【魏石鬼の岩屋】
さて、有明山神社から正福寺へ向かって歩き山道を10分ほど下って行くと“宮城岩上厄除観音堂”があります。
宮城岩上厄除観音堂 “岩上”とある様にお堂の下に一枚岩が見えます。
岩の横から回り込むと…。
摩崖仏が彫られた巨石が見えて参ります。
更に岩沿いに回り込むと…。
大きな巨石が見えて参りました。
更に正面へ行くと…。
魏石鬼(ぎしき)の岩屋 圧倒的な存在感を放っています。
ここにも摩崖仏が彫られています。かつては修験道などの修行場 だったそうです。
岩屋へのアプローチ部分 左右の巨石に併せて一枚岩が置かれています。
今回は、安曇野市文化課文化財保護の御担当の方が同行して下さったので岩屋内部の見学が出来ました。
むかし安曇野の民を苦しめていた“魏石鬼” と呼ばれた鬼 別名「八面大王」を、東の蝦夷征伐に行く途中だった坂上田村麻呂将軍が「33節の山鳥の尾羽で作った矢で討ちとった。」と、安曇野に古くから伝わるのが「八面大王」伝説です。
その八面大王が坂上田村麻呂に抵抗する為に隠れ住んだのがこの岩窟だと伝えられています。
その八面大王が坂上田村麻呂に抵抗する為に隠れ住んだのがこの岩窟だと伝えられています。
この岩窟は花崗岩の巨石を組み上げられて作られた古墳で、日本では珍しいドルメン式古墳であると人類学者で考古学者の鳥居龍蔵博士は述べています。
左右の立石が天蓋を支えています。いわゆるドルメン構造です。
奥には石が何層にも積まれているのが分かります。
岩屋内部を見る機会は今までに何回かありましたが、ここはやはり特異な構造をしていて大変興味深いです。
さて、このまま更に山道を下って行くと途中に奇妙な巨石が見えて参ります。
鮫岩(勝手に銘々)石の表面に血管が浮き上がったような様相を呈した巨石がありました。
特に名称はついて無いそうですが、サメの頭部分を連想するかなり気になった巨石でした。
《安曇野の巨石探訪続 その3》へ続きます。
この岩窟は人工の岩山なのですね。人の力で岩を組み合わせ、古墳を造り上げたとすると驚き以外の言葉が見当たりません。
この岩をどこからどうやって運んだのか、どうやって組み合わせたのかなどなど不思議な事ばかりです。これを想像するのは、楽しいですね。
機会見て行ってみたいです。
参考になりました。
いつもコメントありがとうございます。
そうですね。古墳ですから確かに如何にしてこの一枚岩をここまで、運んで来たのか不思議ではあります。
切出した石を船に乗せ川から近くまでソリのような物に載せて運んだとか、色々調査研究はされている様ですが、真相は謎のままだそうです。
ただ、安曇族は北九州がルーツであり、現在でもドルメン式墳墓が多数見られることから彼らは、巨石の扱い方に長けていたものと推測しています。