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諏訪大社の例大祭と言えば「御柱祭」が全国的に有名ですが実は、前回「上社旧御射山社」を訪れ記事にも書いた様に(下記 関連記事参照)諏訪信仰を全国に広めたのが御射山社で大規模に執り行われていた「御狩神事(御射山祭)」と言う催しでした。祭事は巻狩(まきがり) が主体で祭事中(5日間)行われ捕らえられた獲物は神撰として神に捧げ豊作を祈願する祭事だったそうです。
まさに、ここは諏訪信仰の原点ともいえる聖地でもあります。
(☞関連記事)
上社摂社 御射山神社は、中央高速諏訪南ICから北東へ500m インターを降りてすぐの林の中に鎮座しています。
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神社境内入口
境内案内図(写真クリックして拡大)
我々は現在地とある場所から境内へと至りましたが、参道入口はこの左手降りた場所からとなります。
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石鳥居
この鳥居は二の鳥居になります。一の鳥居は中央本線「すずらんの里」駅前にあります。(Googleマップへリンク)
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旧諏訪三辻相撲土俵跡
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会津松競馬場跡
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手水石
広大な境内の中央に位置し磐座の体裁を整えています。
(写真クリックで拡大します)
境内は、手水石から東西に分かれていて西に行くと御射山社の社殿や神楽殿があり東へ行くと石垣で囲われた摂社などがある広場へと至ります。
まずは、御射山社を参拝しに参ります。
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堆積した落葉を踏みしめながら御射山社へと向かいます。
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上社摂社 御射山社
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向かって左 諏訪明神社 祭祀:建御名方命 右 国常立社 祭祀:国常立神 (かつては、虚空蔵菩薩を祀っていたとも。上社摂社三十九社中十三所の十一番とされている山御庵 ) の二社が鎮座しています。
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神楽殿
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西宮社
更に西の最奥部には、西宮社があります。祭祀:蛭子尊・大国主尊・事代主命
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西宮社の周辺は、矢場の競技場だったと伝わります。
手水石のある中央に戻り続いて、東にある玉垣が立ち並ぶ摂社へと移動します。
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他とは違った神域との区分けを醸し出している冠木門(冠木鳥居)
この奥周辺はかつて御射山祭のときに建てられた「神の坐す」穂屋跡が立ち並ぶ場所だったそうです。
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大四御庵社(おおよつみほしゃ)
上社三十九社中十三所の十番『大四御庵』 祭祀:大己貴命・事代主命・建御名方命・下照姫命
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こちらは、初代大祝(おおほうり)有員公の塚と伝わります。
有員公は、諏訪神社上社大祝の祖で、桓武天皇の皇子と言われていて八歳で諏訪明神に神格を与えられ大祝になって、神氏と称し現人神として氏人を支配したと伝えられています。
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ここだけ祠ではなく石が祀られていました。
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子安社 祭祀:高志沼河姫命
高志とは、高志国(越国)のことで、沼河姫(ぬなかわひめ)は古事記の大国主の神話にのみ登場する姫神です。
古事記では、大国主がわざわざ高志国まで出向き窓越しに求婚の歌を詠み結婚するというくだりがあります。
新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったと伝わります。また「先代旧事本紀」には建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子とはっきりと書かれています。
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神功皇后社(下宮四御庵)祭祀:息足長姫命
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磯並社 祭祀:大山祇命
更にこの先奥にも三輪社があったはずですが、すっかり見逃していました。三輪社は、大物主命をお祀りしています。
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富士浅間社 祭祀:大山衹命・木花開耶姫命
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雪ちるや穗屋の芒の刈殘し 松尾芭蕉
芭蕉が信濃路を旅してこの地を訪れた時、すすきが咲く原を見て詠った句だそうです。
滞在中我々以外は誰も訪れるものもいなく、かつての賑わいなど想像もつきませんが、この地が諏訪信仰の原点と考えるとまさに聖地と呼べる場所にふさわしい地である事は間違えないでしょう。
【マップ】
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