バス停からしばし戻る事数分で殿塚、姫塚古墳があります。間近で見るとかなりの規模であることがわかります。左に殿塚、右にひとまわり小振りの姫塚が仲良く並んでいる様は、埋葬者は男女関係ないと言われてもその名称は、言いえて妙だなぁ。と、感じました失礼して頂上に登らせて頂き辺りを見回しましたが予想より遥かに高く感じます。建造当時は、さぞ見通しが利いた事でしょう。それらから当時の埋葬者の統治力を伺い知る事が出来ます。
さて、これから博物館までどういうルートで移動しようと二人で思案していたところ、先ほどから古墳を撮影されていた男性から「どちらからいらっしゃったのですか」と、声をかけられました。東京から昨晩は成田に一泊しシャトルバスで、ここまで来た事を告げると「それは大変ですね」と、驚かれたご様子で私達の珍道中をお聞かせしたところ、なんと!これから行こうと思っていた「はにわ博物館」まで送迎して頂ける事になりました。(感謝)なんでも博物館の展示物やホームページの監修にご尽力を費やされているそうで、昨日訪れた「房総のむら」の友の会会員でもいらっしゃるそうです。博物館の周辺は、今でこそ整備された綺麗な公園となっていますが、古くからの住民は、この地が成田空港の航路上に位置するためその騒音公害で次々に移転されたそうで今でも民家がそのままの形で残されていました。また近くの古刹芝山仁王尊には、かつて門前に旅館が立ち並んで賑わいを見せていたそうですが、今では訪れるものも少なく当時の様子を伺い知ることは出来ません。
博物館までわざわざお送り頂いたお礼を述べたあと、我々は、早速博物館の岩屋を模した入り口をくぐると館内は、おびただしい埴輪の展示でした。
パネル展示の判りやすい解説と数多くの埴輪の展示に、サクラさんは、大満足の様子。数多くのパネル展示の中でも、一番興味を持ったのが姫塚で、発掘された「埴輪列」の解説でした。葬送の行列を現しているそうですが問題は「埴輪列が外側へ向かって置かれている事に着目!」という記述に興味を持ちました。自分也の今までの解釈では、埴輪とは「埋葬者への人身御供的」な意味合いが込められているものと思っていました。ですが、ここで見られる「埴輪列」は、呪術的な意味合いや「生きている人」へのメッセージで捉える事も必要だという事になります。前述で紹介した「顎鬚を生やした武人埴輪」もいかにも異国人のいでたちを連想します。残された謎がまだまだたくさん残されているようですが、これからの展開に期待したいところです。(写真 芝山町立 はにわ博物館)つづく
館内の埴輪 展示物の数々
さて、これから博物館までどういうルートで移動しようと二人で思案していたところ、先ほどから古墳を撮影されていた男性から「どちらからいらっしゃったのですか」と、声をかけられました。東京から昨晩は成田に一泊しシャトルバスで、ここまで来た事を告げると「それは大変ですね」と、驚かれたご様子で私達の珍道中をお聞かせしたところ、なんと!これから行こうと思っていた「はにわ博物館」まで送迎して頂ける事になりました。(感謝)なんでも博物館の展示物やホームページの監修にご尽力を費やされているそうで、昨日訪れた「房総のむら」の友の会会員でもいらっしゃるそうです。博物館の周辺は、今でこそ整備された綺麗な公園となっていますが、古くからの住民は、この地が成田空港の航路上に位置するためその騒音公害で次々に移転されたそうで今でも民家がそのままの形で残されていました。また近くの古刹芝山仁王尊には、かつて門前に旅館が立ち並んで賑わいを見せていたそうですが、今では訪れるものも少なく当時の様子を伺い知ることは出来ません。
博物館までわざわざお送り頂いたお礼を述べたあと、我々は、早速博物館の岩屋を模した入り口をくぐると館内は、おびただしい埴輪の展示でした。
パネル展示の判りやすい解説と数多くの埴輪の展示に、サクラさんは、大満足の様子。数多くのパネル展示の中でも、一番興味を持ったのが姫塚で、発掘された「埴輪列」の解説でした。葬送の行列を現しているそうですが問題は「埴輪列が外側へ向かって置かれている事に着目!」という記述に興味を持ちました。自分也の今までの解釈では、埴輪とは「埋葬者への人身御供的」な意味合いが込められているものと思っていました。ですが、ここで見られる「埴輪列」は、呪術的な意味合いや「生きている人」へのメッセージで捉える事も必要だという事になります。前述で紹介した「顎鬚を生やした武人埴輪」もいかにも異国人のいでたちを連想します。残された謎がまだまだたくさん残されているようですが、これからの展開に期待したいところです。(写真 芝山町立 はにわ博物館)つづく
館内の埴輪 展示物の数々
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