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【ウォーキング】徳川家康・御尊櫃御成道 永山~小野路

2016-07-02 | ウォーキング・トレッキング
歴史古街道団主催 団長のガイドウォーク「家康の御柩・日光搬送 ~永山から小野路 編~貝取(かいどり)一里塚跡と一本杉公園の古道痕跡」に、参加して参りました。
このシリーズは、今回で三回目で、一回目は今年4月に家康の府中御殿から分倍河原付近まで。
二回目は、5月の連休中に京王線聖蹟桜ヶ丘駅前より旧鎌倉街道を経て永山まで歩かれたそうです。
残念ながら過去の二回は、平日開催だったので参加出来ず今回は、休日と重なり意気盛んの参加と相成った次第です。

「御尊櫃御成道」(ごそんひつおなりみち) と呼ばれる道は、徳川家康が亡くなった直後、江戸時代初期の元和3年(1617)駿河国久能山(現在の静岡市内)に埋葬されていた家康の遺骸を日光東照宮に移すために、大久保石見守長安によって街道の整備を行い、家康の柩が通ったことからこう呼ばれています。この街道は、大名行列が通るために幕府の命令で、村人総出で造ったという奥州に通ずる大道で、江戸表を通るよりあえて矢倉沢古道筋の近道で安全だったといわれています。(以上はこちらより引用)

スタート 10:00 京王・小田急永山駅

貝取一丁目15辺り 関戸の旧鎌倉街道から乞田川を渡って続いています。

貝取(瓜生)一里塚跡 (写真は、Googleストリートビューより)
瓜生一里塚は多摩市内では唯一の一里塚で、ここから西南70mほど離れた鎌倉街道を挟んだ両側に径.6m、高さ3mほどの塚が存在していた。江戸時代初期の元和3年(1617)駿河国久能山(現在の静岡市内)に埋葬されていた徳川家康の遺骸を日光東照宮に移すため街道の整備を行ない、この一里塚が作られたといわれている。家康の柩が通ったことから「御尊柩御成道」(ごそんしつおなりみち)とも呼ばれている。また、一里ほど離れた町田市小野路にもこの時造られたと思われる一里塚が残されている。(多摩市)(案内板より)

突然巨石が目の前に!!
貝取山緑地の巨石モニュメントとして尾根沿いに続く旧鎌倉街道に突如として現れます。

何でもシンボルとして山梨からこちらに持ってこられたものとお聞きしました。
貝取山緑地公園内にて、少し早い昼食ののち散策を続けました。

貝取コミュニティセンター(こぶし館)で、休憩の後貝取の団地群を抜け南多摩尾根環道に出ます。

南多摩尾根環道 恵泉女学園大学前交差点辺り 写真手前から交差点にかけてかつての古道があったとの事です。

同交差点を反対側から 茂みの向こうは多摩ニュータウン貝取団地

妙櫻寺辺りの植え込み まさに、ここがかつての御成道の痕跡との説明を団長より受けている図

ここから鎌倉古道の痕跡が今でも垣間見える素晴らしい景観の古道跡が続いているそうですが…それはまた別の機会に。

一本杉公園 池の対岸丘陵内に以前団長が発見したと言う古道跡があると言うので見に行くことに。

手前から奥にかけて、地面が露出している場所がまさにかつての古道跡なのだそうです。

こちらは下から見あげた古道跡。現在この場所の環境保全と観光資源としての重要性を市に働きかけているそうです。

公園を出て、都道156号線を小野路方面へ。
とあるカフェの裏手に団長が発見されたと言う古道跡を探索しに行くことに。

古道の痕跡を今も残している貴重な場所です。

竹林の中を行くサクラさん

途中かなりの段差がありました。

出口付近は、生活路として利用されていました。

角辻にあった宝篋印塔と双体道祖神

ゴール16:00 小野路バス停付近

【ルートマップ】

小野路宿からの帰路は多摩センター駅までバス利用
【本日の総歩数】

久しぶりの1万5千歩超え。ですが翌日疲労もそこそこで余裕でした。
【総評】
多摩ニュータウンのど真ん中に古道?と、思われるかもしれませんが今回歩いてみて意外と思ったのが、かつてあった丘陵などを公園などで匠に利用し残されていることに関心しました。
その中には、尾根環道として重要な古道が今も存在していること。それが現在もそこに住む人々に重要な生活道となっている事にも興味深く思いました。

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