八王子市内でも有名な桜の景勝地「富士森公園」へ花見がてら散策しに行って参りました。
只、花見をするだけでは、つまらないのでついでに周辺の史跡などへも足を伸ばしウォーキングして参りました。
10:00 スタート 京王線 聖蹟桜ヶ丘~北野~京王高尾線 山田駅下車
京王高尾線 山田駅 初めての下車駅
京王バス 八王子駅南口行 山田駅~上野町三丁目バス停下車
八王子市立郷土資料館
1F 館内の様子
今回初見だったミニチュア銅鐸
弥生時代後期集落遺跡の、中郷遺跡(東京都八王子市長房町)から出土。ミニ銅鐸は全国で50数例ほどが発見されているそうで、そのうち関東地方では15例ほど発見されており都内では、ここと高田馬場三丁目遺跡だけで、貴重なものだそうです。
主に住居跡などで、みつかっており何かの祭祀儀礼の際に用いられていたのではないか?との見解なんだそうです。
京王電車の名所図会 当時の京王閣はテーマパークだったようです。
聖蹟桜ヶ丘駅は、以前は“関戸”と言う名称でした。旧聖蹟記念館が描かれています。
多摩御陵線の御陵前駅が描かれています。
御陵線は、北野駅から分岐していた事がわかります。
2F館内の様子
続いて、郷土資料館から徒歩10分ほどの場所にある「富士森公園」へ散策しに行きました。
公園内の桜は既に満開でした。露天商の方々が出店準備でお忙しそうでした。
こちらの桜の木の下で花見をしました。幸い4~5組のグループだけでしたが、毎晩夜桜で人が出るのでしょう。
実は、家を出る前に花見だけではつまらないので、ついでに周辺の史跡などを巡ろうという話をサクラさんとしていました。
一番の候補は、先ほど訪れた郷土資料館だったのですが、たまたま地図を見ていて気になった地名がありました。
「要石(かなめいし)」マップを見ていて鹿島神宮や香取神宮にもある同じな名前の地名がある事に気づきWEB検索をしていたら、なんと!本当に「要石」が存在している事を確認していました。
時間があれば、散策しようと目論んでいたのでした。
バスナビで、調べていたらなんと!山田駅より少し先に「要石」バス停がありその先に、「椚田(くぬぎだ)遺跡公園」がある事もわかりました。
早速、バスの乗車時間を確認し頃合いを見て、富士森公園を後にしました。
12:30 富士森公園から東京家政学院行きバスに乗車
要石バス停に到着
要石交差点( 東京都八王子市椚田町)
目的の「要石」は、要石交差点から北見街道を東へ150メートル程歩いたマンションの植込みの中にありました。
要石の伝承
すぐ脇にある水神供養塔
ですが…。どうやらこれは、伝承にあった本来の「要石」とは、別物の様です。
WEB上で調べた限り残念ながら本来の「要石」は、別の場所にあったようで、マンションの新築工事の際に「要石」の保存計画が立ち上がり今の場所に落ち着いたようです。
また、地元に済むご高齢の方のお話では小川の中(近くを流れる浅川の事?)で見た。とか、こんな小さくなかったとか、結構アバウトな話で「要石」自体別物疑惑もあったりで少々残念な状況でありました。
もちろん伝承自信は古くからこの地に伝わって来ているのすから確かに存在していた事には疑いの余地はありませんが。
さて、続けて北見街道山王坂交差点から北へ少し行った椚田町の住宅街に「椚田遺跡公園」があります。
解説板 それぞれのサムネイルをクリックして拡大
縄文モニュメント
住居跡
昭和50年(1975)に区画整理事業に伴い発掘された遺跡で、縄文時代中期の典型的な集落として保存状態が非常によかったため、国の史跡に指定されました。長期にわたって人々が住み続けた結果、多数の住居跡が重複した状態で発見されています。建て替えや拡張した痕跡のある住居跡もあります。 八王子市HPより
ここから出土された遺物は、先ほど訪れた郷土資料館に常設されています。
まだ日が高いので、程近い御嶽神社を訪ねてみました。
散策途中で見つけた謎の「横穴」
写真下は、明るさを調整しています。良く観察すると壁の内側を石で補強している様に見えます。
御嶽神社 高尾から続く山並みが遠くに見えます。
14:00 ゴール 最寄りのバス停より京王線めじろ台駅へ
京王8000系 特急新宿駅行き
(おまけ) 聖蹟桜ヶ丘駅 川崎街街道沿いの桜も今が満開です。
本日のルートマップ
本日の総歩数:8850歩
総距離:6.19キロ
残念ながらバスで移動した分が長かったのであまり稼げませんでした。
只、花見をするだけでは、つまらないのでついでに周辺の史跡などへも足を伸ばしウォーキングして参りました。
10:00 スタート 京王線 聖蹟桜ヶ丘~北野~京王高尾線 山田駅下車
京王高尾線 山田駅 初めての下車駅
京王バス 八王子駅南口行 山田駅~上野町三丁目バス停下車
八王子市立郷土資料館
1F 館内の様子
今回初見だったミニチュア銅鐸
弥生時代後期集落遺跡の、中郷遺跡(東京都八王子市長房町)から出土。ミニ銅鐸は全国で50数例ほどが発見されているそうで、そのうち関東地方では15例ほど発見されており都内では、ここと高田馬場三丁目遺跡だけで、貴重なものだそうです。
主に住居跡などで、みつかっており何かの祭祀儀礼の際に用いられていたのではないか?との見解なんだそうです。
京王電車の名所図会 当時の京王閣はテーマパークだったようです。
聖蹟桜ヶ丘駅は、以前は“関戸”と言う名称でした。旧聖蹟記念館が描かれています。
多摩御陵線の御陵前駅が描かれています。
御陵線は、北野駅から分岐していた事がわかります。
2F館内の様子
続いて、郷土資料館から徒歩10分ほどの場所にある「富士森公園」へ散策しに行きました。
公園内の桜は既に満開でした。露天商の方々が出店準備でお忙しそうでした。
こちらの桜の木の下で花見をしました。幸い4~5組のグループだけでしたが、毎晩夜桜で人が出るのでしょう。
実は、家を出る前に花見だけではつまらないので、ついでに周辺の史跡などを巡ろうという話をサクラさんとしていました。
一番の候補は、先ほど訪れた郷土資料館だったのですが、たまたま地図を見ていて気になった地名がありました。
「要石(かなめいし)」マップを見ていて鹿島神宮や香取神宮にもある同じな名前の地名がある事に気づきWEB検索をしていたら、なんと!本当に「要石」が存在している事を確認していました。
時間があれば、散策しようと目論んでいたのでした。
バスナビで、調べていたらなんと!山田駅より少し先に「要石」バス停がありその先に、「椚田(くぬぎだ)遺跡公園」がある事もわかりました。
早速、バスの乗車時間を確認し頃合いを見て、富士森公園を後にしました。
12:30 富士森公園から東京家政学院行きバスに乗車
要石バス停に到着
要石交差点( 東京都八王子市椚田町)
目的の「要石」は、要石交差点から北見街道を東へ150メートル程歩いたマンションの植込みの中にありました。
要石の伝承
すぐ脇にある水神供養塔
ですが…。どうやらこれは、伝承にあった本来の「要石」とは、別物の様です。
WEB上で調べた限り残念ながら本来の「要石」は、別の場所にあったようで、マンションの新築工事の際に「要石」の保存計画が立ち上がり今の場所に落ち着いたようです。
また、地元に済むご高齢の方のお話では小川の中(近くを流れる浅川の事?)で見た。とか、こんな小さくなかったとか、結構アバウトな話で「要石」自体別物疑惑もあったりで少々残念な状況でありました。
もちろん伝承自信は古くからこの地に伝わって来ているのすから確かに存在していた事には疑いの余地はありませんが。
さて、続けて北見街道山王坂交差点から北へ少し行った椚田町の住宅街に「椚田遺跡公園」があります。
解説板 それぞれのサムネイルをクリックして拡大
縄文モニュメント
住居跡
昭和50年(1975)に区画整理事業に伴い発掘された遺跡で、縄文時代中期の典型的な集落として保存状態が非常によかったため、国の史跡に指定されました。長期にわたって人々が住み続けた結果、多数の住居跡が重複した状態で発見されています。建て替えや拡張した痕跡のある住居跡もあります。 八王子市HPより
ここから出土された遺物は、先ほど訪れた郷土資料館に常設されています。
まだ日が高いので、程近い御嶽神社を訪ねてみました。
散策途中で見つけた謎の「横穴」
写真下は、明るさを調整しています。良く観察すると壁の内側を石で補強している様に見えます。
御嶽神社 高尾から続く山並みが遠くに見えます。
14:00 ゴール 最寄りのバス停より京王線めじろ台駅へ
京王8000系 特急新宿駅行き
(おまけ) 聖蹟桜ヶ丘駅 川崎街街道沿いの桜も今が満開です。
本日のルートマップ
本日の総歩数:8850歩
総距離:6.19キロ
残念ながらバスで移動した分が長かったのであまり稼げませんでした。
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