今年我が家は、NHK大河ドラマの影響で「真田丸」ブーム。
関連記事:【イベント】真田丸展@江戸東京博物館
そんなおり、日帰りバス旅行で群馬方面の観光スポットを巡るりんご狩りや「沼田城址公園」へ立ち寄るツアーがあったのでサクラさんは11月初旬の初めの休日に早速予約。
沼田へは、以前勤めていた会社のOB達と温泉一泊旅行で一度訪れたことがありましたがその時は素通りでした。
沼田城址公園には、関越自動車道 沼田ICを降りて約10分ほど。
ブラタモリでタモリさんも大興奮の河岸段丘の端にある日本の歴史公園100選に選定されている公園です。
推定沼田城(出典:こちらより転載)
沼田城は、天文元年(1532)に沼田万鬼斎顕泰が築き、当時は蔵内城と呼ばれていました。天正8年(1580)に真田昌幸が入城し城の規模を広げ、天正18年(1590)に昌幸の長男信幸(之)が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守を建造しました。
その後、北条家、上杉家に領地を狙われながらも5代91年間に渡り真田氏の居城となりましたが、天和元年(1681)5代信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に沼田城は幕府の命により完全に破却されその後天守が再建されることはありませんでした。
現在、城跡は沼田公園となっていますが、石垣の一部など遺構をわずかに確認することができます。(こちらから引用(一部加筆))
今年は、さすが真田丸効果で訪れる人が凄かったみたいです。ブームがされば、また戦国武将ヲタのみが訪れるようなひっそりとした公園に戻る事でしょう^^;
かつて本丸のあった辺り すっかり整備され四季折々その姿を変える美しい公園だそうです。
真新しい信之像と小松姫像(平成27年12月吉日 建立)
かつて五層の天守閣が築かれていた場所には、戦没者を祀る利根英霊殿が奉られています。
再建された鐘楼
西櫓台の石垣と石段 地中に埋まっていたのが発掘調査で発見されたそうです。
真田時代の石垣 こちらも当時を偲ぶことが出来る数少ない遺構のひとつ
天狗堂内の大天狗面 沼田まつりの主役
平八郎石 昌幸がこの岩の上で沼田平八郎景義の首実検をしたと伝わります。
武尊(ほたか)山方面ですが本日は天候がイマイチ 右側の目立つ三角山は戸神山と言うそうです。
谷川岳方面 河岸段丘の素晴らしい立地に建つ沼田城 中央丘陵の平らな場所にはかつて名胡桃城(なぐるみじょう)がありました。
市内駅方面を望む 戦国武将たちが征伐の拠点と狙うそれなりの理由があるわけです。
頂戴したパンフ類と真田一族 資料価値十分です。
【マップ】
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そんなおり、日帰りバス旅行で群馬方面の観光スポットを巡るりんご狩りや「沼田城址公園」へ立ち寄るツアーがあったのでサクラさんは11月初旬の初めの休日に早速予約。
沼田へは、以前勤めていた会社のOB達と温泉一泊旅行で一度訪れたことがありましたがその時は素通りでした。
沼田城址公園には、関越自動車道 沼田ICを降りて約10分ほど。
ブラタモリでタモリさんも大興奮の河岸段丘の端にある日本の歴史公園100選に選定されている公園です。
推定沼田城(出典:こちらより転載)
沼田城は、天文元年(1532)に沼田万鬼斎顕泰が築き、当時は蔵内城と呼ばれていました。天正8年(1580)に真田昌幸が入城し城の規模を広げ、天正18年(1590)に昌幸の長男信幸(之)が沼田領二万七千石の初代城主となり、慶長2年には五層の天守を建造しました。
その後、北条家、上杉家に領地を狙われながらも5代91年間に渡り真田氏の居城となりましたが、天和元年(1681)5代信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に沼田城は幕府の命により完全に破却されその後天守が再建されることはありませんでした。
現在、城跡は沼田公園となっていますが、石垣の一部など遺構をわずかに確認することができます。(こちらから引用(一部加筆))
今年は、さすが真田丸効果で訪れる人が凄かったみたいです。ブームがされば、また戦国武将ヲタのみが訪れるようなひっそりとした公園に戻る事でしょう^^;
かつて本丸のあった辺り すっかり整備され四季折々その姿を変える美しい公園だそうです。
真新しい信之像と小松姫像(平成27年12月吉日 建立)
かつて五層の天守閣が築かれていた場所には、戦没者を祀る利根英霊殿が奉られています。
再建された鐘楼
西櫓台の石垣と石段 地中に埋まっていたのが発掘調査で発見されたそうです。
真田時代の石垣 こちらも当時を偲ぶことが出来る数少ない遺構のひとつ
天狗堂内の大天狗面 沼田まつりの主役
平八郎石 昌幸がこの岩の上で沼田平八郎景義の首実検をしたと伝わります。
武尊(ほたか)山方面ですが本日は天候がイマイチ 右側の目立つ三角山は戸神山と言うそうです。
谷川岳方面 河岸段丘の素晴らしい立地に建つ沼田城 中央丘陵の平らな場所にはかつて名胡桃城(なぐるみじょう)がありました。
市内駅方面を望む 戦国武将たちが征伐の拠点と狙うそれなりの理由があるわけです。
頂戴したパンフ類と真田一族 資料価値十分です。
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