さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんの退院に向けて少しずつ動き出すかもしれません

2022-03-15 22:28:49 | 肺炎
さっちゃんが入院している災害医療センターは救急救命に重きを置いた病院ですから、ここからの退院が病気完治を意味するものではありません。
それを前提として、今後の道筋も考えていかねばなりません。

今日の10時半ころ、さっちゃんの主治医の先生から電話が入りました。
今週明けに血液検査等すると聞いていましたから、その結果報告があるとは予想していました。

酸素の供給量は減っていると言います。
昨日の看護師さんは酸素マスクはもうしていないと言っていましたが、恐らくまだ少量必要な状況もあるのかもしれません。
お医者さんの方が慎重な判断、言い方をしたのでしょうか?

炎症の程度を示す値であるCRPですが、2.9だったそうです。
30台から20台、10台へと順調に下がって来てはいますけれど、まだまだ中程度以上の炎症だという数値です。
レントゲンでもまだ肺炎が認められる状態なんだそうです。
誤嚥性肺炎が最も疑われますから、痰も多く出ているそうです。

飲み込む能力はあるのですが、その意欲に乏しいので、口からの水分・栄養摂取は困難だろうと言います。
現在は点滴と鼻からの管による経腸栄養の方法を取っているとのこと。
経腸栄養ですが、まずは水分から始め、昨日からは少しカロリーのあるものを摂取してもらっているそうです。
胃腸の機能を徐々に活性化させていかなければならないのでしょうね。

退院時期の目途についても聞いてみました。
すると、「受け入れ態勢さえあれば、今すぐにでもいいですよ」との返答。
ただし、その受け入れ態勢はかなり充実させておかないと駄目なんだと思います。
肺炎は完治していませんし、の量もかなり多い、酸素が必要な状況になるかもしれない、容態も急変するかもしれない。
そういった幾つかの心配点に対応できる受け入れ態勢を作っておかねばならない、ということです。

主治医の先生に、僕は「さっちゃんを自宅に迎えたい」と言いました。
可能な限りその方向性で検討を進めてみるつもりです。
先生も「じゃあ、その方向性で考えてみましょう」と言ってくださいました。
自宅で受け入れる方向で検討を進め、やっぱりそれでは無理だとなったら、その時点で方向転換すればいいことです。

自宅で迎えられるなら、可能な限りそうしたいと思います。
コロナ禍でなければ、近くの病院に転院しても、毎日顔を合わせることが可能です。
何時間でも一緒に過ごすことが出来ます。
でも、今はコロナ禍、入院してしまうと全く住む世界が違ってしまいます。
完全に離れ離れの生活になってしまいます。
それでもまだ、さっちゃんに失語症がなければ電話で話すことも出来るでしょうが、さっちゃんとは会話も成立しません。
顔を見合いながら、手を繋ぎながら、ハグし合いながら、同じ空気を吸いながらでないと、僅かな心も通じ合わないと感じるのです。
僕は再びさっちゃんの笑顔を見たいのです。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

A野さんから過分な応援(?)をいただきました。
そのお気持ちだけでも十分でしたのに、さらにそれ以上のものをいただきました。
有難うございます。
感謝しかありません。
その頂き物に手紙が付いていました。
A野さんには申し訳ないですが、ブログに転載させていただきたいと思います。
(以下、手紙の中の僕の名前をメロンさんと替えさせてもらいます。もちろん、妻のことはさっちゃんで)

メロンさん・さっちゃんへ
 風が暖かくなってきましたね。花々も咲き始め、やっと春が近づいてきました!
 久しぶりにブログを読み、お二人の絆の強さを改めて実感しましたし、夫婦って良いなぁ、家族って良いものだなぁと思いました。私達夫婦もそうありたいなぁと思います。
 飲み込む力はあるけれど飲み込めない・・・・本当に難しいしもどかしいですね。私も経験したことがありますが、口の周りをマッサージしたり、「ごっくん!! ですよ~。ごっくん!!」と言葉をかけ続け、30分頑張っても数口・・・・ということが多く、いつもご主人に「ごめんなさいね、これだけしか食べさせられなくて・・・・」と謝っていたように思います。そして思うに「ごっくん!!」という言葉は割と届きやすいイメージです。耳元で「ごっくん!!」と・・・・。なかなか難しいですけれどね。。。
 さっちゃんが自ら立ち上がろうとして足を動かしたというシーンはじんとしました。さっちゃんの肺炎が良くなりますように。痰が減りますように。そしてお家でメロンさんとの時間をまた過ごせますよう祈っております。何か手伝いたい気持ちですが、飛んで行けない今、気持ちを受け取って頂けますと嬉しいです。お願いします。
 メロンさんも身体を労りながら、、、周りの人の助けを沢山受けて皆さんと一緒にさっちゃんを支えて下さいね。1人で頑張りすぎないで下さいね!!   A野


A野さんは介護や看護のお仕事をされてきた(現在も)方ですから、僕とさっちゃんのありのままをよく理解してくださっていると思います。
心寄せてくださっていると知るだけで、こちらの心も温かく包まれる気持ちになります。


▲17:14。夕方、独りで散歩して来ました。さっちゃんが戻って来たら、また一緒に散歩したいです。暖かな季節になってきましたから、このような夕景もさっちゃんに眺めてもらうことも多くなるはずです。
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災害医療センターに必要な物を届けて来ました

2022-03-14 23:48:54 | 肺炎
土曜日の夕方災害医療センターから電話が入りました。
病院から電話が入ると、ドキッとしますね。
ただ、さっちゃんの入院生活の中で必要な物を持って来て欲しいという内容でした。
すぐにでも届けに行こうかと思いましたが、「月曜日でもいいですよ」と言われて、そうすることにしました。

今朝は7時に鳴ったアラームで起きはしましたが、二度寝してしまいました。
前日の日和田での岩トレと下山後の打ち上げの影響でしょう。
10時に起きて、朝食を食べ、洗濯をしました。

その後、1時過ぎころ、僕は自転車で病院へ向かいました。
今日は4月中旬並みの暖かさ(暑さ)でしたから、薄着で自転車も力一杯漕がずにゆっくりと向かいました。
それでもやっぱり55分ほどで到着しましたね。

家にあったパッド2袋、口腔ケア用ウェットティッシュを持って行きました。
病院のコンビニで口腔ケア用のスポンジブラシ、マウスジェル、お尻拭き3袋を購入しました。
それをさっちゃんの居る病棟のナースステーションに持って行きます。

渡した後、公共スペースのようなデイルームでさっちゃん担当の看護師さんを待っていました。
看護師さんにスキンケアクリームも見せると、「保湿クリームを使っていますが、それも預かっておきますね」と言われました。
看護師さんですから、さっちゃんの詳しい病状を聞くことは出来ないのですが、「酸素マスクはもうしてませんよ」と教えてくれました。
そして、「入院手続きがまだだと思いますので、1階の入退院受付へ行って、手続きを進めてください」と言われました。
受付窓口で入院のご案内との冊子を渡され、入院申込書等を渡されました。
緊急対応が必要な患者を多く受け入れている病院ですが、入院手続きはのんびりし過ぎですね。

ひと通りの用事が終わり、自転車で家へ帰りました。
4時過ぎに着き、遅い昼食を食べ、洗濯物を取り込みます。
それからちょっと寝てしまいましたが、8時くらいからお味噌汁だけ作り、遅い夕食を少しだけ食べました。
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『標準コースタイムで歩く』シリーズの№4からは少し急いで歩くようにしました

2022-03-12 20:29:27 | ザイルと焚火と焼酎と
2月17日(木)に高水三山のうち惣岳山と岩茸石山の二山を歩いて来ました。
写真をたくさん選んだりするので、もともと記録の作成には時間がかかるのですが、今回は3週間以上かかってしまいました。
19日にはYYDの山行に参加し、20日は3回目のワクチン接種、21日は倦怠感で丸一日ぐったりしていました。
そして、24日のさっちゃんの退院の日を迎えたわけです。
何かと忙しく、3月に入ると更なる怒涛の展開で、息つく暇もない状況でした。
さっちゃんが入院している状況で、面会も出来ませんから、僕は意識的に元気に過ごすしかありません。
10日の日はF沢さんと日和田で岩トレ、明日もS﨑君たちと日和田で岩トレします。
昨日あたりからは何事もなくやっと落ち着いた生活が出来ています。

山行の詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。
『標準コースタイムで歩く』シリーズ№4 ――― 109% 高水三山の内、二山を歩きました。低山なのに思いのほか多くの雪が!

この№4から少し急いで歩くことを心がけるようにしました。
ほんの少し急ぐことで、筋肉に負荷をかけ、トレーニング効果を高めるためです。


▲12:26。岩茸石山山頂まであとわずか。人の姿が見える場所が頂上です。

以下に山行時間の詳細を記しておきます。
             僕がかかった時間    コースタイム
御嶽駅~惣岳山         88分          105分
惣岳山~岩茸石山        51分          40分
岩茸石山~北川橋        81分          45分
北川橋~川井駅         30分          40分
トータル            250分          230分


という訳で、今回はコースタイムの109%で歩いたことになります。
急いで歩くことを意識したのに、100%より大きな値になってしまいました。
岩茸石山から北川橋、とくに名坂峠からの下りに時間がかかり過ぎているのが一因ですね。
惣岳山までの登りはコースタイム比84%ですから評価できると思います。


今日の11時7分、A野さんから電話がかかって来ました。
時々ブログを読んでいてくれたみたいで、久し振りに読んで、居ても立ってもおられずに電話を掛けてくれたようです。
彼女とも沢登りをし、岩トレをし、雪山へも行きました。
今から10数年前になりますが、3年間ほどで沢に30本以上行っています。
奥多摩の沢がほとんどですが、谷川のナルミズ沢や尾瀬の大薙沢などへも行っています。
彼女との出会いは印象的に記憶に残っています。
さっちゃんとS﨑君とで広沢寺での岩トレの帰り、S﨑君お薦めの居酒屋さんで出会いました。
その後すぐに、日和田での岩トレ、丹沢の源次郎沢の沢登りと、一緒に行くようになったのです。
ただ、彼女は看護師さんで、その内ひどく多忙になり、いつの間にか山からは遠ざかってしまいました。
さっちゃんのことをとても心配してくれます。
いろいろと話し、23分間も喋っていました。
山の仲間はいいですね。
思えば、さっちゃんと僕の共通の友人はほとんどが山の仲間です。
さっちゃんのことはもちろん、僕のことも心配してくれる優しい仲間です。
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日和田でのクライミングの最中に災害医療センターから電話が入りました

2022-03-11 22:13:34 | 肺炎
水曜日の午前中に、F沢さんからメールが入りました。
「明日の木曜日に日和田で岩トレしませんか?」と言うのです。
およそ半年ぶりのF沢さんとの岩トレになりそうです。
6年ぶりのS﨑くんにしろ、半年ぶりのF沢さんにしろ、このタイミングで連絡が入るとは! 何やら神様の配慮すら感じてしまいます。
山仲間からの温かな気持ちを受け取れますし、僕の暗い心持ちも明るくなりそうです。

という訳で、昨日日和田へF沢さんと岩トレに行きました。
その岩トレの報告は別に譲るとして、途中で掛かって来た災害医療センターの主治医の先生からの報告内容を記録しておこうと思います。

確かトップロープで僕が女岩西面左ルートを登っていた時でした。
僕のスマホが下でか細く鳴っているのが聞こえました。
すぐに降ろしてもらって(どうせそれ以上は登れなかったのですが)、スマホの履歴を確認します。
災害医療センターからでした。
今日、血液検査をすると聞いていましたし、もし連絡が入ったらと思い、スマホの電源は切らないでおいたのです。
普段ならスマホの電源は切っておきますし、日和田では電波が届くことも知っていましたから。

11時47分に僕から掛け直しました。
担当の先生に繋いでいただきました。
以下、先生からの報告です。
「CRPの値は12.7まで下がりました。
右肺にはまだかなりの肺炎の影が確認できます。
飲み込む能力はありますけれど、発揮するのに時間がかかります。
今後、嚥下能力を高めるリハビリも必要になるでしょう。
鼻から胃へを通すことも今後しなければならなくなります。
最初は少しずつ胃に栄養等を入れていって、胃腸を慣らしていこうと考えています。
酸素はまだ0.5L送っています。
来週に入って、また血液検査等行ない、その結果次第で退院についても考えていこうと思っています。
ただ、この状況では自宅への退院は難しいと考えています。
他の病院への転院が良いのではと考えます」


CRPの値も以前よりは半分以下に下がったとはいえ、まだまだ高過ぎる数値です。
レントゲンでもそれを裏付ける肺炎の現状ですね。
嚥下能力を高めるリハビリ、そのようなものがあるのだろうとは僕も思っていましたが、実施して効果があれば嬉しいですね。
来週すぐの血液検査等の結果がまずまずならば、来週中での転院もあり得るのかもしれません。



▲14:07。日和田の女岩西面左ルート5.10bです。かなりの前傾壁をF沢さんが乗っこそうとしています。僕はと言えば、前傾がきつくなった所から上へは行けませんでした。30代のころはノーテンション(もちろんトップロープ)で登れていたんだけどな。

夕方帰宅して、お風呂に入り、ちょっと眠ってしまってから、残りのお味噌汁、レトルトのご飯とカレーで夕食にしました。
すると、また眠くなってしまって10時ころまで寝てしまいました。
それからPCチェックをしたり、最低限の家事をして、就寝。
ブログで報告するのが翌日になってしまいました。
全身が心地よい筋肉痛です。
それほど酷くはありませんけどね。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

今日の夕方、筋肉の疲れをほぐそうと思い、散歩に出かけました。
さっちゃんと一緒にいる気持ちで歩きました。


▲17:17。久し振りに黄金色に輝く夕陽を見た気がします。

歩いていると、夫婦(多分)が低い場所から多摩川土手に上って来ました。
すれ違ってすぐに、そのご婦人が僕に声を掛けて来ました。
「今日はお一人なんですか? 何時もご一緒に散歩されていたお母様は今日はおられないのですね」
僕は応えました。
「母親ではないのですよ。妻なんです」
「あっ、そうなんですね。失礼しました」
「今、入院してるんです」
「そうですか。お大事にされてください。お会いになったんですか?」
「いえ、今はコロナ禍なので面会は出来ないんですよ」
「そうですか。お辛いですね。奥様の回復を願っています」
「有難うございます」


さっちゃんは認知症が進み、今は長引く入院生活の中で、実年齢以上に老けて見られるようになってしまいました。
ここのところお会いしたお医者さんや看護師さんもほぼ全員が「お母様は・・・・」と言います。
そのたびに僕は「妻です」と訂正します。
前のブログで載せた1987年の写真を見てもらうと分かるでしょうが、そんなに年の差があるとは見えませんよね。
衰えていくさっちゃんの姿が可哀想で悲しくなります。


▲17:31。上弦の月が出ていました。さっちゃんがいても、本当に真上の空なので、さっちゃんには見つけられないでしょうね。さっちゃんは真上を見上げる動作は出来そうにありませんから。


▲17:41。いつもの水の流れでカルガモが休んでいました。頭を羽の中に隠していましたが、僕の気配に気付いて、頭を出し、眼も開けました。
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今日も災害医療センターへ行きました。さっちゃんの入院生活に関係した諸手続です

2022-03-08 23:49:45 | 肺炎
今朝の9時25分、訪問診療所から電話があって、さっちゃんの様子を聞いてくださいました。
僕からも契約書の件を聞いてみましたが、あまり急いでいる感じではありませんでした。
次に診療に伺う時にでも、といった感じです。
でもまあ、僕としては早めにきちんとした契約をしておきたいですから、記入した契約書を診療所に持って行くことにしました。
我が家から近いんです。

続いて10時30分には、災害医療センターから電話が入りました。
さっちゃんが今日の1時半一般病棟へ移るんだそうです。
それで、個室と大部屋があってどこに入りますか? という説明がありました。
個室は費用が嵩みますし、さっちゃん自身も個室の快適さを実感できないでしょう。
個室でないと困るような病状でもありません。
大部屋をお願いしました。
また、入院中に必要になるもの、病衣、オムツ、パッド、ボディソープ、シャンプー、etc.も揃えなければなりません。
病衣はレンタルするのだそうです。
その他の物は購入するのだとか。
どうやら病院にあるコンビニで購入するみたいです。
僕が「じゃあ、今日伺いますね」と言うと、「では、1時半以降に来てください」と言われました。

軽く昼食を食べ、家にあったオムツとパッドを持って行ってみることにしました。
これを使ってもらえるのなら、別途購入する必要もないですしね。
今日も自転車で行くことにしました。
歩きなら気にならない程度の小雨が降っていました。
病院に近づくころまで降っていました。
帰りには止んでいましたね。
今日も往復1時間50分のバイク運動が出来ました。

さっちゃんが居る病棟のナースステーションへ行きます。
担当の看護師さんがすぐに出て来てくれて、オムツとパッドを受け取ってくれました。
どうやらこれでいいみたいです。
テーブルと椅子、ソファが幾つも置いてある広いスペースへ行き、看護師さんから簡単な状況説明がありました。
酸素は0.5Lになっているようですね。
そして、数枚の用紙を渡されてサインをするように言われました。
退院支援計画書、病状説明用紙、入院時説明同意書、緊急処置および検査に対する同意書、身体行動制限に関する説明同意書です。

これらの書類にサインする前に、看護師さんに言われたシャンプーとボディソープを購入しに正面玄関横のコンビニへ行きました。
そこでは病衣レンタルの契約もしました。
浴衣タイプの病衣は1日220円で、仮に2週間分の契約をしました。
2日に1着、病室に届けられるそうです。

サインし終えて、ナースステーションに持って行くと、今度は別の書類の説明があるようです。
また広いスペースへ戻り、その書類の説明を聞きます。
あれ? どうも個室の病室の契約書のようです。
僕はすぐに「個室は頼んでいませんよ」ときっぱり。
1日1万円もする個室に入る余裕もありませんし、さっちゃんの病状では個室の必然性もありません。
看護師さんは困ってしまったようで、いったん僕の元から離れ、しばらくして戻って来ました。
「他に空いているベッドがないそうなんですが、個室でお願いできませんか?」と言います。
僕は「急にそんなことを言われましても、かなりの出費ですし・・・・」
「個室以外に空いているベッドがないケースで、個室のベッドを無料で使用することもあるように聞きますが」
などと、言ってみました。

この行き違いの原因はどうやらこんなことのようですね。
今朝の電話で、最初に個室の説明がありました。
次に大部屋の説明があり、窓際のベッドは1日1000円プラスされることも聞きました。
それで僕は大部屋前提で次のように話したのです。
「窓際が気持ちいいでしょうけれど、さっちゃんはそれが分かる状態ではありませんしね。
隣りのベッドに五月蠅い人がいたりしたら嫌でしょうけれど、そんなことも滅多にないですよね。
ですから(大部屋なら)どこでもいいです」

僕は個室の話は終わって、大部屋の話になっていると思っていましたから。
当然のごとく、「大部屋ならどこでもいい」という内容を伝えたつもりだったのです。
でも、電話して来た方は「個室も含めてどこでもいい」と受け取られたみたいですね。
ただ、そうなら「個室に入られるということでよろしいですね。1日1万円かかります」との確認を最後にするのが普通ですよね。

ベッドに空きがないと言うし、どうなるんだろうとヒヤヒヤしていましたが、看護師さんも僕の言っていることは理解してくださいました。
どういう経緯があったかは分かるはずもありませんが、しばらくして再び看護師さんが戻って来ました。
「窓際のベッドが空いているようなので、そこではいかがですか?」と言います。
裏でどういうやりくりがあったかは知る由もありませんが、これすら断ると申し訳ありません。
(本当はそんなことないのですけどね)
窓際ベッドの契約書にサインしました。
20日間いたとして2万円ですね。
個室なら20万円! ですよ!
そんな大金ありません。

ちょっとしたハプニングはありましたけれど、無事に入院手続きが終わりました。

そんなことのあった間の時間に、昨日さっちゃんの病状説明をしてくださったお医者さんが短い時間でしたが、来て話してくださいました。
基本的にはさほど変わった内容はありませんが、がかなり出るとおっしゃいます。
日常的に誤嚥があるようなんです。
自分では痰を出すことが出来ないので、痰を吸引することも行なう可能性があるようです。
こちらの問い掛けに対しての反応も見られるようになったそうです。
微熱は続いているようですね。
木曜日に血液検査をするので、その結果を見てそれ以降の方針も考えましょうとのことでした。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

今日、ブログのプロフィール欄の写真を変更しました。
以前はアカヤシオ、シロヤシオが満開の中、山を歩くさっちゃんの姿でしたけれど、小さくて分かりませんでした。
今回はさっちゃんの顔がはっきりと分かります。
その元の写真を載せておきます。


1987年8月8日、北アルプスの室堂ですね。さっちゃんの会社の社長さん家族に偶然出会い、写真を撮ってもらったのです。この年は初めての剱岳だったので、八ッ峰6峰Cフェース剣稜会ルート、源次郎尾根、Dフェース富山大ルートを登攀しました。左の男性は小生です。

この山行を記録したさっちゃんの文章が残っていますから、いつか写真とともにこのブログでも紹介したいと思います。
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災害医療センターの担当のお医者さんから説明を受けました

2022-03-07 23:38:49 | 肺炎
今日の11時45分、僕が眼科病院に行っている時、災害医療センターから電話が入りました。
「さっちゃんの病状について近いうちに説明の場を持ちたい」と、担当のお医者さんから話があったのです。
僕が「今日でもいいですよ」と言うと、「では本日の16時からでいかがでしょうか?」との提案。
僕はもちろん大丈夫です。
「場所はのちほど決めて、連絡しますね」と、その時の電話は終了しました。
昼過ぎに連絡があって、お会いする場所も決まりました。

僕は日頃の運動不足解消のために、自転車で向かいました。
片道55分、往復ですから1時間50分の自転車漕ぎ運動が出来ました。

先生からの説明ですが、「医師よりの説明内容」という文書をいただきましたから、その文面をそのまま掲載します。
内容的にはその場でお医者さんと話したのとほぼ同内容です。
僕のあやふやな記憶で書き留めるよりも、正確な内容になりますね。


 今回発熱、呼吸苦症状があり救急要請、当院に救急搬送となりました。CTで肺炎像があり、ムセ混んだエピソードがありましたため誤嚥性肺炎と診断しました。酸素の必要量も多く重症と考えられます。新型コロナウイルス感染症も疑われましたが、遺伝子検査・抗原検査のいずれも陰性であり、感染曝露を疑わせることもないため否定的と考えます。
 入院当初酸素の必要量が多く10L投与しても体内の酸素が低い状況がありましたが、抗生物質の点滴により現在は1Lまで減らせています。ただしご本人様の受け答えが乏しい状況があり、嚥下機能を確認しますが、ご飯を食べることが難しい可能性があります。その際には鼻から管を入れさせていただき、栄養剤を直接胃に注入する方法(経腸栄養)や体の中心部分の静脈に特殊な点滴を入れさせていただき高カロリーの点滴を入れる方法(中心静脈栄養)が考えられます。こちらに関してご意見を確認させてください。
 またご高齢であり、認知症の既往があることや今回も重症であったことから、急変する可能性も十分考えられます。心臓マッサージや人工呼吸器管理は本人様の負担にしかならずかえって苦しい思いをさせてしまうと考えられるため、急変された場合には点滴やマスクでの酸素投与までの保存的加療とさせていただきます。また休日・夜間につきましては内科当直が担当させていただきますのでご了承ください。
 また状態が安定した時点で退院を検討しますが、訪問診療を導入された中での救急搬送となった経緯もあり、自宅退院とするか、転院とするか改めて方針を確認させてください。いずれの場合にも退院調整の看護師やソーシャルワーカーによる介入をさせていただきますので連絡が来た際には調整のほどよろしくお願い致します。



今回のさっちゃんの病名は肺炎、ほぼ誤嚥性肺炎だったようですね。
レントゲン写真を見せてもらいましたが、両肺ともに白い影が多くありました。
炎症の度合いを示すCRPの値は搬送時は33、今は27まで下がっているそうです。
下がったといっても、基準値は0.3以下ですし、15~20の値でも重体な疾患が疑われる範囲だそうです。
それさえ突破しているのですから、驚きです。
重症の肺炎と言うことで、ここ数日間でそうなったとは考えられず、もう少し長い期間をかけて進行して来たのだろうと、おっしゃっていました。

栄養や水分摂取の方法ですが、口からの摂取では必要量には遥かに及ばないことは明白です。
経腸栄養か中心静脈栄養かになるのでしょうが、説明を聞いたのち、僕は経腸栄養をお願いしました。
胃に直接流し込むのですが、それによって胃腸がその機能を果たすことになります。
胃腸にも働いてもらうことは大切なことだと思いますから。
ただ、デメリットもあって、鼻から胃へ管が常時ある訳ですから、その管が刺激となって唾液等が誤嚥される可能性もあるのだそうです。
さっちゃんが自宅退院した場合は、僕が1日3食、さっちゃんの鼻の管にセットすることになるのだそうです。
スプーンで飲んだり食べたりしてもらうことが、どれほど困難かはよく分かりましたから、この方法でも仕方ないと思います。

急変時に心臓マッサージを行なわず人工呼吸器を使用しない点については、訪問診療の医師からも言われていましたから了承しました。

退院のことですが、自宅、施設、別の病院への転院などの選択肢があります。
もちろん僕自身も悩むところですが、無理不可能でない限りは自宅で迎えたいと考えます。
その線での準備も万端に整えていこうと思います。

凄く順調に回復したならば、来週早々にでも退院できるでしょうとおっしゃいました。
でも、その可能性はほとんどゼロでしょうね。
長くて1ヶ月くらいなんだそうです。
ここの病院は急性期の患者さん対象なんだと思いますから、ある程度病状改善があれば転院したりするのだと思います。
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たった10日間の生活でした・・・・

2022-03-06 22:45:07 | 気分や思い
2月24日に退院して、昨日再入院するまで、たった10日間の家での生活でした。
しかも、3月に入ってからの5日間発熱で肉体は弱って行くばかり。
何もかもが僕の責任なようで、さっちゃんに何回謝っても謝り切れない心持ちです。
もっと早く脱水症に気付き、対応策をしっかりと取っておくべきでした。

4日の金曜日、訪問看護士さんが来られる日、脱水症のことを相談しようと、点滴のこと等を考えていました。
そのためにA病院から受け取っている診療明細書を初めて見てみたのです。
とくに点滴に関して。
すると、2月の診療明細書にも栄養や水分補給のための点滴を複数回打っていることが分かりました。
食事や水分摂取に関して、時間をかけて忍耐強く対応してくださっていた入院生活の中でさえ、これほど点滴をしていたのですね。
退院の際、「環境が変わるとリハビリにも前向きになるかもしれません」などと希望的予測は聞いていました。
しかし、良い方向へ向かわなかった場合にはこうしましょう、とかは全く言われませんでした。
それに、栄養や水分に関して入院中はこのようにやっていました、とかの報告も受けていませんでした。
最初から「週に◇回ほど栄養や補水のための点滴を行なっていましたよ」と聞かされていたら、僕だって心構えが違ったはずです。

まあ、僕がもっと早く診療明細書をチェックしておけば良かったのですが。
以前から超小食だったさっちゃんでしたから、退院後の超極端な水分摂取の少なさにも僕は危機感を覚えることに鈍感だったんです。
僕の対応が遅すぎました。

さっちゃんとはたった10日間の同居でした。
前半は一緒に散歩にも行けて嬉しくて楽しい日々でした。
もちろん、飲んでくれない食べてくれない苦しさもありましたけれど。
さっちゃんと一緒に暮らしていることだけで僕は幸せでした。
3月に入ってからの後半はさっちゃんは発熱で苦しんでいました。
僕にとっても不安な日々でした。
さっちゃんの健康に対して、もっと客観的に見つめるべきでした。
僕は医師ではありませんが、可能な限り医師の視点に近づいてさっちゃんを診る努力をするべきでした。
それが出来なかったことが申し訳ないです。


▲13:37。さっちゃんがいつ帰って来るか分かりませんから、介護ベッドも車椅子もレンタルしたままです。昼間でもさっちゃんが寝ていることの多かった介護ベッドは今は空です。夜になって僕が寝ているだけ。

さっちゃんの姿のない部屋に佇むと、時に胸が締め付けられる想いに襲われます。
居るべき人の不在は人の心の中にぽっかりと虚空を生み出します。
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さっちゃんの最期へのカウントダウンが始まってしまった、と思いました

2022-03-05 23:56:07 | 病気やら体調やら
昨日の日没ころからだったと思います。
さっちゃんの息が荒くなりました。
目をつむって寝ている状態でも、その荒く息する音は続いていました。
熱も平熱には戻りませんでしたから、寝ている時にも額に濡れタオルを置くようにしていました。
朝になってもその状態は変わっていませんでした。

今朝の9時前にヘルパーさんが来てくださいました。
今日はオムツ交換と清拭の日なんです。
僕はヘルパーさんにこれから訪問診療のお医者さんが来ることを告げ、その成り行きに沿って行動してくださいとお願いしました。
結局、ヘルパーさんは途中で帰ることになりました。

その後、訪問診療のお医者さんと女性二人が来られました。
3人はさっちゃんの寝ている寝室に向かい、お医者さんがさっちゃんの様子を見ますが、しばらくしてすぐに僕にこう言うんです。
「もう生死が問われる状況です。ご主人に決めていただきたいのですが、
このまま看取るか、時間とお金を掛けて治療するか、どうしますか?」

他にもいろいろな説明をしてくださったように思いますが、突き詰めて言えば上記の二者択一です。
僕の心も揺れています。
もちろん、治療を進めて、せめて退院直後の状態くらいには戻って欲しいという願いがあります。
でも、治療を進めて、ある程度落ち着いて退院できる状況のさっちゃんの容態がどのようなものなのか?
その容態が先週の退院直後よりずっと劣るものだったらどうなのか?
(そうなる可能性が客観的にはかなり高いと素人なりには思います)

さっちゃんが自分の命の在り様に対してどういう考え方を持っていたかは、僕にはある程度想像が付きます。
さっちゃんなら昨年11月の入院直前の自分の状態ですら赦せないだろうと、僕には感じられます。
この状態でもいいから僕と一緒に暮らしてくれ、という僕の我が儘が強かったと思います。
さっちゃんは僕に対して「このまま看取って」と願っているかもしれません。
でも、僕にはそういった決断は下せませんでした。
訪問診療のお医者さんに「救急車を呼んでください」とお願いしました。
僕にはまだ、加療することによって開ける一筋の希望に縋る気持ちが消えていなかったからです。

大柄な3人の救急隊員が部屋に入って来ました。
さっちゃんの様子をひと通り見て、訪問診療のお医者さんと同じ二者択一を僕に迫ります。
「看取ることを前提に一般病院に搬送するか、治療するために救命救急病院に搬送するか、決めてください」
再び僕は悩んでしまいます。
救急隊員の方の問いかけを前に、この二者択一がより重く現実味を帯びて来たのです。
僕は自分の気持ちを訥々と説明しながら声を詰まらせてしまいました。
そして、「救急救命病院にお願いします」と言いました。

このご時世ですから、搬送先がなかなか決まらないのではと思いましたが、おそらく第一候補の、隣りの市の災害医療センターがすぐに決まりました。
必要なものを用意して、僕も救急車に同席します。
9時59分でした。
車内の計器にPsO₂と脈拍の数値が出ていました。
86と140台でした。
ともに異常な数値です。

10時20分、災害医療センター到着。
さっちゃんとはここで別れます。
僕は家族用待合室、狭い個室に通されました。

すぐにA病院の相談員さんに電話して、診療情報提供書の作成を依頼しました。
訪問診療の事業所と契約を結ぶために必要な書類のようです。
今朝、契約のための書類を置いて行ってくださったのですが、契約もまだ一向に進んでいないのに、診察を行なってくださって本当に感謝しかありません。

10時50分に看護師さんが家族用待合室に来てくださいました。
「奥様は嫌なことをされると嫌がる様子もありますよ」
「肺炎もあるようです。後で先生から連絡が来ると思います」

忘れてしまいましたけれど、何か書類にサインしたと思います。

11時12分、医師からの電話が入りました。
「肺炎をおこしていますが、新型コロナウイルスによる肺炎だとの前提でまずは対応します。
もちろん、細菌性や誤嚥性である可能性もありますけど」
「脱水症状が進んでいるので、点滴を補水目的で行なっています」
「亡くなる可能性も十分ありますが、年齢や体力等考慮して、心臓マッサージ等は行ないませんがよろしいですね」
「今日は新型コロナウイルスに感染可能性を前提にそのための病室に入ります。
週明けにでもPCR検査が陰性なら、一般病棟へ移ります」

僕のメモや記憶には不正確な部分もあると思います。
上記内容にも微妙な間違いが含まれているかもしれません。
さっちゃんの顔を見ることも叶いませんし、僕に出来ることもありません。
11時25分、災害医療センターを離れ、帰宅しました。

11時30分、駅に歩いて行きながら、ケアマネさんへの伝言(今日はお休みなんです)を託しました。

2時8分に災害医療センターから電話が入りました。
18分間も喋ったことになっていますが、何を喋ったのか忘れてしまっています。
うろ覚えですが、食事や排泄が全介助であることの確認とか、薬のアレルギーがあるかどうかとか、病歴や手術歴の確認だったような気がします。

僕は何することもなく、さっちゃんが寝ていた介護ベッドで横になっていました。
そんな時、酷く懐かしい山の仲間S﨑くんから電話が入ったのです。
5時10分でした。
彼が学生の時代に知り合い、いろんな山へともに向かいました。
30歳近く僕よりも若いんです。
彼と最後に山に行ったのは2016年4月中旬尾瀬ヶ原でした。
歴史的な寡雪の年でした。
そのブログがこれです。
https://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/5fb20aee3ee0308ef89fa7ecc23ffcd5
こんな寡雪の年は珍しいですから、すぐ後のGWも僕はさっちゃんと、S﨑くんは奥さんと息子さんを連れて、尾瀬を再度訪れたのです。
そのブログ記事も上記ブログの後を辿ると簡単に見つかりますから、読んでみてください。
この時も彼とは超久し振りの同行でした。

彼とは沢登りをし、谷川岳一ノ倉沢の南稜や中央稜、北岳バットレス4尾根、剱岳のCフェースやDフェースや本峰南壁と源次郎尾根などを登攀しました。
GWには飯豊山塊のほとんど誰も登らないような超マイナーな縦走をしたりしました。
そして、S﨑くんとY根君と僕の3人で穂高お池巡りをしたのです。
穂高お池巡りというのは上高地~ひょうたん池~奥又白池~北穂池~天狗池~槍ヶ岳を、主稜線を通らずに山腹を大トラバースするのです。
さらに槍ヶ岳からは北鎌尾根をP2まで下降し、天上沢へ下りました。
僕にとってとりわけ思い出深い山行の山仲間なんです。

彼が僕の最近の様子を聞くものですから、僕はさっちゃんのことを話しました。
長く話しました。
ひと通り話して、彼や彼の家族(主に息子さん)の近況などに話題が移ります。
会社でもそれなりの役職になったのでしょう、仕事のこなし方も工夫を凝らして上手くなったようです。
月に1回は山へ行こうと思っているのだとか。
それで、僕と一緒に行けないかと、電話を掛けてくれたんです。
彼は40代になったばかりですからともかく、高齢者の僕に一緒に山へ行こうと電話を掛けてくれるとは、本当に有り難いですね。
Y根君もそうですが、彼も本当に優しい奴です。
そんな山仲間がいてくれて感謝しかありません。
ともに状況が許せば、13日の日曜日にご一緒する予定です。
まあ、さっちゃんの状況次第ですけどね。
彼とは43分間も話し続けてました。
嬉しかったですね。
重かった気持ちも少し軽くなったように感じます。

6時41分、ケアマネさんから電話が入りました。
さっちゃんの状況を話し、今朝、訪問診療のお医者さんが来てくださって本当に助かったと話しました。
とても急いで話を進めてくださったケアマネさんに心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
僕自身はいつも後手に後手に回ってしまいがちだったのですが、ケアマネさんの尽力でギリギリ対応できたようです。
もちろん、それで良い結果が保証されるわけではありませんが。

今日これほどの重大局面に、僕の心はただただ揺れるに任せるしかありませんでした。
客観的に第三者的視点で眺めたり、利害関係を計算高く考えたり、さっちゃんへの愛情が皆無のような空想を抱いたりしました。
かと思うと、自宅でさっちゃんの不在に涙したり、さっちゃんへの想いが心締め付けたりもします。
哀しさや辛さ、さっちゃんへの愛おしさだけの心情に支配されてしまわない僕の心を疎ましく思ったりしました。

いったいどうなってしまうんでしょう!?
さっちゃんは・・・・
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今日も脱水症による発熱は続きました。ケアマネさんの尽力で事態は急進展中です

2022-03-04 23:04:25 | 病気やら体調やら
今日も昨日同様、簡潔にまとめておきたいと思います。

8時の体温ー38.2度
10時の体温ー37.6度
11時の体温ー37.8度
14時10分の体温ー37.2度
16時30分の体温ー37.6度


今日も体温が平熱にまで下がりませんでした。

10時10分ころ、さっちゃんの目が開いたので、OS-1をひと口入れたのですが、すぐに寝てしまいました。
眠った状態で飲ませるのは危険ですから、起きてもらわなければなりません。
起きてもらって、少しずつでも水分を摂取してもらわなければなりません。
大人なら1日に水分を2000ccくらいは摂らなければならないはずです。
それがさっちゃんは退院以降、1日に多かった日でも100ccくらいなんです。
僕はさっちゃんの手や肩をパタパタと叩きます。
「さっちゃん、起きて。起きて、飲まなきゃ駄目だよ」
叩き続けながら、声も掛け続けます。
ずうっと僕はそうし続けますが、さっちゃんは起きてくれません。
起きてくれなければ、飲んでももらえません。
脱水症がますます進行してしまいます。
一体どうなるんだろう?
さっちゃんはどうなってしまうんだろう?
さっちゃんの手を叩きながら、僕はが滲んできます。

今日は週に1度の訪問看護の日です。
11時前に看護師さんが来てくださいました。
体温37.8度、SpO₂93、脈拍118、血圧128~58でした。
SpO₂が93は低すぎますね。
脈拍が118というのも速すぎです。
他にも聴診器を当てたり、お尻付近の赤味のある皮膚にワセリンを塗ってくれたり、体交の方法を教えてくれたりしました。

そして、脱水症のことについて相談しました。
ちょうどその頃、ケアマネさんも来てくださって、3人で対応策を話し合いました。
看護師さんが帰られた後はケアマネさんと訪問診療の申し込みを進めました。
近所にある訪問診療所に電話をし、受診したい旨を告げます。
僕からとケアマネさんからとで、電話の向こうの事務の方といろいろと話しました。
その訪問診療所でさっちゃんを受けることが出来るかどうかは、もちろんこの電話では即答できません。
それは今日中に返事をいただけることになりました。
(夕方6時前にケアマネさんから電話が入り、さっちゃんを診ていただけることになりました)
訪問診療をしていただく際に必要となる診療情報提供書についても、A病院の相談員さんに電話しておきました。

15時半くらいだったでしょうか?
さっちゃんの目が開いたので、OS-1を飲んでもらおうとしました。
今日は昼の暖かい時間帯に僕は買い物をして来たのですが、100円ショップで買ってきた赤ん坊用の前掛けも使ってみました。
口の中のものがポロポロとこぼれ落ちて来ますからね。
さっちゃんはなかなか飲み込んでくれません。
体調が悪いせいか、時折飲み込んでも、飲み込む力が弱く感じます。
30分くらいかけて10ccくらいは飲めたでしょうか?

16時過ぎて、ヘルパーさんが来てくださいました。
ほんの少しずつですが、オムツ交換を僕も一緒にやらせてもらっています。
早く、最終的には僕ひとりで安心して出来るようになって、ヘルパーさんの手伝いから卒業したいものです。

日没前にもう1回、OS-1を飲んでもらいました。
10ccも飲めませんでしたね。

夜の9時17分、先ほどの訪問診療所から電話が入りました。
脱水症の緊急性を重く判断してくださったようで、「明朝、医師と事務職2人で訪問します」と連絡してくれました。
医師の診察と契約を同時進行してくれるようですね。
本当に嬉しいです。
もちろん、その時に点滴するかどうかは分かりませんが、患者さん本位で考えてくださっていて、本当に感謝しかありません。
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今日も38度台の発熱がありました

2022-03-03 23:55:59 | 病気やら体調やら
夜9時ころだったでしょうか?
ちょっとだけ体を横にしたくて、さっちゃんの横で布団に横たわったら、そのまま寝てしまいました。
目が覚めたら、夜中。
で、本日のブログは箇条書き、そして、結論だけにします。

10時20分の体温ー38.7度。
11時5分の体温ー38度。
12時50分の体温ー37.3度。
14時の体温ー37.3度。
15時の体温ー37.5度。
16時10分の体温ー37.4度。
17時40分の体温ー37.5度。


今日のさっちゃんは平熱にまで下がることはありませんでした。

以下のように水分を摂取しました。
11時40分~12時40分
OS-1を50cc、続いてヨーグルト15cc、そして、砕いた3種の薬入りOS-1を50cc。
16時50分~17時20分
OS-1を40cc。
すべてに共通して、2~3割は口外にこぼれ落ちています。

一昨日A病院の発熱外来に駆け込みました。
点滴を打ってもらい、さっちゃんを担当してくださった看護師さんから貴重な話も聞けました。
昨日PCR検査の結果が判明するまで外出できませんでした。
そして今日、三たびの発熱です。
誰が考えても、これは発熱が常態化しています。
僕は原因を考えましたが、ひとつの原因しか思い浮かびません。
それは脱水症です。
ネットで脱水症の症状を調べてみると、当てはまることばかりです。

明日訪問看護で看護師さんが来てくださいます。
同じ時間にケアマネさんも来てくださることになっています。
相談してみたいと思います。
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