みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

戊辰戦争と宮古海戦

2011-11-05 09:08:31 | Weblog
本日と明日、宮古市において第12回全国新撰組サミットが開かれる。

このイベントは全国の新選組にゆかりがある市や町、関係者が集結し、会議やイベントを開催しているものだ。

今回は142年前、土方歳三が「箱館政府陸軍奉行並」として軍艦「回天」に乗り込み、新政府軍と海戦を行った地、

宮古での開催ということになった。
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慶応4年(1868)に始まった戊辰戦争は幕末から明治にかけて日本全土を戦火に包んだ。

その戦いはこの宮古の地まで北上。見果てぬ夢を追いかけた男たちの壮絶な戦いがこの地で繰り広げられた。

ある者は海に散り、ある者は命からがら再び北へと彷徨した。

明治2年旧3月25日、後の「箱館戦争」の明暗を分けたとも言われる近代日本初の洋式海戦「宮古海戦」は

わずか30分あまりの戦いだった。

だが、相手の軍艦を奪い取る奇襲作戦というドラマチックな戦いだった。

北海道箱館に立て篭り、新政府との戦いに備えていた旧幕府軍は、旗艦「海陽」を失ったため、新政府軍の「甲鉄」を

宮古湾で奪い取る作戦を企てた。

「アポルタージュ!」

しかし、戦いは新政府軍の勝利に終わる。

硝煙の海原に夢破れた男たちの時代が過ぎ去った。

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この時の宮古海戦では、若き日の東郷平八郎が新政府軍「春日」に乗り込んでいた。

左舷一番砲担当士官射師士だった。

後に、日露戦争で連合艦隊司令長官となり、バルチック艦隊を日本海で撃沈した東郷は「アドミラル東郷」として

世界に知れ渡った。

宮古海戦の戦いが、日本海戦の「此一戦」に生かされたともいう。

市内光岸地の大杉神社境内にある「宮古港戦績碑」の額字は東郷平八郎によるものだ。


仮設クラブハウス

2011-11-01 09:03:37 | Weblog
津波で被災し使用不能となったヨットハーバーのクラブハウス代替施設として、

ヨットや NPO 活動の拠点となる仮設住宅を高知県建築設計監理協会から寄贈された。

この仮設住宅は、同協会が近い将来発生が予想される「南海地震」に備え、

仮設住宅の自給体制を構築しようと研究を重ねてきたもので、

そのプロトタイプ2棟(1棟は施設仕様に変更)を当NPOに寄贈してくれたものだ。

我々はこれをクラブハウスとして使用することとした。



作業は10月29日、30日の2日間。

高知県トラック協会の支援のもとで運ばれてきた建材を10トントラックから下ろし、

呼びかけて集まった会員および高校ヨット部員たち30人と建築を行った。



高知県からは協会メンバー3人、棟梁2人、同行取材のマスコミからも1人がやってきた。

彼らの指示のもとで、素人ながらも英知を結集して2DK(31㎡ 9坪)流し、トイレ、浴室付きの住宅を完成させた。


リアスハーバー宮古が壊滅的な状況で活動拠点を失い、さらに指定管理者を外され今後の活動の方向性が見いだせないでいた中での

この支援は一つの光明を見る思いだ。



今後、この施設を活用しながら我々の新たな活動の方向性を探ると同時に、復興に向けた港のビジョンづくりの拠点としていきたい。