前回の投稿で「角柱鳥居(仮)」と区分して、笠置、貫、柱すべてが角材を用いている鳥居の紹介をしたが、今回紹介する鳥居は、柱だけに角材を用いている「住吉鳥居」の紹介
特徴としては
・全体は明神型であるが、柱に角材を用いていること
別名「角鳥居」とも呼ばれているのだが「角鳥居」の名称を用いるならば、前回紹介した「角柱鳥居」の方がその名に相応しい気がする。残念ながら既に使われている名称は使えない所が残念なところ。

摂津住吉大社にある住吉鳥居

こちらは、住吉公園西付近にあった大鳥居の貴重な絵葉書(建立は明治36年)
※当時の参道は、現在の一の鳥居のある場所よりさらに住吉公園から西 国道26号先へと伸びていたそうです。
どうやら当時は、こちらも住吉鳥居だったようです。現在見られる神橋(反橋)先の一の鳥居は、普通の明神型
(※この写真は、以前WEB上でみつけローカルフォルダ内に保存させて頂いていたものです。)
参考:住吉大社 西の大鳥居
(2015/01/01:記事一部訂正)
特徴としては
・全体は明神型であるが、柱に角材を用いていること
別名「角鳥居」とも呼ばれているのだが「角鳥居」の名称を用いるならば、前回紹介した「角柱鳥居」の方がその名に相応しい気がする。残念ながら既に使われている名称は使えない所が残念なところ。

摂津住吉大社にある住吉鳥居

こちらは、住吉公園西付近にあった大鳥居の貴重な絵葉書(建立は明治36年)
※当時の参道は、現在の一の鳥居のある場所よりさらに住吉公園から西 国道26号先へと伸びていたそうです。
どうやら当時は、こちらも住吉鳥居だったようです。現在見られる神橋(反橋)先の一の鳥居は、普通の明神型
(※この写真は、以前WEB上でみつけローカルフォルダ内に保存させて頂いていたものです。)
参考:住吉大社 西の大鳥居
(2015/01/01:記事一部訂正)
「とらむのこべや」でご検索いただければ出てくると思います。
ご指摘ありがとうございました。
早速記事内容を一部訂正加筆させていただきました。
ブログ拝見させていただきました。
記事を読んでて、現在見ることの出来る「住吉鳥居」は、何時頃の建立かが気になって来ました。
果たして、地震で倒壊したため造り直されたのか。
では、なぜ今の位置に設置したのか?
ちょっと調べてみたくなりました。
また何か、わかればご報告させていただきます。
貴重なコメントありがとうございました。
大正初期に汐掛道を行くと合計で4つ鳥居をくぐります。
一つ目が西の大鳥居、二つ目が紀州街道に面していた西大鳥居、三つ目と四つ目は今も残る鳥居です。西の大鳥居は南海地震で倒壊、撤去。紀州街道に面してあった西大鳥居も昭和6年に竣工した「境域風致改善工事」で、お堀を作る為に撤去されたのだと思われます。昨日、住吉大社の一の鳥居を見てきましたが銘などは刻まれていませんね。大正初期にはあった事だけは手持ちの絵葉書でわかるのですが。
昔の絵巻にもそれらしい鳥居が描かれていますから、江戸時代かそれ以前に建てられた物ではないでしょうか。
わざわざご教授いただきありがとうございます。
なるほど!現在ある一の鳥居は三の鳥居だったのですね。
調べてみましたら以下のことがわかりました。
・戦前まで、表参道に四基あった鳥居すべてが「住吉鳥居」だった。
・現在の一の鳥居は、建立日不詳の明神に建て直されているが(もしくは北参道からの移築) 南総里見八犬伝で有名な曲亭馬琴が享和二年 ここを訪れた際「社前の反り橋、角柱の石の鳥居」と、言うメモを残していることから、現在見ることが出来る一の鳥居も江戸時代には「住吉鳥居」だったことが伺える。
この型の鳥居は、大阪中央区の豊国神社にも見られるそうです。
いずれまた、是非再訪してみたいものです。
紀州街道に面してあった大鳥居なんですが、例によって絵葉書を見ていた所、新しい発見をしました。どうも「変形鳥居」だった感じです。柱の接地している所は丸、笠木と組み合わさっている所は角の様に見え、丸柱が、途中から角柱となっている様なのです。実物が無く、絵葉書からの推測でしかないのが残念なのですが、そんな事例って他所にもあるんでしょうか?
コメントありがとうございます。
わざわざお調べ頂いていたようで恐縮です。
貴殿ブログにて「紀州街道に面してあった大鳥居」の絵葉書拝見させてもらいました。
確かに、大変興味深い絵葉書ですね。
ご指摘のように柱の中央よりやや下にあきらかに途中で継ぎが認められます。
柱に継のある鳥居は、肥前鳥居(当ブログ【特殊系】肥前鳥居∋筥崎鳥居@筥崎宮(福岡県東区箱崎)ほか http://blog.goo.ne.jp/ruribo0209/e/bbc2c1e31df2d5b7b9f17ced1eff9fd6 参照)
など確かにありますが、絵葉書の鳥居 貫の部分は確かに角柱に見えますが継部分から下が確かに丸柱の様に見えます。
大変興味深い事例だと思います。
各柱から丸柱に至る加工がどの様になっているのか興味深いところです。
貴重なご報告ありがとうございました。
いずれ記事にさせてもらいたいと思います。