すっかり人の気配のなくなった境内。
イチョウの葉も落ち切って、空が広く高く感じるようになりました。
この冬は、葉っぱがなかなか落ちませんでした。
例年ならば12月の中旬には終わる掃き掃除も、暮れまで続いてようやく一段落が着いたばかりです。
こうしてすっきりとした境内を見ると、黄色い絨毯が敷かれたようなイチョウの葉で彩られた秋の境内も好きですが、私は冬の凛とした空気の漂う境内のほうが好きなようです。
それにしても、散りゆく桜に無常を思うことはありますが、散りゆく葉っぱに無常を感じたことはなかったように思います。
同じ散る姿を見ても、無常という世の理を思い起こさせる縁となるか否かの違いは何なのか・・・。
きっと、桜の花びらには美しさを感じるのに対し、落ち葉は掃除の対象としてしか見ることができない、私の偏った認識によるものなのでしょう。
たとえ世の道理であろうと何であろうと、人は見たいものを見たいようにしか見ないということなんですね。
とか何とか、母親がお坊さんらしいことを頑張って考えている横で、龍くんはのんびりと探しものをしていました。
探しているのは、赤い実をつけている植物です。
南天や千両・万両の実を見つけては、ポイポイ投げるのがマイブームの龍くん。
毟り取られる側にとっては、たまったものではないのでしょうが、これもまた無常の一つの形です。
しかし、これを無常と言えるのは、向こう側の痛みを無視できるからなのかなと考えた瞬間、自分の都合の良さを改めて実感しました。
本当に、私は見たいものを見て、思いたいように思って生きているんですね・・・怖い怖い(汗)