みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

石碑の教え

2011-09-20 17:44:22 | Weblog
三陸沿岸の須賀、港、寺院にはかならず津波記念碑や海嘯供養塔が建立し、津波溺死者の鎮魂、海神への祈り、子孫への警告を刻んでいる。

その数200基以上もある。ツナミのツとは船の着く所、ナミは並ぶ水の並水。

港(陸地)に打ち寄せる大波、チ(地)ナミ(浪)で、これがツナミに転音し海嘯、津浪、津波、ツナミと当てられたという。

三陸地方の津波記念碑、供養塔造立は明治29年(1896)から始まっている。

明治碑は「海嘯」の漢語をツナミと読ませ、生々しい惨状のみを刻んでいる。

昭和8年(1933)のツナミからは津浪、津波と書き、「津波が来たら高い所に逃げろ」と教えている。

さらに昭和35年(1960)チリ地震津波では「外国地震でもツナミが来る」と警告している。

ツナミを方言でヨダ(宮古)とか、オウソ(釜石)、アクソ(悪汐か)とか呼ぶ。

漁村の古老たちは「一生のうち2回はヨダに合うのス」と宿命的に言う。

つまり35年周期説、60年1回説とかほぼ40年に1回の説で津波は襲って来ていること言い表している。

小生もチリ津波の記憶は無いが親に抱かれて逃げた。そして今回の大震災で結果2回経験したことになる。あとは勘弁願いたいものだ。

以前にも紹介したが、重茂姉吉地区の記念碑には「高き住居は子孫の和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」とある。

大津波が日々の暮らしの中で常に想定内にあった先人たち。彼らはその恐ろしさを後世に教訓としてきちんと残してくれている。

これらの石碑はこれまでの暮らし方や価値観をあらためて問い直していることを肝に銘じたい。