何気なしに覗いたとある記事に思わず目を留めた。
記事中の“科学教材社ビル解体工事”
ラジオ少年だった頃の自分は、自宅のあった飯田橋からここまで自転車で良く通ったものだ。
この周辺の道は、碁盤の目状態なので曲がる区画を間違えて、なかなか辿りつけなかったり良く迷った記憶が蘇る。
赤いテントと独特のフォントが懐かしい。今はもう見ることが叶わない。
妙に懐かしさが込み上げて来て、確か以前この近くを訪れた際に、店舗内を覗いた事を思い出し、膨大な未整理のスナップ写真の中からこの一枚の写真を探しだした。
神田明神の初詣の帰路に、神田界隈で食事を摂り立ち寄った際に撮影したもの(撮影:2010-01)
ラジオ少年時代 中1~中3くらいだっただろうか。
もちろん愛読書は”初歩のラジオ”だった。
今は亡き親父が印刷・製本関連の仕事だったので、初ラやラジコン技術などの刊行元だった誠文堂新光社関連の本を毎号自宅に持参して来てくれていた。
親父も手先の器用な人でモノづくりが好きな人だったから、興味があったのだろう。
少なからず親父からの影響は、この時代に受け継いだ事には間違えない。
子供の頃の小遣いなど、たかが知れていたので店舗を訪れてもキットなど購入出来るはずもなく掲載されていた実体配線図を眺めながら、想像製作にふけっていた記憶が懐かしい。
ホームページは、今も存在して通販をしている様で近くの別店舗で営業も続けている様子。
また、近くを訪れる機会があったら覗いてみよう。
記事中の“科学教材社ビル解体工事”
ラジオ少年だった頃の自分は、自宅のあった飯田橋からここまで自転車で良く通ったものだ。
この周辺の道は、碁盤の目状態なので曲がる区画を間違えて、なかなか辿りつけなかったり良く迷った記憶が蘇る。
赤いテントと独特のフォントが懐かしい。今はもう見ることが叶わない。
妙に懐かしさが込み上げて来て、確か以前この近くを訪れた際に、店舗内を覗いた事を思い出し、膨大な未整理のスナップ写真の中からこの一枚の写真を探しだした。
神田明神の初詣の帰路に、神田界隈で食事を摂り立ち寄った際に撮影したもの(撮影:2010-01)
ラジオ少年時代 中1~中3くらいだっただろうか。
もちろん愛読書は”初歩のラジオ”だった。
今は亡き親父が印刷・製本関連の仕事だったので、初ラやラジコン技術などの刊行元だった誠文堂新光社関連の本を毎号自宅に持参して来てくれていた。
親父も手先の器用な人でモノづくりが好きな人だったから、興味があったのだろう。
少なからず親父からの影響は、この時代に受け継いだ事には間違えない。
子供の頃の小遣いなど、たかが知れていたので店舗を訪れてもキットなど購入出来るはずもなく掲載されていた実体配線図を眺めながら、想像製作にふけっていた記憶が懐かしい。
ホームページは、今も存在して通販をしている様で近くの別店舗で営業も続けている様子。
また、近くを訪れる機会があったら覗いてみよう。
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