。
うっそうとした小高い丘になっているこの場所で、ブラスバンド部だった私は、毎日地獄のトレーニングをしていたものです。
演奏ではなくて坂道フルダッシュとかのトレーニングを…。なぜ…?

● 元住んでいたところ

母校を懐かしんでから、再び車に乗り、次は私のリクエストで、前に住んでいた家の前を通ってもらいました。
広い平屋に変わっており、駐車場は木のシャッター。
今どき平屋住まいなんて、リッチな人が住んでるんでしょうねー。



● 塩釜のしおがま

車は隣町の、塩釜を通っていきます。



干菓子の『志ほか満(しおがま)』のお店、丹六園。
古めかしいこの門構えが好きです。

● 松島の奥

それから松島へ向かいました。結構距離がありますが、3人でおしゃべりしていたら、すぐに着いた感じ。
雨は止む気配もなく、どんどん降ってきますが、結構観光客が多く、にぎわっています。

松島はルビーのリクエスト。遊覧船に乗って夕日を観たがっていましたが、雨が強いため、みんなためらいます。
「遊覧船はどうしようね」「島がかすんで見えないね」と言いながら、車はそのまま先に進んでいきました。

いつしか、私のリクエストの奥松島の方へ。
どんどん松島の奥に入っていくと、見覚えのある道にさしかかりました。



● のびる海岸

ここは野蒜(のびる)海岸。
震災1年後に視察で訪れた場所なので、道を覚えています。

前はがれきが散乱する、荒れ果てた場所でしたが、今はがれきは撤去され、雑草が伸び邦題です。
住民はほとんど戻ってきていません。



何もない場所に突然現れた建物。
震災復興メモリアルパークです。



建物の前の橋を渡ると、川はずいぶん増水していました。
震災の時の、津波で川が逆流した映像を思い出して、知らず緊張してしまいます。

● 復元された野蒜駅

かつてあった場所に復元された、野蒜駅の駅舎。
元の駅は津波に呑み込まれてもうありません。



現在の仙石線の線路はもっと内陸の方に新しく敷かれており、ここからは見えません。



以前はホームから海が眺められたのでしょう。
今、海岸沿いは土地の底上げ工事が行われており、近寄れなくなっています。



● 野蒜マップ

この辺りの地図。今いる旧駅は赤い「現在地」。
その右上に、新しくできた駅が見えます。
その下のカーブを描いた海沿い一帯は、野蒜海岸です。



● 震災復興メモリアルパーク

駅舎の前に、震災復興メモリアルパークがありました。



「以前、駅があったところは、コンビニになってるよ」とひさっぺの旦那さんに教えてもらった通り、左側はファミマになっています。



右側は、2階建ての震災復興館でした。



外の壁にある青いパネルは、到達した津波の高さを示しています。
車よりもはるかに高い位置にありました。



建物の中に入ってみることにします。

その2に続きます。



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アネッティワールド)
2018-10-03 18:12:46
埼玉から仙台まで一気にドライブですか?!
タフですね。
何キロあるんだろう?
500?400?結構ありますよね。

震災復興メモリアルパーク、
前に立つと涙が出そうです。
返信する
アネッティさんへ (リカ)
2018-10-04 19:47:46
ザックリ調べたら、400キロ弱のようです。
うーん、すごい!(゜o゜;

中2の時にクラスのみんなとキャンプに行った海岸なので、変わり果てた場所に立つと、やっぱり切なすぎる思いはあります。

でも、以前の自然豊かな環境に、長い時間をかけて戻っていってくれると信じてもいます~!
返信する

post a comment