今日は18日です
実は18日にしかお会いできない方に会って参りました。
それは葛井寺(ふじいでら)の十一面千手千眼観世音菩薩様です。
アドレスをクリックすると観音様が見られます。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/sitei/sitei-1.html
本堂に入ると、中は薄暗く、目が慣れるまでしばらくかかりましたが、次第に見えてくると、もう見とれてしまいました
私が思っていたよりも小さかったのですが、すごいパワーを感じました。
神亀2年(725年)に造られたとの事。
いったいこれまでの間に、何人の悩み願いを聞いてこられたのでしょう。
こんなにたくさんの手を持った観音様は初めて見ました。
千手観音は手を省略された物がほとんどですが、この葛井寺の観音様は実際に千本造られています。
姿をじーっと拝見していると、本当にどんな苦しみもその手で取り去ってくれそうです。
葛井寺は別名「あかん河内の葛井寺」と言うそうです。
「あかん」とは大阪弁。
「どうしようもない人間」、「どうしようも出来ない時」、そういう「あかん奴」に、「あかん時」に助けて下さるお寺だそうです。
仕事が休みの18日は、またお会いしたいです
↓こちらは境内に立っておられる専心龍乗観音像です。
素直な心でお願いすれば、願いを叶えてくれるそうです。
さて葛井寺を出ると、すぐ近くに辛国神社(からくにじんじゃ)があったので行ってみました。
鳥居を抜けると長い一本道。
緑がとても多くて、鳥の鳴き声や椿が、目を楽しませてくれました
本殿に到着です。
この神社の創設は今から1500年ほど前だそうです。
物部氏がこの地方を治める事になり、その祖神を祀った事が始まりだそうです。
物部氏は朝鮮半島で戦ったりもしているので、そこから来た物部氏一族の辛国連(からくにむらじ)がこの神社と深く関わるようになり、「辛国神社」となったようです。
☆連(むらじ)とは有力氏族に与えられた姓と言われている。物部氏や大伴氏が連を名乗っていた。
物部氏と言えば、聖徳太子の時代ですよね。
なんか考えるだけで、気が遠くなりそうです。
18日はもう一人の方とお会いできるので会ってきましたが、長くなりそうなので続きは次に。
葛井寺…大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
辛国神社…大阪府藤井寺市藤井寺1-19-14
実は18日にしかお会いできない方に会って参りました。
それは葛井寺(ふじいでら)の十一面千手千眼観世音菩薩様です。
アドレスをクリックすると観音様が見られます。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/sitei/sitei-1.html
本堂に入ると、中は薄暗く、目が慣れるまでしばらくかかりましたが、次第に見えてくると、もう見とれてしまいました
私が思っていたよりも小さかったのですが、すごいパワーを感じました。
神亀2年(725年)に造られたとの事。
いったいこれまでの間に、何人の悩み願いを聞いてこられたのでしょう。
こんなにたくさんの手を持った観音様は初めて見ました。
千手観音は手を省略された物がほとんどですが、この葛井寺の観音様は実際に千本造られています。
姿をじーっと拝見していると、本当にどんな苦しみもその手で取り去ってくれそうです。
葛井寺は別名「あかん河内の葛井寺」と言うそうです。
「あかん」とは大阪弁。
「どうしようもない人間」、「どうしようも出来ない時」、そういう「あかん奴」に、「あかん時」に助けて下さるお寺だそうです。
仕事が休みの18日は、またお会いしたいです
↓こちらは境内に立っておられる専心龍乗観音像です。
素直な心でお願いすれば、願いを叶えてくれるそうです。
さて葛井寺を出ると、すぐ近くに辛国神社(からくにじんじゃ)があったので行ってみました。
鳥居を抜けると長い一本道。
緑がとても多くて、鳥の鳴き声や椿が、目を楽しませてくれました
本殿に到着です。
この神社の創設は今から1500年ほど前だそうです。
物部氏がこの地方を治める事になり、その祖神を祀った事が始まりだそうです。
物部氏は朝鮮半島で戦ったりもしているので、そこから来た物部氏一族の辛国連(からくにむらじ)がこの神社と深く関わるようになり、「辛国神社」となったようです。
☆連(むらじ)とは有力氏族に与えられた姓と言われている。物部氏や大伴氏が連を名乗っていた。
物部氏と言えば、聖徳太子の時代ですよね。
なんか考えるだけで、気が遠くなりそうです。
18日はもう一人の方とお会いできるので会ってきましたが、長くなりそうなので続きは次に。
葛井寺…大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
辛国神社…大阪府藤井寺市藤井寺1-19-14