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前回紹介した“椹池”の帰路。マップに“安房神社”と“津島牛頭天王社”という興味深い社名があったので立ち寄ってみることに。
【安房神社】
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おっ!?中山鳥居発見か?と、思って近づいてみると…。
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いつもの“中山鳥居”あるあるで、残念ながら貫の先が折れていただけでした。
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安房神社拝殿
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本殿
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青い波に太陽の装飾 この地に移り住んだ安房の忌部一族が故郷の海を偲び装飾したものでしょうか
祭祀:天太玉命 (あめのとふとたまのみこと)
由緒:『甲斐國志』黒印神領一石六斗二升社地一町許リ社記ニ至リ麻・穀ヲ播殖シ天王命ヲ祀ルト至ヘリ』とある。
安房国(千葉県)安房神社は神武天皇東征に際し、天富命(あめのとみのみこと)が勅命により阿波(四国)の斎部氏を率いて東国治定開発のため当地に来り、安房と名づけてそこに祖先である天太玉命(あめのふとたまのみこと)を祀って安房神社と称したといわれる。
四国阿波国(徳島県)には大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)と忌部神社とがあって、忌部神社は阿波の忌部氏の祖神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祀る。この神は天太玉命に隷属しているが、大古穀や麻を植えて紡績の業を創始した神で麻植の神ともいわれ、天照大神の石窟かくれのときには穀や麻をもって和幣をつくり、また神武天皇の御代天富命はその神裔を率いて肥よくの地、阿波国に至り穀・麻を植えて大いに業を興した。
その子孫は阿波忌部氏として此に留り、践作大嘗祭のときには木綿麻に御贄として奉仕することを例としたといわれる。
また大麻比古神社は大麻比古神(天太玉命の別名)を祀り、その孫である天富命が忌部氏を率いて麻穀等による殖産興業の基を開いた地である。
このように安房神社は殖産興業の神であり、また国の祭祀をも掌司した天太玉命を祀り、それは安房国の斎部(忌部)が始めてこの国に来て麻や穀を播殖するに当り礼ったと伝えられるが勧請鎮座のことは不詳であり、しかし『甲斐國社。記寺記』には当所の鎮守、一村一社、の産神とあり社地も一町ばかりとあるので、当時は相当な神社であった事が知られる。
なお祭神について『北巨摩郡誌『北巨摩郡勢一涯』峡北神社誌には大己貴命(おおあなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)となっているが、慶応四年(一八六八)に提出した社記には、太玉命とあるのでおそらく明治になってからの事であろう。(境内案内板より)
祭祀は、安房国(千葉県)一之宮 安房神社と同じく“天太玉命”をお祀りしています。由緒のように安房の斎部(忌部)氏がこの地に移り住み穀や麻を栽培しここから紡績業を甲斐国全土に、広めたと伝わります。
以前訪れやはり記事にした同じ韮崎市の穂坂町に鎮座する『倭文神社』は、機織りの神を祀り、麻などの繊維を赤・青などに染め横糸とした倭文織(しずおり)と言う 古代織物を伝えており古代よりこの地域に機織り業が盛んだったことを物語っています。
【津島牛頭天王社】
続いて訪れたのが安房神社から徒歩5分ほどの場所に鎮座する摂社の“津島牛頭天王社”です。
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拝殿
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本殿
祭祀:素戔嗚尊
由緒:津島神社は、もと小曾根、鍛冶屋の守神であったが村の統合によって現在は上条中割の氏神安房神社の境内社となっている。
祭神は、素戔嗚尊で、また津島牛頭天王とも言われて一般には「お天王」さんと呼ばれている。
御本社は、疫病除けの守護神として有名な尾張国(愛知県)津島神社で日本総社津島といわれ特に関東、東北地方にその分霊社が多い。
この神社の祭礼は、旧暦六月十四日・十五日で車楽(だんじり)祭また提灯祭りといい夏祭りの圧巻として著名である。
韮崎市藤井町坂井の天王社は村内悪病流行によって、永禄八年(一五六五)にこの津島神社の御分霊を奉斉したと伝えられているので、この津島神社も記録が無くて詳かではないが、いつの時代から悪病の流行などによって御分霊を勧請されたものではと思われる。(中略)なおこの地区では昔から神社の神紋が瓜の丸太切りに似ていることから、村の婦女子はその調理を忌みつつしんだで避けたと云われるが、これは本神津島神社の神紋が「窠紋(かもん)」であり、この紋は 帽額(もこう) 、また木瓜(もっこう)ともいい、その字義から瓜を輪切にした形を図案化したもので、おそれ多い心からその慣習が始まったものと思われる。(なお、社殿の荒廃によって昭和六十年氏子の総意によって社殿を再興し新たに御分霊を奉斉した)(案内板より転載)
祭神は、素戔嗚尊で、また津島牛頭天王とも言われて一般には「お天王」さんと呼ばれている。
御本社は、疫病除けの守護神として有名な尾張国(愛知県)津島神社で日本総社津島といわれ特に関東、東北地方にその分霊社が多い。
この神社の祭礼は、旧暦六月十四日・十五日で車楽(だんじり)祭また提灯祭りといい夏祭りの圧巻として著名である。
韮崎市藤井町坂井の天王社は村内悪病流行によって、永禄八年(一五六五)にこの津島神社の御分霊を奉斉したと伝えられているので、この津島神社も記録が無くて詳かではないが、いつの時代から悪病の流行などによって御分霊を勧請されたものではと思われる。(中略)なおこの地区では昔から神社の神紋が瓜の丸太切りに似ていることから、村の婦女子はその調理を忌みつつしんだで避けたと云われるが、これは本神津島神社の神紋が「窠紋(かもん)」であり、この紋は 帽額(もこう) 、また木瓜(もっこう)ともいい、その字義から瓜を輪切にした形を図案化したもので、おそれ多い心からその慣習が始まったものと思われる。(なお、社殿の荒廃によって昭和六十年氏子の総意によって社殿を再興し新たに御分霊を奉斉した)(案内板より転載)
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同じ木瓜紋でも「織田木瓜紋」尾張津島神社の神紋
津島神社は、全国に約3千社あるそうでその総本社が愛知県津島町に鎮座する全国天王総本社 津島神社です。
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広大な韮崎・甲斐市内と美しい山並みが一望できる立地に建っています。
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帰路にみつけた丸石神道祖神二基 右のものは、新たに造り治しています。
【マップ】
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