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以前から懸案だった八王子鑓水の「絹の道~絹の道資料館~道了堂」の散策をして参りました。
聖蹟桜ヶ丘からバスで南大沢へ。南大沢でバスを乗換え本来は、最寄り停留所「絹の道入口」まで直接行きたかったのですが、南大沢発「橋本行き」のバスが30分以上待たなければならない事がわかり急遽「多摩美術大学入口」行きのバスに乗車し、そこから歩く作戦に変更しました。
結局これが大正解で、タイミングよくすぐに乗車でき10分もかからず多摩美大にて下車。
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下車後は、野猿街道を歩くこと10分ほどで「絹の道入口」バス停に到着し散策開始です。
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鑓水公会堂入口交差点から脇に入るとすぐに大栗川にかかる御殿橋になります。
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大栗川 御殿橋から下流方面を望む
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源流は、橋の下で合流し一つになっていました。
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こちらのブログ記事によれば、此の先更に二手から流れて来ているようです。
自宅のすぐ目の前を淡々と流れている大栗川の源流がこの先に、あると思うと何か感慨深いものがあります。
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さて、御殿橋を渡った先の通りが「絹の道」になります。
かつては「神奈川往還」または「浜街道」と言われていたそうで、安政6年(1859)に横浜が開港しその後、鉄道が発達する明治の中ごろまで、輸出用の生糸が多数運ばれたルートだったそうです。写真は慶応元年(1865)に、建てられた道標です。
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絹の道資料館(拝観無料 月曜休館)
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館内の様子 展示解説の他 休憩スペースもあります。
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八王子市と言えば「織物」の街で有名ですが、かつて周辺地域で生産されていた生糸が八王子宿に集められ「絹の道」を通り横浜港に運ばれて行きました。
その生糸取引で短期間に巨額の富を成したのが「鑓水商人」で、この周辺には彼らの屋敷がたくさんあったそうです。
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資料館を出て北に少し歩くと、大塚山公園~道了堂への散策路があります。
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すぐに舗装路は途切れ、写真の様な快適な散策路となります。
更に緩やかな丘陵を登って行くと…。
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「絹の道」と記された碑が立っています。両脇には“日本養糸業史跡・鑓水商人記念?”とありました。
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突き当りの階段のこの上が「大塚山公園」となります。
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石灯籠 頂部が落とされているのは、やはり悪戯をされたからでしょうか?
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築礎碑 明治13年(1880年)道了堂の由緒を伝えています。
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これが稲川淳二の怪談話にも出てくる、曰くつきの「首無地蔵」です。
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今は、補修されていて首がちゃんと付けられていますが、やはり看板の様に罰当たりな人がいたようです。
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他にも子供を抱いたお地蔵様がいらっしゃいました。こちらも首のあたりに補修跡が見られます。
周囲は綺麗に掃き清められ、新しい献花もある事から今でも地元民から厚い崇敬があるようです。
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こんな場所に「金神」様が…。
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「道了堂」跡 ここが心霊スポットでもいろいろ取り上げられている場所です。
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1874年(明治7年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請したことが始まりである。1875年(明治8年)には道了堂(永泉寺の別院)が建立され絹の道の中継地として栄えたものの、1908年(明治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると絹の道が衰退していき、1983年(昭和58年)に解体されている。(WIKIより)
道了堂は鑓水商人の大塚吾郎吉が中心となって、峠を通る旅人や村内の安全のために、村でも見晴らしのいい峠の上に浅草花川戸から道了尊を勧請して明治7年(1874年)に創建した。(案内板より)
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栄華を極めていた頃の「道了堂」
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道了堂の奥には、三角点がありました。(大塚山 213.4m)なぜにお賽銭が上がっているのでしょう?
ここが心霊スポットとして、数々のメディアや雑誌などで取り上げられているのには、理由があります。それは、此の周辺で起こった数々の事件に起因しているのが真相の様です。(【最恐】身近にある東京都の心霊スポット30選 道了堂跡 -八王子市- NEVERまとめ)
道了堂周辺に、30分ほど滞在していましたが…。
噂されているほど、重苦しい雰囲気でも無く。特に、感じた物も無く。
最近目覚めた?サクラさんも自宅に戻ってからも特に、持って来たものも無いようで。
周辺で、写真を撮りまくってみたのですが…。
さりとて、特に何も写っておらず。期待していたオーブもひとつも飛んでいなく...。
東京でも「屈指の心霊スポット」と、言う触れ込みだったのでちょと期待していた割には、普通の史跡公園でした。
さて、ここで戻るだけでは面白くなかったので、周辺を散策して見る事にしました。
先ほどの「絹の道」の碑が建っている場所から左手に、道が続いていたので暫く歩いて行くと…。
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展望が、一気に開けた場所に出ました。資料によるとここが鑓水峠の様です。うっすらと秩父連山を見ることが出来ました。(写真中央が八王子駅周辺になります。)
さて、ここで一旦引き返し途中に見えた電波塔に向かいました。
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docomoの御殿山無線中継所でした。
その先に、ガードレールが見えたので更に歩いて行くと…。
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八王子バイパスをまたぐ「道了山跨道橋」がありました。この先は、どうやら御殿山尾根道としてちょっとしたハイキングコースとなっているようです。(中継所のある辺りが御殿山、その左手奥が大塚山になります。)
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歩道橋から 相原方面
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歩道橋から 打越・北野方面
八王子バイパスは、わずか4.5キロの一般道の有料区間(¥250)です。16号本線を走れば、もちろん料金はかからないで、行けるのですが余程のジモティでもない限り殆どの車は、事情を知らないのでガンガン利用しまっくておりJHはウハウハ状態のようです。
さて、大塚山公園まで戻り来た道を引き返す途中に円柱状の建物が見えたので、脇道を入ると…。
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鑓水給水所がありました。災時にはここが給水所になるようです。
すぐ目の前には
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整然と住宅地が広がっていました。突き当り丘陵の向こう側辺りが帝京大学になります。
帰路は、資料館で休憩し絹の道入口バス停から南大沢へ出て、三井アウトレットパークの中にある韓国料理屋さんで、遅い食事を摂って自宅に戻りました。
本日の総歩数:11846歩
【周辺マップ】
多摩美大~絹の道入口バス停~絹の道資料館 周辺
大塚山公園(道了堂)
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