みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

FM局の開局を夢みてーあれから20年

2013-03-23 10:21:29 | ラジオの時間
平成4年に制度化されたコミュニティFM放送局。

それを受けてこの宮古でも設立したいと思い立って20年。紆余曲折しながらもやっと設立の運びとなった。

当時30代だった私は、いろんな人に創設の思いを伝えながらそれなりの活動をやってきた。

当初は1999年の岩手インターハイ開催時に合わせての開局を目指すことを狙いに、コミュニティ放送全国サミットに出席したり、

東北各地の放送局を視察したり、商店街の人たちと勉強会を開いたりしながら自分なりの夢を追っていた。

しかし、なかなか多くの賛同や理解は得られずに実現には至らなかった。

その後、しばらく活動が停滞したが2002年に海からのまちづくりを目的にしたNPOを設立した際に、

再度「市民情報の共有化」「地域の防災」に役立てたいとの思いから、その事業の中に組み込んだ。

そして2006年からミニFMを活用した「ハーバーラジオ」を開設し、社会実験を開始した。

小さな歩みではあったが再び夢に向けて動き出す事ができた。

社会実験を通じて、徐々に多くの人にその有用性を理解してもらった。

次はNPOの枠を超えて多くの市民を巻き込んだ活動にしていかなければと2010年「宮古コミュニティ放送研究会」を設立。

多くの仲間が賛同してくれて新たなスタートを切った。

幸いにも1999年同様、2011年には北東北インターハイのヨットとレスリングが宮古で開催されることから、

この全国規模のイベントを機に、これらの放送を経てコミュニティ放送局設立への機運を高める計画でいた。

インターネット放送で運営を開始しながらインターハイ放送へ向けて準備を進めていたところにあの大震災が起きた。

2011年3月ーみやこ災害FM局は、そうした背景があったからこそ、発災後10日で起ち上がることが出来た。

放送機材を設置し、第一声を届けたあの日を決して忘れない。高校生や一般のボランティアが沢山集まってくれて、

あの惨状の中で多くの情報を収集しながら毎日、毎日放送を続けた。

未曾有の災害の中で、いかに情報が大事かということを知らされた市民や行政、さらに今後の地域振興を図る上でも必要なツール

ということが、この災害FMを通じて多くの人に認識されるにまで至った。

行政としては震災前、FMの情報化整備には積極的ではなかった。災害に対する情報化への対応の認識も薄かった。

しかし、結果としてあれから2年ー。ラジオが防災の力になることが認識され、市民運動としての結果が大きな力へと働いたのも事実だ。

多くの人に支えられながらの放送が国からも認められ、やっと念願のコミュニティ放送局へと移行することになった。

昨日、株主総会が開かれ宮古エフエム放送株式会社が誕生した。奇しくも災害FMの放送を開始した同じ日である。

会社設立は、力強い情熱的な仲間の存在があったからこそ出来たものだと思っている。

長年の思いを受け止め、精力的に積極的に動きながら、新しい文化事業としての放送局を起ち上げてくれた仲間たちに改めて感謝したい。

そしてこれから市民とともに市民に愛されるラジオ局にしていかなければならない。

地域の情報を集め発信することで地域コミュニティを活性化し、新しい波となってよりよいまちになっていく事が私たちの願い。

開局は8月1日だ。


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