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【神社】薭田(ひえだ)神社・蒲田八幡神社@東京都大田区蒲田

2017-06-08 | 神社・仏閣
前回ご紹介のベトナム料理屋さんでランチの後せっかくなので、近隣を散策してみることにしました。
まず訪れたのがあやめ橋から呑川を渡り大森方面へ5分ほど歩いた場所に鎮座する薭田神社へ。

ここは、延喜式に名を連ねる古式ゆかしい格式を持つ一社です。

石鳥居 大田区内最古の鳥居だそうです。寛政十二年(1800)建立


「石鳥居」案内板(クリックして拡大)

拝殿 古くは江戸時代の創建で、戦火で消失。昭和二十九年(1954)に再建された後、さらに平成十二年(2000)に新造営されたそうです。

本殿 祭祀:誉田別命・天照大神・武内宿禰命・荒木田襲津彦命・春日大神
荒木田襲津彦命:聞いたことが無い神名ですが、襲津彦命は武内宿称命の御子・七男二女の中で第八子で母親は不明。荒木田襲津彦命は、日本書紀には葛城襲津彦と記されているそうです。
由緒:式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である、平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神明帳に記載され、また『三代実録』に貞観六年(864)「武蔵国従五位下蒲田神を以て並びに官社に列す」とあるのが、この神社であろうといわれる。
 社伝によれば、和銅二年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を刻んで安置し、鎌倉時代(十三世紀後半)に日蓮が村民の請いをいれて開眼したと伝えられる。江戸時代(十七〜十九世紀後半)には隣接の栄林寺が別当であったが、明治初年(十九世紀後半)の神仏分離により独立し、旧社格は郷社に定められた。
(案内板より)

「御由緒」案内板(クリックして拡大)
境内拝殿横には、摂社が並びます。
手前から

三十番神社 祭祀:法華三十番神 ちょっと珍しい三十番神と云う神仏習合の信仰で、毎日交替で国家・国民などを守護するとされた三十柱の神々を祀る神社です。

稲荷社 祭祀:宇迦之御魂神

薬祖神社 祭祀:薬祖神(大己貴命・少彦名命)この二神は医薬の祖神とも言われている事から病気平癒を願う崇敬があったものと思われます。
また、参道脇には


天祖神社と山野神社 かつて蒲田周辺に鎮座していた神社を明治後期ここへ合祀されたのを記した記念碑がありました。

本殿や社務所の横には、かなりの数の梅の木があり実がたくさん落ちていました。

また、ひときわ異彩を放つ根を持った「献木十本 匿名崇敬婦人」と書かれた樹木(名称不明)がありました。

社務所こそありますが大抵は、誰もいらっしゃらないようです。
しかしながら境内は思ったよりも広く社殿も立派で、境内も良く掃き清められており清々しい気分に浸ることが出来る神社です。
御朱印などは、この後に訪れた蒲田八幡神社が兼務社で併せて頂くことが出来ます。


JR蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ通り沿いに、蒲田八幡神社は鎮座しています。

訪れた時は、残念がら改築中で拝殿など拝することは叶いませんでした。改築工事は平成32年3月31日まで続くそうで
す。
境内の様子を紹介されている動画がありました。
蒲田八幡神社 東京都大田区

さすがに拝殿の老朽化が目立ちます。建立が1958(昭和33)年との事ですので、待ったなしだったのでしょう。
祭祀:御祭神:誉田別命(応神天皇) 
稲荷社 鳥居と拝殿が一体となっています。山形の梁が笠木と一体となっているので、山王鳥居の様にも見えますね。

慶長年間 蒲田村は「北蒲田村」と「新宿村」とに分村されました。
かつて蒲田村の総鎮守であった薭田神社より行基作とされる神体像三体の中から、春日の像一体を新宿村に遷し勧請したところ立ちどころに霊験あらたかとなり新たに創建されたのが「蒲田八幡神社」なのだそうです。(当時は、新宿八幡神社とも呼ばれていたそうです。)
境内に小円墳が存在していたそうで、伝承などからこの地は古くからの聖地・祭祀の場であったことが伺え知る事が出来ます。


御朱印 初穂料300円(一社) 鮮やかな色のスタンプが珍しいです。
なお、蒲田八幡神社では、兼務社の“薭田神社、北野神社(南蒲田)、御園神社、女塚神社、椿神社”の御朱印も授与して頂けます。

【マップ】
・薭田神社

・蒲田八幡神社


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