家族でお出掛けしたついでに、minamoのスターバックスでお茶をしました。
ここのスタバはTSUTAYA(書店)の中にあり、店内の本を席まで持ってきて、コーヒーを飲みながら自由に閲覧できるようになっています。
未購入の本を立ち読みではなくジックリ吟味することができるという、画期的なシステム。
しかし私は、本を汚したりするのが怖いので、熟読したことはありません。
ただこの日は珍しく、座った席から見える書棚にあった文庫本を、タイトルに誘われるままに持ってきてしまいました。
「ブッダ いのちの言葉」というタイトルで、中をパラパラめくってみると『ダンマパダ』の現代語訳が書かれてありました。
『ダンマパダ』とは、お釈迦さまが実際にお話になられた言葉を集めた最古の経典で、日本では『法句経』という名前で親しまれています。
この『ダンマパダ』にある言葉が、日本の歴史のとある局面で用いられたことで、出拠となったこの経典の存在をお知りになられたもいらっしゃると思います。
「われはののしられた、われは害せられた、われはやぶれた、われは強奪された」
という思いをいだいている人には、怨みのしずまることがない。(中略)
およそこの世において、怨みに報いるに怨みをもってしては、怨みのやむときはない。
怨みを捨ててこそやむのである。
第二次世界大戦後の東京裁判で、セイロンの代表がこの言葉を引用して、その裁判の有り方を問い掛けました。
深い頷きと反省を促すお釈迦さまのお言葉は、その一つ一つが真理の言葉です。
そのことを示すように、『ダンマパダ』はこの一文から始まります。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される
私たちはあらゆる物事を、視覚や聴覚などの感覚器官を通して受け止めます。
その受け止めたものに、「綺麗」「汚い」「芳しい」「臭い」「うるさい」といった意味づけをしているのが、私の価値観であり、感情です。
私が見て聞いて感じる世界は、そのままの世界ではなく、私の心によって歪められ、作り上げられた世界であるということ。
だから、一人一人の世界は異なっていて、それゆえ衝突が起こったり、それゆえ理解し合おうとするのでしょう。
我が子可愛さに、さらに世界が歪みつつある今の私には、大変意味のある本です。
・・・結局、買いませんでしたけどね(笑)