● prologue
先日、共通の友人つながりで、ルビーと知り合いました。
私は中2・中3を宮城の多賀城で過ごしましたが、彼女も中2で同じ学校に転校してきたとのこと。
「始業式の日、一緒に説明を受けた転校生たちの中に、私たちいたんだね」
そう言われましたが、はてさて、全く覚えていません。
同い年なのに、記憶力の差が…。
思春期の転校生って、ハードモード。我ながら、よくグレなかったと思います。
多賀城には2年しかいませんでしたが、中3でまた転校していった彼女は、私よりも短い滞在でした。
それでも彼女はグレていません。早まらなくてよかったです。
彼女の多賀城一の仲良しが、私の友人ひさっぺと知って、盛り上がりました。
ひさっぺは、2年でルビー、3年で私と同じクラスだったのです。
「ちょうど8月末に彼女に会いに行くから、よかったら一緒に行かない?」と誘ってもらいました。
「えっ、まさか、本当に?」と驚いていたら、ひさっぺからも「二人、友達なの?びっくり!一緒においでよ」と誘ってもらいました。
なかなかないすごい偶然に、とんとん拍子!
思わぬ巡り合わせが嬉しくて、一緒に多賀城に行くことにしました。
仙台まで新幹線かな?と思っていたら、ルビーは車を運転していくと言います。
えっ、行けるの?
仙台に車で行くという発想がなかった私。
「一緒に乗って行かない?」と誘ってもらいました。
私、ラッキーすぎるんじゃないかしら。ドライブも含めて、いろいろ楽しみです。
● 電車で東京超え
当日は早朝起床。
朝に1本だけ走っている、最寄り駅からの直行便に乗って、彼女の住む埼玉まで向かいました。
平日5時台の電車はがら空きかと思ったら、結構人が多く、空いている席は1、2席といったところ。
みんな出勤時間が早いのね。
乗り換えの必要がないので、安心してうつらうつらしていきます。
電車はどんどん混んでいきましたが、渋谷で潮が引くようにざーっと人がいなくなります。
これまで上りだったのが、ここからは下り。
2つ前のみずほ台駅で目を覚まし、(こんな駅名だったかな)とうっかり降りかけました。
7時ちょうどに、東武鉄道東上本線ふじみ野駅で下車。
● 転校生同士の再会
駅前でルビーと落ち合いました。
当日まで、頻繁にやり取りはしていたものの、実際に会うのは初めてで、ドキドキ。
でも、ひと目顔を見た瞬間、(あ、知ってる顔だわ)と思いました。
「だって中2の時、隣のクラスだったもんね」
記憶はおぼろですが、転校生同士、話をしたこともあるはずです。
最初の挨拶をしてから助手席に乗り込んで、さっそく出発!
三芳スマートICから高速に入りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/94/8efeffbaf26b0c0fb0af05c39f873e12.jpg)
横浜から北にドライブするとき、東京の渋滞を抜けるのが大変ですが、電車で埼玉まで来てしまうと、あとは下りになるため、混む心配はありません。
いろんな話をしながら、快調にドライブしていきます。
リラックスしながら、ふと運転席を見ると、速度メーターは110キロを指していました。
けっこう出てるのね!
そんな感じはしないので、つまり彼女は運転が上手です。
出発した時は青空が見えていましたが、次第に雲が多くなってきました。
途中で突然大雨が降って、水の中を進む感じになりましたが、それでも速度は落ちていません。
そして、ちらちら見るたびに、メーターは同じメモリを指したまま。
君の身体の中にはコンピュータが入っているのかい?
● 一気に菅生へ
「私、かなりずっと行けるけど、疲れたら休憩するから言ってね」とルビー。
いやいやそんな、と思いましたが、途中も疲れた様子は見えません。
助手席の私が疲れるはずもなく、話も弾んで、どんどん先に進んでいきます。
途中、菅生SAに寄りました。二人とも知らない場所です。
「なんて読むの?すがお?」
「あそこに書いてあるね。SUGO...すごうだって」
「今どこなんだろう?」「福島かな?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b9/3be70ec3f3a2d0ed2498e658cb490b8d.jpg)
でも、壁面にデカデカと三日月が描かれています。あれは伊達政宗の兜では?
中に入ると、伊達推しのお土産ばかり。笹かまやずんだ餅とか。
「ここ、もう宮城なんじゃない・・・?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/14/fd15e9f428cbbf9ef2e41153ad9d34a1.jpg)
カーナビは、目的地の多賀城まであと30分弱だと教えてくれます。
「そんなにすぐなの? ちょっとおかしくない?」
と言っていたら、あっという間に仙台市に入りました。
つまり私たち、埼玉からノンストップで一気に宮城入りしたことになります。
すごいわ、ルビー。
「宮城に入ったよー、ワー!」と盛り上がって、そろそろ降りる場所を探し始めます。
仙台港や仙台空港の表示は出てきますが、
「多賀城って、出ないよね?」
「仙台港って、仙台市じゃなくて、七ヶ浜町(宮城郡)の方になかったっけ?」
「仙台港と新港って、違ったっけ?」「えっ、なにそれ?」
降りる場所にアタフタする私たち。
● 多賀城の赤い橋
お互い転校生で、多賀城に1、2年しか住んでいなかったので、わかってるようでわかっていません。
「あれれー?」と言っているうちに仙台港は過ぎ、その後にようやく多賀城の標識が出てきました。
ああよかった。
「多賀城のインターチェンジって、最近できたんだよね」
「そうなのね。逆に今までなかったんだ」
2016年にできたばかりだそうです。市民はぐっと使いやすくなりましたね。
ちなみに仙台港は、仙台市・多賀城市・七ヶ浜町にまたがっており、仙台港ICは仙台市内にありました。
また、仙台港と仙台新港は同じだそうです。
うっかりそこで降りなくて良かった!
普通道に入ると、見慣れた赤い欄干の、新市川橋が近づいてきました。
多賀城は奈良時代から古代政庁があったところ。
その多賀城跡を取り巻く遺跡の一つ、市川橋遺跡があるところです。
ここを渡ると、多賀城に戻ってきたなあと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/93/890e595160fea5fb6c6b8b4793e14acf.jpg)
ひさっぺ宅への道の途中、多賀城址の前を通りました。
そばに、芭蕉も訪れた壺の碑(いしぶみ)があります。
これは、多賀城のマンホールにも描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/df/ccd9a60989219a898c28ea6afb9c63cd.jpg)
いったん上がった雨は、また降り出して大雨になっています。
「今日は松島の夕日を見たいのにー」と嘆くルビー。
「お互い雨女じゃないんだし、大丈夫だよ」と期待する私。
● 友人宅とマンモス坂
ひさっぺの家へ到着しました。旦那さんも迎えてくれます。
私は2年ぶりの再会ですが、ルビーは十数年ぶりだそう。
「思ったより早く着いたね」とひさっぺ。
「ルビーがサーッと連れてきてくれたから。走りっぱなしで疲れたでしょう?」と聞くと、
「ちっとも。前に行った新潟より近いし」とさらっと返す彼女。
私が運転したら、ぐったりして夜までバタンキューでしょう。
宮城は19度。ずっと35度近い猛暑日が続いていたので嬉しいですが、急激な気温の変化に身体が冷えてびっくりしています。
暖かいおうちランチをごちそうになりました。
ゆっくりしてから、今度はひさっぺの車に乗せてもらって、出発です。
「ここ、マンモス坂だよ。今から降りまーす」
言われて思い出しました。マンモス坂!なつかしい!
雪が積もれば通行止めになる場所です。
なぜマンモスの坂というんでしょう?超、急な坂って意味なんでしょうか。
気になって、調べてみました。
宮城県一の急勾配だそうです。約150メートルの坂道で、平均勾配12%。
頂上付近の勾配は30%の急斜面だそう。
30%って・・・ありえなくない!!??
象の鼻にたとえて「マンモス坂」と呼ばれるとのこと。
なるほど。「マンモスうれピー!」的な意味ではなく、象よりすごいマンモスってことなんですねー。
ワーワー興奮しながら通っていたので、画像は撮っていません。
急斜面に驚いて、座席にしがみついていたので、カメラを出すどころではありませんでした!
機会があれば、実際に通ってみて下さい。
● 母校訪問
坂を下りて向かったのは、私たちの母校、多賀城中学校。
建ってから40周年だそうですが、通っていた当時と全く変わっていません。
でも、水回りはかなり改修しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/52/25b084920dc5306b0cc091607c29a3af.jpg)
ちょうど授業が終わって、部活の時間に変わる頃。
廊下を通る学生たちは、口々に「こんにちは」と声をかけてくれます。
まあ、なんて礼儀正しいんでしょう!
フレッシュな後輩たちに、ニコニコします。
私たちの頃は、学校にヤンキーっぽい人がたくさんいました。
卒業アルバムを見返すと、なかなかワイルドです。
それでも結構楽しくやっていました。
先生に向かっては本気でやんちゃだった子も、級友には親切で、今でも気のいい友人です。
中学校の隣にあった派出所がなくなっていることにも驚きました。
「駅前に移動したんだよ」
これまで、駅前に交番がなかったの!それって不便じゃなかったの?
それは、多賀城中の治安が良くなったからだろうと思います。
だって私のチャーミングな友人は、中学卒業式の日に学校の前で流血沙汰を起こして、警察のお世話になったから…。
(本人もきっと読んでくれているので、これ以上は書けませーん!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/06/73f8254ce2eb75257b803eaa77e1a1d9.jpg)
正門の入り口には、「和」と刻まれた大きな玉がありました。
当時からあった気がしますが、ひさっぺもルビーも「えー、記憶にないー」と言います。
…自信なくなってきた―。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b8/7f8f57936827f34273841756dade5a6f.jpg)
「教室、中校舎だった?」
懐かしい、その響き。
ここは1学年13クラスもあるマンモス校で(またもやマンモス)、100m廊下のある校舎が3つ並んでおり、要塞のようでした。
音楽室や理科室に移動するとき、校舎を間違えると迷ってしまったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c1/a2fceb21fdc565091604c0e0fba3c9ff.jpg)
多賀城中学校の航空写真です。
上から見ると、3つの校舎がはっきりわかります。
私たちが入った正門は、ピンクの点の辺りです。
ちなみに、左の黄丸が交番があった場所で、上の茶丸は消防署です。
中学校のめちゃ隣!やっぱり見張られてたのかも!?
下の緑丸は多賀城公園(後出)、右の緑丸は、翌日訪れるガスト(後出)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/62/c078e5f56729baa3a89663290fd26cf0.jpg)
震災後には校庭に仮設住宅ができていましたが、さすがに今はすべて撤去されていました。
体育館(黒い屋根)が新しくなっていました。
後にも先にも、マンモス校はここだけでした。
転校する前の中学は、7、8クラスだったし。
小学校に至っては、2クラスしかありませんでしたから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c1/e9ab4eac015116a49f91e8b4b001f4b6.jpg)
中学校の向かいには、多賀城公園が広がります。
うっそうとした小高い丘になっているこの場所で、ブラスバンド部だった私は、毎日地獄のトレーニングをしていたものです。
演奏ではなくて坂道フルダッシュとかのトレーニングを…。なぜ…?
● 元住んでいたところ
母校を懐かしんでから、再び車に乗り、次は私のリクエストで、前に住んでいた家の前を通ってもらいました。
広い平屋に変わっており、駐車場は木のシャッター。
今どき平屋住まいなんて、リッチな人が住んでるんでしょうねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/43/09e8d47ac4b64f2d105d445f0e0f3ef0.jpg)
● 塩釜のしおがま
車は隣町の、塩釜を通っていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c5/59307c674c4c1dd9138e21b529ce6b42.jpg)
干菓子の『志ほか満(しおがま)』のお店、丹六園。
古めかしいこの門構えが好きです。
● 松島の奥
それから松島へ向かいました。結構距離がありますが、3人でおしゃべりしていたら、すぐに着いた感じ。
雨は止む気配もなく、どんどん降ってきますが、結構観光客が多く、にぎわっています。
松島はルビーのリクエスト。遊覧船に乗って夕日を観たがっていましたが、雨が強いため、みんなためらいます。
「遊覧船はどうしようね」「島がかすんで見えないね」と言いながら、車はそのまま先に進んでいきました。
いつしか、私のリクエストの奥松島の方へ。
どんどん松島の奥に入っていくと、見覚えのある道にさしかかりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/c8/90754c6467c893b9441d9cb252aba1aa.jpg)
● のびる海岸
ここは野蒜(のびる)海岸。
震災1年後に視察で訪れた場所なので、道を覚えています。
前はがれきが散乱する、荒れ果てた場所でしたが、今はがれきは撤去され、雑草が伸び邦題です。
住民はほとんど戻ってきていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c3/4eade7584ee3bb0b7948be495c5bd7af.jpg)
何もない場所に突然現れた建物。
震災復興メモリアルパークです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/0a3a4517962c82113033387b7381e1de.jpg)
建物の前の橋を渡ると、川はずいぶん増水していました。
震災の時の、津波で川が逆流した映像を思い出して、知らず緊張してしまいます。
● 復元された野蒜駅
かつてあった場所に復元された、野蒜駅の駅舎。
元の駅は津波に呑み込まれてもうありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/7d/f0b07118ea4623620131bea11a7fe268.jpg)
現在の仙石線の線路はもっと内陸の方に新しく敷かれており、ここからは見えません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/b0/fb0fe40f90760958e3cff9811e6eaaa7.jpg)
以前はホームから海が眺められたのでしょう。
今、海岸沿いは土地の底上げ工事が行われており、近寄れなくなっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b6/b1a938d70ed089980ec37ab33c4e9f2e.jpg)
● 野蒜マップ
この辺りの地図。今いる旧駅は赤い「現在地」。
その右上に、新しくできた駅が見えます。
その下のカーブを描いた海沿い一帯は、野蒜海岸です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/bf/e0a9cb177ee0b5dd83e09c6e5582c73f.jpg)
● 震災復興メモリアルパーク
駅舎の前に、震災復興メモリアルパークがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/18/2c3ba87f2b698bfc4036cbbbc5d9192b.jpg)
「以前、駅があったところは、コンビニになってるよ」とひさっぺの旦那さんに教えてもらった通り、左側はファミマになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e8/c9ec0c289b8a84d058ef7bbb182d3f3b.jpg)
右側は、2階建ての震災復興館でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a9/fa6acd38f8a953e554e0406c67f0cf18.jpg)
外の壁にある青いパネルは、到達した津波の高さを示しています。
車よりもはるかに高い位置にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/5bb68f4d10d73e3b9be8c15e847ca52f.jpg)
建物の中に入ってみることにします。
その2に続きます。
先日、共通の友人つながりで、ルビーと知り合いました。
私は中2・中3を宮城の多賀城で過ごしましたが、彼女も中2で同じ学校に転校してきたとのこと。
「始業式の日、一緒に説明を受けた転校生たちの中に、私たちいたんだね」
そう言われましたが、はてさて、全く覚えていません。
同い年なのに、記憶力の差が…。
思春期の転校生って、ハードモード。我ながら、よくグレなかったと思います。
多賀城には2年しかいませんでしたが、中3でまた転校していった彼女は、私よりも短い滞在でした。
それでも彼女はグレていません。早まらなくてよかったです。
彼女の多賀城一の仲良しが、私の友人ひさっぺと知って、盛り上がりました。
ひさっぺは、2年でルビー、3年で私と同じクラスだったのです。
「ちょうど8月末に彼女に会いに行くから、よかったら一緒に行かない?」と誘ってもらいました。
「えっ、まさか、本当に?」と驚いていたら、ひさっぺからも「二人、友達なの?びっくり!一緒においでよ」と誘ってもらいました。
なかなかないすごい偶然に、とんとん拍子!
思わぬ巡り合わせが嬉しくて、一緒に多賀城に行くことにしました。
仙台まで新幹線かな?と思っていたら、ルビーは車を運転していくと言います。
えっ、行けるの?
仙台に車で行くという発想がなかった私。
「一緒に乗って行かない?」と誘ってもらいました。
私、ラッキーすぎるんじゃないかしら。ドライブも含めて、いろいろ楽しみです。
● 電車で東京超え
当日は早朝起床。
朝に1本だけ走っている、最寄り駅からの直行便に乗って、彼女の住む埼玉まで向かいました。
平日5時台の電車はがら空きかと思ったら、結構人が多く、空いている席は1、2席といったところ。
みんな出勤時間が早いのね。
乗り換えの必要がないので、安心してうつらうつらしていきます。
電車はどんどん混んでいきましたが、渋谷で潮が引くようにざーっと人がいなくなります。
これまで上りだったのが、ここからは下り。
2つ前のみずほ台駅で目を覚まし、(こんな駅名だったかな)とうっかり降りかけました。
7時ちょうどに、東武鉄道東上本線ふじみ野駅で下車。
● 転校生同士の再会
駅前でルビーと落ち合いました。
当日まで、頻繁にやり取りはしていたものの、実際に会うのは初めてで、ドキドキ。
でも、ひと目顔を見た瞬間、(あ、知ってる顔だわ)と思いました。
「だって中2の時、隣のクラスだったもんね」
記憶はおぼろですが、転校生同士、話をしたこともあるはずです。
最初の挨拶をしてから助手席に乗り込んで、さっそく出発!
三芳スマートICから高速に入りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/94/8efeffbaf26b0c0fb0af05c39f873e12.jpg)
横浜から北にドライブするとき、東京の渋滞を抜けるのが大変ですが、電車で埼玉まで来てしまうと、あとは下りになるため、混む心配はありません。
いろんな話をしながら、快調にドライブしていきます。
リラックスしながら、ふと運転席を見ると、速度メーターは110キロを指していました。
けっこう出てるのね!
そんな感じはしないので、つまり彼女は運転が上手です。
出発した時は青空が見えていましたが、次第に雲が多くなってきました。
途中で突然大雨が降って、水の中を進む感じになりましたが、それでも速度は落ちていません。
そして、ちらちら見るたびに、メーターは同じメモリを指したまま。
君の身体の中にはコンピュータが入っているのかい?
● 一気に菅生へ
「私、かなりずっと行けるけど、疲れたら休憩するから言ってね」とルビー。
いやいやそんな、と思いましたが、途中も疲れた様子は見えません。
助手席の私が疲れるはずもなく、話も弾んで、どんどん先に進んでいきます。
途中、菅生SAに寄りました。二人とも知らない場所です。
「なんて読むの?すがお?」
「あそこに書いてあるね。SUGO...すごうだって」
「今どこなんだろう?」「福島かな?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b9/3be70ec3f3a2d0ed2498e658cb490b8d.jpg)
でも、壁面にデカデカと三日月が描かれています。あれは伊達政宗の兜では?
中に入ると、伊達推しのお土産ばかり。笹かまやずんだ餅とか。
「ここ、もう宮城なんじゃない・・・?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/14/fd15e9f428cbbf9ef2e41153ad9d34a1.jpg)
カーナビは、目的地の多賀城まであと30分弱だと教えてくれます。
「そんなにすぐなの? ちょっとおかしくない?」
と言っていたら、あっという間に仙台市に入りました。
つまり私たち、埼玉からノンストップで一気に宮城入りしたことになります。
すごいわ、ルビー。
「宮城に入ったよー、ワー!」と盛り上がって、そろそろ降りる場所を探し始めます。
仙台港や仙台空港の表示は出てきますが、
「多賀城って、出ないよね?」
「仙台港って、仙台市じゃなくて、七ヶ浜町(宮城郡)の方になかったっけ?」
「仙台港と新港って、違ったっけ?」「えっ、なにそれ?」
降りる場所にアタフタする私たち。
● 多賀城の赤い橋
お互い転校生で、多賀城に1、2年しか住んでいなかったので、わかってるようでわかっていません。
「あれれー?」と言っているうちに仙台港は過ぎ、その後にようやく多賀城の標識が出てきました。
ああよかった。
「多賀城のインターチェンジって、最近できたんだよね」
「そうなのね。逆に今までなかったんだ」
2016年にできたばかりだそうです。市民はぐっと使いやすくなりましたね。
ちなみに仙台港は、仙台市・多賀城市・七ヶ浜町にまたがっており、仙台港ICは仙台市内にありました。
また、仙台港と仙台新港は同じだそうです。
うっかりそこで降りなくて良かった!
普通道に入ると、見慣れた赤い欄干の、新市川橋が近づいてきました。
多賀城は奈良時代から古代政庁があったところ。
その多賀城跡を取り巻く遺跡の一つ、市川橋遺跡があるところです。
ここを渡ると、多賀城に戻ってきたなあと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/93/890e595160fea5fb6c6b8b4793e14acf.jpg)
ひさっぺ宅への道の途中、多賀城址の前を通りました。
そばに、芭蕉も訪れた壺の碑(いしぶみ)があります。
これは、多賀城のマンホールにも描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/df/ccd9a60989219a898c28ea6afb9c63cd.jpg)
いったん上がった雨は、また降り出して大雨になっています。
「今日は松島の夕日を見たいのにー」と嘆くルビー。
「お互い雨女じゃないんだし、大丈夫だよ」と期待する私。
● 友人宅とマンモス坂
ひさっぺの家へ到着しました。旦那さんも迎えてくれます。
私は2年ぶりの再会ですが、ルビーは十数年ぶりだそう。
「思ったより早く着いたね」とひさっぺ。
「ルビーがサーッと連れてきてくれたから。走りっぱなしで疲れたでしょう?」と聞くと、
「ちっとも。前に行った新潟より近いし」とさらっと返す彼女。
私が運転したら、ぐったりして夜までバタンキューでしょう。
宮城は19度。ずっと35度近い猛暑日が続いていたので嬉しいですが、急激な気温の変化に身体が冷えてびっくりしています。
暖かいおうちランチをごちそうになりました。
ゆっくりしてから、今度はひさっぺの車に乗せてもらって、出発です。
「ここ、マンモス坂だよ。今から降りまーす」
言われて思い出しました。マンモス坂!なつかしい!
雪が積もれば通行止めになる場所です。
なぜマンモスの坂というんでしょう?超、急な坂って意味なんでしょうか。
気になって、調べてみました。
宮城県一の急勾配だそうです。約150メートルの坂道で、平均勾配12%。
頂上付近の勾配は30%の急斜面だそう。
30%って・・・ありえなくない!!??
象の鼻にたとえて「マンモス坂」と呼ばれるとのこと。
なるほど。「マンモスうれピー!」的な意味ではなく、象よりすごいマンモスってことなんですねー。
ワーワー興奮しながら通っていたので、画像は撮っていません。
急斜面に驚いて、座席にしがみついていたので、カメラを出すどころではありませんでした!
機会があれば、実際に通ってみて下さい。
● 母校訪問
坂を下りて向かったのは、私たちの母校、多賀城中学校。
建ってから40周年だそうですが、通っていた当時と全く変わっていません。
でも、水回りはかなり改修しているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/52/25b084920dc5306b0cc091607c29a3af.jpg)
ちょうど授業が終わって、部活の時間に変わる頃。
廊下を通る学生たちは、口々に「こんにちは」と声をかけてくれます。
まあ、なんて礼儀正しいんでしょう!
フレッシュな後輩たちに、ニコニコします。
私たちの頃は、学校にヤンキーっぽい人がたくさんいました。
卒業アルバムを見返すと、なかなかワイルドです。
それでも結構楽しくやっていました。
先生に向かっては本気でやんちゃだった子も、級友には親切で、今でも気のいい友人です。
中学校の隣にあった派出所がなくなっていることにも驚きました。
「駅前に移動したんだよ」
これまで、駅前に交番がなかったの!それって不便じゃなかったの?
それは、多賀城中の治安が良くなったからだろうと思います。
だって私のチャーミングな友人は、中学卒業式の日に学校の前で流血沙汰を起こして、警察のお世話になったから…。
(本人もきっと読んでくれているので、これ以上は書けませーん!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/06/73f8254ce2eb75257b803eaa77e1a1d9.jpg)
正門の入り口には、「和」と刻まれた大きな玉がありました。
当時からあった気がしますが、ひさっぺもルビーも「えー、記憶にないー」と言います。
…自信なくなってきた―。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b8/7f8f57936827f34273841756dade5a6f.jpg)
「教室、中校舎だった?」
懐かしい、その響き。
ここは1学年13クラスもあるマンモス校で(またもやマンモス)、100m廊下のある校舎が3つ並んでおり、要塞のようでした。
音楽室や理科室に移動するとき、校舎を間違えると迷ってしまったものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c1/a2fceb21fdc565091604c0e0fba3c9ff.jpg)
多賀城中学校の航空写真です。
上から見ると、3つの校舎がはっきりわかります。
私たちが入った正門は、ピンクの点の辺りです。
ちなみに、左の黄丸が交番があった場所で、上の茶丸は消防署です。
中学校のめちゃ隣!やっぱり見張られてたのかも!?
下の緑丸は多賀城公園(後出)、右の緑丸は、翌日訪れるガスト(後出)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/62/c078e5f56729baa3a89663290fd26cf0.jpg)
震災後には校庭に仮設住宅ができていましたが、さすがに今はすべて撤去されていました。
体育館(黒い屋根)が新しくなっていました。
後にも先にも、マンモス校はここだけでした。
転校する前の中学は、7、8クラスだったし。
小学校に至っては、2クラスしかありませんでしたから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c1/e9ab4eac015116a49f91e8b4b001f4b6.jpg)
中学校の向かいには、多賀城公園が広がります。
うっそうとした小高い丘になっているこの場所で、ブラスバンド部だった私は、毎日地獄のトレーニングをしていたものです。
演奏ではなくて坂道フルダッシュとかのトレーニングを…。なぜ…?
● 元住んでいたところ
母校を懐かしんでから、再び車に乗り、次は私のリクエストで、前に住んでいた家の前を通ってもらいました。
広い平屋に変わっており、駐車場は木のシャッター。
今どき平屋住まいなんて、リッチな人が住んでるんでしょうねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/43/09e8d47ac4b64f2d105d445f0e0f3ef0.jpg)
● 塩釜のしおがま
車は隣町の、塩釜を通っていきます。
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干菓子の『志ほか満(しおがま)』のお店、丹六園。
古めかしいこの門構えが好きです。
● 松島の奥
それから松島へ向かいました。結構距離がありますが、3人でおしゃべりしていたら、すぐに着いた感じ。
雨は止む気配もなく、どんどん降ってきますが、結構観光客が多く、にぎわっています。
松島はルビーのリクエスト。遊覧船に乗って夕日を観たがっていましたが、雨が強いため、みんなためらいます。
「遊覧船はどうしようね」「島がかすんで見えないね」と言いながら、車はそのまま先に進んでいきました。
いつしか、私のリクエストの奥松島の方へ。
どんどん松島の奥に入っていくと、見覚えのある道にさしかかりました。
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● のびる海岸
ここは野蒜(のびる)海岸。
震災1年後に視察で訪れた場所なので、道を覚えています。
前はがれきが散乱する、荒れ果てた場所でしたが、今はがれきは撤去され、雑草が伸び邦題です。
住民はほとんど戻ってきていません。
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何もない場所に突然現れた建物。
震災復興メモリアルパークです。
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建物の前の橋を渡ると、川はずいぶん増水していました。
震災の時の、津波で川が逆流した映像を思い出して、知らず緊張してしまいます。
● 復元された野蒜駅
かつてあった場所に復元された、野蒜駅の駅舎。
元の駅は津波に呑み込まれてもうありません。
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現在の仙石線の線路はもっと内陸の方に新しく敷かれており、ここからは見えません。
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以前はホームから海が眺められたのでしょう。
今、海岸沿いは土地の底上げ工事が行われており、近寄れなくなっています。
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● 野蒜マップ
この辺りの地図。今いる旧駅は赤い「現在地」。
その右上に、新しくできた駅が見えます。
その下のカーブを描いた海沿い一帯は、野蒜海岸です。
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● 震災復興メモリアルパーク
駅舎の前に、震災復興メモリアルパークがありました。
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「以前、駅があったところは、コンビニになってるよ」とひさっぺの旦那さんに教えてもらった通り、左側はファミマになっています。
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右側は、2階建ての震災復興館でした。
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外の壁にある青いパネルは、到達した津波の高さを示しています。
車よりもはるかに高い位置にありました。
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建物の中に入ってみることにします。
その2に続きます。
タフですね。
何キロあるんだろう?
500?400?結構ありますよね。
震災復興メモリアルパーク、
前に立つと涙が出そうです。
うーん、すごい!(゜o゜;
中2の時にクラスのみんなとキャンプに行った海岸なので、変わり果てた場所に立つと、やっぱり切なすぎる思いはあります。
でも、以前の自然豊かな環境に、長い時間をかけて戻っていってくれると信じてもいます~!