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【神社・鳥居】勝手神社の石鳥居@山梨県韮崎市岩下

2021-04-02 | 鳥居見聞録
今回は、韮崎市岩下に鎮座する勝手神社とその石鳥居の紹介です。
 勝手神社は、全国で28社あるそうで代表的な一社は、奈良吉野山に鎮座する勝手神社です。
しかし残念なことに平成13年に不審火によって本殿が焼失してしまったそうで現在再建を目指しているそうです。
 ここ韮崎市の勝手神社は、応和元(961)年に大和国吉野山の勝手神社から勧請したと伝えられています。 
この神社の特筆すべき点として県指定有形文化財(建造物) でもある石鳥居に纏わるエピソードがなかなか興味深いので、以下にご紹介したいと思います。
高さ1.72m、柱間幅1.15mの石製台輪鳥居で、鳥居として珍しい小振りなサイズです。使用されている石質は安山岩です。この地域の古い鳥居は、かつて八ヶ岳の噴火で噴出した溶岩(安山岩)で、建造されたものが多く見られます。
どっしりとした柱と笠木と島木とのバランスがなかなか特徴的な鳥居です。
この石鳥居が注目されたのは、貫に刻まれた文字にあります。

こちらが物議を醸しだした貫に刻された文字です。
右側から「時天禄元 庚午十月 *奉破損 文政二 己卯四月」
と、刻されています。(*破損とは修理の事だそうです)
この事から従来までは、天禄元(970)年の造立と考えられていました。
天禄は、平安時代まで遡るため本当ならば鳥居としては、日本で最古級となります。
右側の柱には「二位」と刻されています。
同じく左側には「仲書記 本願」と刻されています。
ですが、文化11年(1814)に成立した「甲斐国志」には『石華表、高さ六尺(約1.8m)、柱囲四尺許(約1.2m)命禄庚子十月日 二位 仲書記本願 ト刻セリ』と記されていて、刻されている元号と干支の表記が 異なるため長年真偽が醸し出されていたそうです。
案内板(写真をクリックして拡大します。)
 その真偽に決着をつけたのが、昭和48年に発見された修理以前の貫の存在でした。精巧な拓本調査により「天禄」は「命禄」の「命」を「天」に、「庚午」は「庚子」の「子」を「午」に改刻していた事が判明したのだそうです。
(*命禄は私年号 で、天文9年(1540)に当ります。庚午の年との整合性も合います。)
従って、日本最古級と思われていたこの鳥居は、室町末期のものであった事が判明しました。
 以前記事にした宇波刀神社の石鳥居でも、同様な元号の改ざんがあったそうですが、なぜわざわざその様な行為をしたのでしょう?新たな疑問が沸いて参ります。
それでも、室町末期のこの地方だけに見られる特徴的な太い柱に薄い笠木と島木との絶妙なバランス。なかなか趣がある鳥居です。 
こちらは、境内入口に建つ石製台輪鳥居 扁額には「勝手大明神」(トップ写真)
拝殿
本殿
祭祀:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(相殿)愛(受)鬘命(うけのりかみのみこと) 、武甕雷命 
「愛鬘命」とは、記紀に名が見られない神様ですが、WEBで調べていくとなぜかホツマに関連サイトがヒットします。
「勝手神 (かってかみ)」は、葛城の国守「ヒトコトヌシ (一言主)」の世嗣子で、斎名は「ヤスヒコ」、幼名は「カツキマロ」と言う。母は茅渟の陶の地を治める「スヱツミ (陶津耳命)」の娘「ヤスタマ姫」である。 弟に「アカホシ (天津赤星)」がいる。
葛城一言主とヤスタマ姫 (スヱツミの娘) の子。アカホシの兄。ツルギネの祖父。ニニキネの八島巡りに同行。
こちらより引用) 
ご神木のケヤキ
境内にあった霊石
【マップ】


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