続いて訪れたのが魏石鬼の岩屋より更に下り小川を渡った先にある“八面大王の足跡岩(蹄跡岩)”です。
ガイド役の安曇野市文化課の方よりここを案内して頂いたのですが、ガイドの方はここを「八面大王の蹄跡(ひずめあと)」と紹介されたのですがWEBで調べた少ない情報の中では「足跡岩」が正しいようです。
この辺りは、八面大王が坂之上田村麻呂と対峙した合戦場であり詳細は、定かではありませんが詳しく調べればこの魏石鬼の岩屋と同様、巨石との関りが見えて来るのではないかと思われます。
足跡岩の所以ですが巨石を見て頂ければ一目瞭然です。
足の指の跡がしっかり確認出来ます。またトップの写真を見ると大きな足形が付いているのが確認出来ます。
異彩を放つその巨石の形と、今も残るその足跡に激しい合戦場だった当時を重ね想像できるロマンのある遺構でもあります。
※場所は、散策路が一本道ですので「魏石鬼の岩屋」を見学し小川を渡った先、左手に存在感を放って見えて参ります。
《安曇野の巨石探訪 その4》へ続きます。
ここもやはり人の手が入っているのでしょうか。
いったいなんのために?
謎が深まるばかりです。
いつもありがとうございます。
一説に八面大王は「2mほどの大男」と、言った情報があります。
しかし、この巨石の足跡がもし実寸ならば、かなりの巨人だったでしょう。
今自分が思っているのは、安曇野の地には、古くから巨人伝説、ダイダラボッチ(安曇野では「でぃらぼっちゃ」と言うそうです。)が、八面大王の伝説にすり替わったのではないかと思っています。
最も安曇野の「でぃらぼっちゃ」伝承は、安曇野や松本平をその足で踏み固め現在のような盆地を作ったとあるので、だとすれば、とてつもない巨人であるはずなので、この辺りは伝説が都合のいい様にする変わったものと推測します。