2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)
1988年2月11日(祝) 日和田山
久しぶりの岩
今日は久し振りの岩。それも5年ぶりの日和田山。始発でかけつけた男岩には、もうザイルがセットされ、ほとんどLMCのメンバーのみが取り付いていた。常連の4人は男岩南面の右の2本のバンドのあるフェースで二人ずつでリードの練習。偶然にも会ってしまった平日のL二人と、新人の一人は左の上部がややかぶり気味のルートと上部の小さなチムニーをLの指導とSLの確保で、久し振りの日和田で全くホールドもスタンスも忘れてしまって大騒ぎで捜す。途中から確保の練習。その頃には私達の5本のザイルに加えて南面だけでも10本くらいのザイルがさがり、アイゼンの音や「お母さん、頑張って」という子供の声も聞こえるようになる。やっと昼食になったのは1時もかなり過ぎた頃のようだった。
午後からはL、SL、常連の人たちは南面左のリッジのⅤ級ルートに挑戦。私たちはすぐ右のやさしいルートで交代で下から確保して、攀りとクライムダウンを4時半頃まで時々左のリッジのギャラリーとなりながら繰り返す。
全く忘れた頃の参加で皆さんにお手数をかけましたが、今日の練習を今後の山行に活かしたいと思います。 (S岡K子)
(参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、A立、A部、U田、K子、K澄、K島、S岡、DN (計10名)
※岩・沢の基本技術修得に情熱を燃やす常連に平日の凄足トリオを加えて、僕の攀る間などありはしない。SLも最初に一本リードしてザイルセットした以外は、ずうっと確保、確保、確保。ゴクロウサマデシタ。
常連はザイルパートナーを組み、アンザイレンして、リード、トップの確保、フォロウ、セカンドの確保を繰り返す。残置ピンの確りしたⅢ級ルートまでなら、太鼓判。ついには男岩南面右ルート(4級プラス)までもリードしてしまった。でも、オンサイトではなく、レッドポイントだからネ。もっとハッスルして、4級プラスをオンサイトできるようになって欲しい。そればかりか、5級でも。
トリオ・ザ・ウィークデイは黙々とトレーニング。あまり手伝えなくてゴメンナサイ。
春が近づくにつれ、今年の沢登りも、こう、なあ~んか、アカるい感じがしてきたな。テントしょって、深い自然の裡に、渓谷遡行しに行きたいな。 (L)
交通費 800 食費(1日分) 2300
バレンタインデーの前なのでチョコレート買ってゆく
2023.02.11 追記
さっちゃんの山日記にはこの会山行のルポが掲載された月報が貼られていました。最後の2行だけがさっちゃん自身が書いたものです。
このルポを書いたS岡さんは平日にも休める方で、DNさんやK澄さんとよく平日山行を行なっていました。そのS岡さんとI川さんに、僕は入会2年目のとき誘われて、北鎌尾根へ行ったのが思い出深いですね。小柄で笑顔の可愛らしい女性でしたが、病気で早くに亡くなりました。闘病中も少しでも体調がいいと、僕の計画した沢登りに参加してくれたりしました。体調がいいと言っても、満足に食事も摂れない状態で、山行中も何も食べないのですが、楽しそうにはしゃいでいたのが印象的でした。山のことを本当に愛していた素晴らしい女性です。
書きたがりの僕は自分がリーダーの会山行のルポには、後ろにリーダーからのひと言を付け加えるのが常でした。35年前も今も、僕の考え方には変わりがないですね。
バレンタインデーのチョコレートはさっちゃんから毎年もらい続けることが出来ました。何年からチョコレートをもらえなくなったのか、記憶は定かではありませんけれど、認知症の進展の影響であったことだけは確かです。そういうことも忘れさせてしまう認知症は哀しい病気ですね。