大澤山 宗印禅寺@日野市平山6-15-11
【マップ】
京王線平山城址公園駅から北野街道を戻り セブン-イレブンの手前を丘陵に向かって突き当たった先に、宗印禅寺があります。
駅からは歩くこと10分ほどですが、途中坂があるので結構長く歩かされた感は否めません。
さて、前投稿で興味深い由緒がある事を紹介しましたが、まずは境内の散策を致しましょう。
本堂 ご本尊 聖観世音菩薩
圧巻のお地蔵様軍団(クリックして別タブ拡大します)
慈悲深いお顔立ちの水子地蔵尊
見るものに、皆笑みが溢れる柔和なお顔立ちの布袋さま 日野七福神の一体
禅寺に「愛染明王」とはこれ如何に!?
平山季重(すえしげ)の墓 平山季重は、源平合戦の富士川、宇治川の戦いで先陣を切り一の谷や屋島、壇の浦の合戦にも出陣した勇武者
その活躍振りは、平家物語・源平盛衰記などの軍記物語にもその名が連ねられているんだそうです。
日棒地蔵堂千躰地蔵 木造地蔵菩薩坐像及び千躰地蔵は、日野市の有形文化財に指定されています。
さて、境内裏手にある小山を登って行くと一気に周辺の空気が変わるのがわかります。
鳥居のすぐ横にリアルな牛さんがお出迎え
鳥居→牛とくれば…。
平山天神宮 そうです。ここは天神様なのでした。
信源堂 ラッキーな事に門が開いていました。
見事なミニ五重の塔が安置されていました。
平山萬福皇太神縁起 ここに、大変興味深い縁起を伝える石碑があります。
クリックして拡大します。(読みにくいので、ネガポジ反転してみました。拡大可)
冒頭だけ書き写してみました。(一部読みやすく空白を空け加工しています。)
平山萬福皇太神縁起
平山万福皇大神は 伊勢天照皇大神の夫神に当たる大神なり 太古は婦係制のためその夫は陰の存在にして為に 伊勢の清地にその婦神を天照皇大神として祭祀し 夫神は格下げされて山城の国伏見に正一位稲荷大明神として祭祀せしものなり 其の後伏見は稲荷信仰として栄たるも鳥居や社殿を朱で塗り 更に狐を配して品格を下落する等の事ありて ついに寛政十一年(西紀一七九九)二月吉辰山城国紀伊郡稲荷本宮生官神主正四位下下総守泰親業に その本体を武蔵国平山の清地に勧遷すべしとのご神示ありて此処にそのご尊体を遷し奉りしが平山万福皇大神の縁起由来なり~以下略
以下は、分かりやすいように読み下し文にしてみました。
天照皇大神には、なんと!夫神がいたが陰の存在なので伏見稲荷の神に成り下がった。鳥居を赤く塗ったり「狐」を御神獣としたりで、著しく品格を下落させた。
見兼ねた「アマテラス」は、寛政十一年 稲荷本宮の宮司だった下総守 泰親業に「その本体を武蔵国平山の清地に勧遷すべし」とのご神示を与え、この平山の地へ御尊体を遷し奉った。
なかなか興味深い由来です。
由緒は、そのあと檀信徒達の尊崇によって昇位しアマテラスと同格位となって「平山萬福皇太神」として、崇敬されて来たと続きます。
記述中の「下総守 泰親業」について少し調べて見ましたが結局判らず。
この辺りは、興味深い内容ですので、もう少し掘り下げてみたくなりました。
参道階段の突き当りに、平山万福皇大神をお祀りするお社があります。
ここで、不思議な御札を発見!
お社の脇に張ってありました。何かの護符でしょうか?
更に右手に続く階段を登り小山の頂上に着くと「弁天・天神」様をお祀りする社がありました。
この辺りは、かなりマイナスオーラが出ていそうな場所であまり長居はしたくない雰囲気でした。
・・・ その理由はすぐに分かりました。
ここの小山全体が霊場巡りが出来るような構造になっていたのです。
ここは、いろいろな史跡や謂れがあって、かなり見応えのあるお寺でした。
私達は、時間の関係で行けませんでしたがこの小山から平山城址公園へ抜けるルートがあったようです。
時間と体力があれば、なかなか興味深い散策コースだと思います。
【マップ】
京王線平山城址公園駅から北野街道を戻り セブン-イレブンの手前を丘陵に向かって突き当たった先に、宗印禅寺があります。
駅からは歩くこと10分ほどですが、途中坂があるので結構長く歩かされた感は否めません。
さて、前投稿で興味深い由緒がある事を紹介しましたが、まずは境内の散策を致しましょう。
本堂 ご本尊 聖観世音菩薩
圧巻のお地蔵様軍団(クリックして別タブ拡大します)
慈悲深いお顔立ちの水子地蔵尊
見るものに、皆笑みが溢れる柔和なお顔立ちの布袋さま 日野七福神の一体
禅寺に「愛染明王」とはこれ如何に!?
平山季重(すえしげ)の墓 平山季重は、源平合戦の富士川、宇治川の戦いで先陣を切り一の谷や屋島、壇の浦の合戦にも出陣した勇武者
その活躍振りは、平家物語・源平盛衰記などの軍記物語にもその名が連ねられているんだそうです。
日棒地蔵堂千躰地蔵 木造地蔵菩薩坐像及び千躰地蔵は、日野市の有形文化財に指定されています。
さて、境内裏手にある小山を登って行くと一気に周辺の空気が変わるのがわかります。
鳥居のすぐ横にリアルな牛さんがお出迎え
鳥居→牛とくれば…。
平山天神宮 そうです。ここは天神様なのでした。
信源堂 ラッキーな事に門が開いていました。
見事なミニ五重の塔が安置されていました。
平山萬福皇太神縁起 ここに、大変興味深い縁起を伝える石碑があります。
クリックして拡大します。(読みにくいので、ネガポジ反転してみました。拡大可)
冒頭だけ書き写してみました。(一部読みやすく空白を空け加工しています。)
平山萬福皇太神縁起
平山万福皇大神は 伊勢天照皇大神の夫神に当たる大神なり 太古は婦係制のためその夫は陰の存在にして為に 伊勢の清地にその婦神を天照皇大神として祭祀し 夫神は格下げされて山城の国伏見に正一位稲荷大明神として祭祀せしものなり 其の後伏見は稲荷信仰として栄たるも鳥居や社殿を朱で塗り 更に狐を配して品格を下落する等の事ありて ついに寛政十一年(西紀一七九九)二月吉辰山城国紀伊郡稲荷本宮生官神主正四位下下総守泰親業に その本体を武蔵国平山の清地に勧遷すべしとのご神示ありて此処にそのご尊体を遷し奉りしが平山万福皇大神の縁起由来なり~以下略
以下は、分かりやすいように読み下し文にしてみました。
天照皇大神には、なんと!夫神がいたが陰の存在なので伏見稲荷の神に成り下がった。鳥居を赤く塗ったり「狐」を御神獣としたりで、著しく品格を下落させた。
見兼ねた「アマテラス」は、寛政十一年 稲荷本宮の宮司だった下総守 泰親業に「その本体を武蔵国平山の清地に勧遷すべし」とのご神示を与え、この平山の地へ御尊体を遷し奉った。
なかなか興味深い由来です。
由緒は、そのあと檀信徒達の尊崇によって昇位しアマテラスと同格位となって「平山萬福皇太神」として、崇敬されて来たと続きます。
記述中の「下総守 泰親業」について少し調べて見ましたが結局判らず。
この辺りは、興味深い内容ですので、もう少し掘り下げてみたくなりました。
参道階段の突き当りに、平山万福皇大神をお祀りするお社があります。
ここで、不思議な御札を発見!
お社の脇に張ってありました。何かの護符でしょうか?
更に右手に続く階段を登り小山の頂上に着くと「弁天・天神」様をお祀りする社がありました。
この辺りは、かなりマイナスオーラが出ていそうな場所であまり長居はしたくない雰囲気でした。
・・・ その理由はすぐに分かりました。
ここの小山全体が霊場巡りが出来るような構造になっていたのです。
ここは、いろいろな史跡や謂れがあって、かなり見応えのあるお寺でした。
私達は、時間の関係で行けませんでしたがこの小山から平山城址公園へ抜けるルートがあったようです。
時間と体力があれば、なかなか興味深い散策コースだと思います。
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