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【神社・鳥居】乙事諏訪神社@長野県諏訪郡富士見町乙事

2021-05-15 | 神社・仏閣
 今回は、長野県諏訪郡富士見町乙事に鎮座する乙事諏訪神社の紹介です。
“乙事”と書いて(おっこと)と、読みます。
“おっこと”と聞いてピンと来た人もいるのではないでしょうか?
そうです。ジブリ映画“もののけ姫”に登場するイノシシの神「乙事主(おっことぬし)」の由来となった地名です。
他にも映画では「エボシ御前」や「甲六」などこの地区にちなんだ名称が登場しますが、なんでも宮崎駿監督の別荘が同じ富士見町にあるそうで、この地区にちなんだ地名からヒントを得たのでしょう。
 さて、乙事諏訪神社ですが 悲運の神社でもあります。元々は、本家の諏訪大社のように上社と下社に分かれていたそうです。
同じ地区内にあったので、社殿の造営や祭事などお互いに競い合っていたそうです。再建前の上社の拝殿は、本家諏訪大社の前身「諏訪神社上社本宮」の幣拝殿を移築したものだそうで、昭和5年(1930)に旧国宝指定されていたそうです。
しかし、昭和23年(1948)4月に境内にあった帳屋(江戸時代に帳面・紙・筆などを売っていた店 )から出火し全焼は免れたものの 柱・梁・貫などの表面が炭化、調度の彩色は落ち傷み著しく焼損してしまったんだそうです。
国宝に指定されるほどに見事な細工が施された「桟唐戸(さんからと)」は、かろうじて持ち出せたそうで、再建計画から2年半、下社の本殿を移築し乙事諏訪神社として合祀し総工費182万円をかけ「幣殿」を修復し昭和25年(1950)に重要文化財に指定され現在に至っているそうです。
 それでは、早速境内を散策して参りましょう。

すぐに参道をまたいで2本の杉の大木が聳えています。
石製明神ですが普通見る明神とは微妙に異なっています。
お判りでしょうか?(トップ写真を良く観察して頂くとお判りになるかも)
そうです。笠木の反りが中央からついています。

背面から 通常は笠木の中央辺りは平らで両端から反りあがるものが殆どなのですがこちらの明神は、中央から左右対称に反っています。ありそうで見かけない一基と言えるでしょう。

幣拝殿の左右に片拝殿の構成 諏訪造りとも言う独特の社殿様式です。本家諏訪大社上社の前身「諏訪神社上社本宮」の幣拝殿を移築したものです。 

こちらが火災より免れた「桟唐戸(さんからと)」(重文)

覆い屋よりわずかに見える本殿  現在の本殿は文政2年(1819)に下社本殿として造営されたもので、一間社流造、銅板葺き(旧こけら葺き)、正面軒唐破風で、見事な彫刻が施されているとの事です。
祭祀:建御名方命
由緒:乙事諏訪神社は長野県諏訪郡富士見町乙事に鎮座している神社です。乙事諏訪神社の創建は室町時代の延徳2年(1490)に御別当明神を祭ったのが始まりとされます。諏訪大社と関係が深く、文禄2年(1593)に諏訪大社の社殿が再建されたのに伴い、旧社殿が当社に遷されたと伝えられています。文化8年(1811)に諏訪明神の分霊が勧請され、天保4年(1833)に再び諏訪大社社殿の造替が行われると、嘉永2年(1849)に神前建物(幣拝殿)が当社の幣拝殿として移築されています。当初は乙事村の産土神として信仰されてきた上社と、乙事村名主の五味太郎左衛門家の氏神として信仰されてきた下社とありましたが、その後合祀され、昭和25年(1950)には社殿が合併されています。(こちらより引用)
案内板(写真クリックして拡大します)
※注:文中の“本殿を有しない神社”とは、本家の諏訪大社上社を指します。ここを紹介する記事に「本殿が無い」と紹介されている記事を見かけたのであえて言及しておきます。
参拝を終えたのちぐるっと境内を巡ってみましょう。
本殿のある位置と同位の場所に祠が二宇建っています。ちょっと気になるところです。
もともとこの地区には、産土神を祀る神社とこの地区の氏族(五味太郎左衛門)を祀る神社二社があったそうで、それぞれ後に諏訪大明神を勧請しその名残りとも思われます。

こちらは、境内社の御別当大明神祠(氏神)と御鍬大明神祠(農具の神)
別の覆屋の中には、刀利大宮、八嶽座生大権現の碑と不動像?
どこからか勧請されて来たものと思われますが「刀利」は、甲斐駒ヶ岳や御岳信仰などに見られる「刀利天狗」としての伝承「八嶽」は、やはり八ヶ岳の権現岳辺りの山岳信仰の流れだと思われます。
 さて、ここは長野の正当な諏訪系の神社ですから当然本家と同じく七年毎に一度御柱祭が執り行われています。

ここで御柱の配置で気になった立看をみつけました。写真の手前の立看には「二之御柱」と、あります。奥の御柱は「一之御柱」と書かれていました。
ここで、疑問に思いました。
通常、御柱の配置は、社殿を取り囲むように右下から時計回りに一之御柱~四之御柱と名称が付けられるはずですが、ここはなぜか右奥から始まっているのです。これは、何を意味するのでしょうか?

ここで、本家諏訪大社上社の御柱の位置も実は、セオリー通りでない配置である事は、あまり言及されていない様です。(こちらより図番引用 )
幣拝殿の位置からすれば左上が一乃御柱になるはずですが、その位置には四之御柱になっています。
 この謎には、いろいろ諸説あるようですが古代諏訪の神が守屋山(神体山についても諸説ありますが)をご神体山として崇めていたならば、一之御柱の位置は正しい位置となります。
それと同じく乙事諏訪神社も御柱の位置関係から古くは、社殿の向きが異なっていた可能性は否定できません。(こちらの記事にそれを裏付ける記述がありました。)
境内入口にある蚕玉大神 かつてこの地域は、養蚕・紡績が非常に盛んな地域であったようで養蚕信仰も厚かったそうです。
境内を出て、周辺を散策中 飛び地となる場所に興味深い石碑群をみつけました。


命力霊神、開力霊神、細滝霊神…。面白い神名の碑がたくさん建っていました。
調べていくと、どうやらこの地区にあった駒嶽講(甲斐駒ヶ岳の山岳信仰を信奉する人々)の方達が建てた碑の様です。(こちらに詳しく掲載されていました。)
【マップ】


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