先日訪れた長野県安曇野市散策で以前よりどうしてもこの目で見たかった「本村の神代文字碑 道祖神」へと、ようやく訪れることが出来ました。
場所は、JR大糸線の南豊科駅より西へ200mほど 本村区のコミュニティセンターの敷地内にあります。
長野県は南北に長いので中央道諏訪を過ぎ岡谷より安曇野までは、結構遠く感じます。そうは言っても長野自動車道 安曇野インターからは、約3キロですので高速を使えば、そうでもありません。
ここでは、 神代文字碑 道祖神・双体道祖神・文字道祖神を並んで見る事が出来ます。(トップ写真)中でも、右側の文字道祖神は日本一の大きさなんだそうです。
神代文字碑 道祖神(安曇野市有形文化財)
前面がガラス張りの覆い屋で囲まれています。阿比留文字が刻まれた道祖神は、他では類例が無く日本唯一の貴重な史跡なんだそうです。
神代文字碑は、もともと当地の庄屋であった丸山家の屋敷神として江戸時代・文政年間に建立された。このころ起こった世直し一揆「赤蓑(あかみの)騒動」の犠牲者に対する慰霊碑であったという。平安時代、平安京では岐の神の名を記したものを神殿の厄祓いに用いたといい、古くは荘園であった当地にもこの習わしが伝わったと考えられている。
これを町の共有財産として明治末期から大正初期のころ(一部媒体では昭和とも)現在の場所に移転し、以来道祖神として当地に存在している。(WIKIより)
案内板
文字種は神代文字の「阿比留文字」が縦書きで
- ヤチマタヒコノカミ(八衢比)
- ヤチマタヒメノカミ(八衢比売)
- クナトノカミ(久那土)
と、それぞれ彫られています。
阿比留文字
三神とも集落や道の要所に座り邪神・悪霊の侵入を防ぐ役目を担う神様です。
伊奘(いざなぎのみこと)が檍原(あわきがはら) で禊をしたときに生まれた道俣神(ちまたのかみ)はヤチマタの両神を差し久那土(クナト)は“来るな” すなわち災害や病気などから災難を防ぐ神として意味するそうでこの三神で道祖神とする説があるのだそうです。
同敷地内には、野仏や石碑、慰霊碑などがまとめられていました。
【マップ】
※本村コミュニティセンターの敷地内に車を停車出来ます。
コメントありがとうございます。
神代文字は、古い神社の神璽や護符などに残されていたり、代々続く家系に受け継がれていたりして安曇野に限らず全国の神社や文書などに残されています。
では、漢字が伝わる以前に使われていたものなのか?と、言う疑念が生まれるわけですが昭和初期に真贋を問う議論があって現在では、後世の創作という事で否定されています。
では、様々な文字種がある神代文字の用途ですが自分的には、代々伝わる秘伝書や特定のグループにのみで使われる暗号のようなものだと思っています。
当時神代文字を使う流行のようなものもあったようで、安曇野のこの神代文字碑もそんな流れから製作されたものではないかと思っています。