今回は「山梨県の道祖神/中沢厚著(1973)」で、紹介されていた韮崎市穴山町の住宅街と田畑の一画にある道祖神が、とても変わっているとの情報から訪れたもの。
道祖神前に立派な石鳥居が置かれているものは極めて珍しい事例ではないでしょうか。貫が突き出ていませんのでこれも珍しい中山鳥居です。
扁額には「街神」とあります。初見ですがその名の通りここの集落の氏神様という認識でいいのではないでしょうか。
祠の内部には石棒が祀られていました。
集落の中央 田畑と生活路との交差した一画に玉垣で囲われた道祖神が鎮座しています。
更に左右手前に石灯篭が建っています。
火袋部分が新しく違和感があります。ニコ(サン?)コイチ感は否めません。(特に左側の火袋部分は水路などのコンクリパーツでしょうか(^^;)
文化二李?丑二月(1805)
奉納 常夜灯 願主 長坂傳(?)左右衛門
傍らに笠の部分が置いてありました。たぶん左右どちらかのオリジナルのものだった事は予想できます。
隣にあった石仏
灯篭の屋根部分には、しっかりと武田菱 何処か別の場所にあった祠の屋根部分を常夜灯とニコイチにして置いたものと推測しています。
こちらは、別の場所(次第窪公民館前)にあった同じような常夜灯がある道祖神
こちらには、双代道祖神が祀られていました。
丸石神、石棒、道祖神…。ここは、他では見られない山梨独特の信仰形態が凝縮された興味深い場所でした。
【マップ】
※ 韮崎市穴山町にある次第窪公民館(コミュニティ センター)を目指して来て下さい。ストリートビュー参照
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