日々平穏 

日々の雑多な話題と管理人の趣味中心の見聞記を紹介

【磐座・巨石・神社】曽我五郎足跡石・白岩神社@神奈川県中郡大磯町西小磯

2018-01-03 | 磐座・巨石・霊石
今年の初めのお題は磐座
紹介するのは、昨年暮れ神社納参りで訪れた神奈川県大磯町に鎮座“白岩神社”の裏手白岩山の頂上にある御神体岩。
その名も“曽我五郎足跡石”
久しぶりの巨石探訪フィルドワークでもあり意気盛んで望みました。


JR大磯駅から西へ15分ほど歩いた場所に白岩神社があります。
我々は、車で訪れましたが大晦日の準備で、氏子の皆さんが慌ただしくされていて車を駐車するスペースを確保するのに難儀してしまいました。

白岩神社一の鳥居

普段であれば、鳥居をくぐった先に若干の駐車スペースがありますので問題ないものと思われます。

石段を昇ると社殿のある境内となります。

社殿 なかなか見事な龍の彫刻 氏子の方々が大勢準備をされていたので残念ながら社殿全体は写せませんでした。(社殿全体の写真はこちら
祭祀:伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命(いざなみのみこと)・若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
由緒:遥か葺西小磯に一人の童が現われて、跳びはねるような仕草をしながら『我は大和の広瀬の神なり この地を 鎮守する 崇め奉れ』と言って地面にひれ伏した。人々は言われた通り、大和の国にある広瀬神社の御祭神若宇加能売命』を勧請し、この地に社を建ててお祀りした。後の山が、海の方から眺めると白く光って見え白岩山と呼んでいたので、白岩神社と称えた。(境内参道脇案内板より)

案内板(サムネイルをクリックして拡大)

さて、磐座が裏手の山中(白岩山)の頂上にある事は間違えないのですが、どこから登れば良いものか思案しているとメンバーの一人が初詣の準備でいらしていた氏子の方に聞いて下さいました。
「境内の左奥から登れるよ」
と、言う情報を得て早速散策開始する事に。
確かに道らしきものはありましたが落ち葉が堆積していて滑る滑る...。
悪戦苦闘しながら登ること10分ほどで、頂上にある磐座に到着。

南面より こちらが海側から見える方向です。左側に気になる切り欠きがありますね。

磐座裏手より(北面)
“曽我五郎足跡石”(曽我兄弟(後述))と言う名称から足型の痕跡を探したのですが決め手にかけます。

右の丸印がそうだという情報があったのですがイマイチです。
改めて写真を見直すと左の丸印がそれっぽく見えるのですが…!?
どうでしょうか!?

更に上部にもこんな踏み跡も...。

磐座上面より 先程の切り欠き部分はこんな感じで突き出ています。わざと加工して祭壇に用いていたのではないかと推測しています。
下方に社殿が見えるので、位置的にもここが御神体石である事は間違えないものと思われます。

磐座の根本から生えるご神木 

磐座の裏手は岩盤が削り取られていました。

写真奥の雑木林すぐ先まで宅地化が進んでいました。残念な事です。


周囲を見回すと巨石がたくさん連なっていました。

こちらは、社殿の横にある祠から見上げた際に気になった巨石です。

ズームアップして見ると全体的に白っぽいのがわかると思います。真ん中に窪みがあるように見えるのですが...。
麓まで行きたい衝動はあったのですが…。崖をよじ登るような急斜面の為と結局ヘタレの為散策はここで断念しました。

【考察】
初めに紹介した御神体岩は、堆積岩でそれなりに巨大ではありますが「白く光っていた」と、言われると???ではあります。
ですが、最後に紹介したズームアップの巨石は、全体的に白っぽく海側に南を向いている事からヤブが無ければ海沿いからかなり目立つかもしれません。
一般的にランドマークとして漁師たちのヤマあての目印に使われていたことは、十分予想出来ます。

こちらの記事よれば、
白岩神社はその周辺で災いが多く発生したため、元あった場所から西に100メートルほど社殿を移動し、名前も十二所権現と変更した時期がある。
本来の場所には切り立つ白い岩の中に四角く掘られた穴があり、そこに社が祀られていたらしい。


なのだそうで、社殿の横にあった祠が以前の白岩神社でその上に見える白い岩(一部)が旧社地であったものと推測しています。

参考:
時は鎌倉時代、父のかたきの工藤祐経を曾我の十郎・五郎の兄弟が艱難辛苦を乗り越えて、源頼朝主催の富士の巻狩で討ち果たす「曾我兄弟の仇討ち」。
兄、十郎の恋人だった虎御前が住んでいたこともあって、大磯にはこの兄弟にまつわる言い伝えが多くあるが、足跡石もその一つだ。
ある時、白岩山のふもとの街道をにっくき工藤祐経が通るというので、弟の五郎は山に登ると山頂の大岩を抱えて祐経に投げつけようとした。
ところが気合が入りすぎたのか、持ち上げた大岩は勢い余ってあろうことか真後ろに吹っ飛び、山ひとつ越えた田んぼのド真ん中に落下。田仕事の邪魔になって仕方がないのでどかそうとすると、突然疫病が流行ったり悪い事ばかり起こる。
結局たたりが怖くて岩はそのまま放置され、昭和50年代までその場所にあったという。
(以上は、ベイビーゴトビキ (ぶしゃ・二)より転載)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿