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【神社】芸能人が祈願しに訪れる芸能神社で有名~車折(くるまざき)神社@ 京都府京都市右京区嵯峨朝日町

2022-09-29 | 神社・仏閣
先月久しぶりの京都行きで訪れた中の一社
本来ここを参拝しに訪れた理由は前回紹介した「四柱鳥居」を観たかったのが主な理由でしたが見どころが多いのもここの神社の特徴です。
特にここは、多くの芸能人が祈願をしに訪れることで有名な芸能神社で有名です。

裏参道鳥居
我々は、本来は裏参道となる京福嵐山線 車折神社駅側から境内へと入りましたが、表参道には、前回も紹介した覆い屋根付きのレアな鳥居が建っていたようですが残念ながら訪れた時は、撤去されていたようで見る事は叶いませんでした。
前回紹介した弁天社の前には、興味深いお社が鎮座しています。
清めの社 境内全体の「悪運・悪因縁の浄化・厄災消除」のご神力があるそうです。
立砂 中央に円錐形の石をモチーフとした立砂が祀られています。(どうみても砂利を固めたものに見えますが…。)立砂は同じ京都上賀茂神社のものが有名ですが本来の目的は邪気を払う鬼門除けが目的でした。玄関などに盛り塩をするのも同じ意図からです。
社務所を過ぎると境内社「芸能神社」が鎮座しています。
祭祀は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)をお祀りしています。
岩戸神話の中で演舞を興じた神様です。そこから広く芸能・芸術の祖神として崇められています。

 奉納玉垣にはたくさんの芸能人の名が。長嶋一茂、小峠の名も

麦わらの一味の面々も参拝に来られたようです。(^^;
大鳥居 鳥居を潜って参拝できません。出典:Googleマップ)
拝殿 鳥居同様普段は、正面からは参拝できません。写真右横にある鳥居からの参拝となります。
祭祀:清原頼業公(きよはら・よりなり)
 平安時代後期の儒学者、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言がいる。 
由緒:
頼業は、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。
また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました。
車折神社公式より引用)

境内で見かけた霊石 芸能神社など少々俗っぽい一社ではありますが、境内の小石を持ち帰ったら商売繁盛、霊験あらたかな神社として大阪商人の人気を博し京都民からも崇敬が厚い一社でもあります。
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【追記】
後から知ったのですが境内の何処かに、この鳥居があったはずですがみかけませんでした。かなり目立つはずですが…。撤去された?(写真出典:こちら
【マップ】


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