みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

海の日に思う

2013-07-16 17:00:06 | 海だより
 暑い日が続いたり、少し肌寒い日となったりしている昨今だが、やはり夏は暑いに限る。
夏と言えば海である。私たちの子ども時代の夏休みは連日海で泳いでいた。
藤原須賀、磯鶏須賀をゲレンデに、一番岩、二番岩、三番岩など目指して泳いでいたものだ。
 一方、宮古湾での夏の風物詩と言えば高校生たちの遠泳大会だった。
隊列を組み、先生たちの監視下のもとで、長い距離を泳いでいた。
 須賀や宮古湾には『われは海の子』と、浜辺で育った子どもたちの当たり前の姿があった。
しかし、近年は海で遊び、海から多くのものを学んでいた子どもたちの姿を見かけることが少なくなった。
 かつて海国日本と言われた国も、今の日本人は一体どれくらい海に関心をもっているのだろうか。
観光やレジャー等で親しみはもっているものの、海で生計を立てている人以外は、
関心の度合いは少ないのではないだろうか。
 時代は変わった。唱歌「『われは海の子』も学校で歌われなくなったという。
日本人の心情やふるさとの風景を思うとき、この歌の似合う季節と、子どもたちの姿が海に戻ってきてほしいと
願うものである。

 この海の日の前後に、北海道苫小牧市で開催された「みなとオアシスsea級グルメ全国大会」に参加してきたほか、
翌日には第21回目となる宮古港での海の日記念カッターレースに出場。
自分なりに海の日にふさわしい充実したひとときを過ごす機会を得た。
 苫小牧は開港50周年ということで、ウォーターフロントの広場でsea級グルメ大会の開催や、
帆船「海王丸」が接岸し、セイルドリルなど展開、多くの来場者で賑わった。
宮古港カッターレースは東日本大震災から3年ぶりの開催ということで、
地域の仲間に復興の海へ繰り出そうと出場を呼びかけた。
 「津波を憎んでも、海は憎まず」と、素人ながらも全員で渾身の力を込めて完走した喜びに絆も深まった。
 海や港をロケーションとしたイベントは多様な年齢層の人々が、こうした機会を通して海や港へ関心を持つ事を促し、
交流人口の拡大にもつながると考える。「経済活動に限られた海の利用」から「海への親しみを共有する意識の醸成」
を経て、多くの住民が「海を楽しむ」状況を生みだすものでもある。
 地域が個性ある発展を将来にわたり着実に進めるためには、地域の持つ海や港といった資産を
住民、市民の視点から再評価することであろう。そのためには観光産業や水産業などの地域産業と連携し、海に開かれた
特性など港の資産を最大限に活用し、美しく活力のあるウォーターフロント空間を形成することが必要である。
 「海の日」を機に、みなとまちの元気の源を地域住民とともに考えていきたい。


Sea級グルメ全国大会へ

2013-06-11 15:41:19 | 海だより
【みなとオアシスSea級グルメ全国大会へ】

海に関する食材を使った自慢料理を競い合う「Sea級グルメ全国大会」に出品する宮古市の予選会が

このほど開かれ、「鮭のメンチカツ」と「あんかけウニ飯」がグランプリを獲得した。







7月に行われる北海道苫小牧市の全国大会に「鮭のメンチカツ」が、

8月の大分市の全国大会には「あんかけウニ飯」が市を代表してそれぞれ出品する。




コンテストは2年前から、「みなとオアシス」の施設を持つ地域が海産物にちなんだご当地グルメを

「Sea級グルメ」と名付け全国から出品者を募って開催している。

宮古市では昨年、市観光協会が「わかめひっつみ」で小名浜での大会に初出品。



今回は市内の飲食店関係、水産加工会社等に広く参加を呼びかけ予選会としての

「宮古市Sea級グルメコンテスト」を行った。予選会には6店舗、13品が出品された。

その結果、丸友しまかの、秋サケを原料に牛乳や天然酵母パン粉、ナチュラルチーズ等で練り上げ

ミンチにして衣づけした「鮭のメンチカツ」と、浄土ヶ浜旅館のウニご飯をおむすびにして、

磯の香味をあんかけにした「あんかけウニ飯」の2品がグランプリに輝いた。

全国大会では被災地、宮古の元気と豊富な食材による美味しさをぜひアピールしてほしい。

マグロ船新造船が竣工

2012-04-14 10:56:16 | 海だより
本日、知り合いの漁業部のマグロ船の新造船が竣工し、その見学会があった。

震災後、被災地では初の遠洋マグロ延縄漁船(387t)で、同漁業部では10年ぶりという。



この日、宮古鍬ヶ崎港の岸壁には多くの関係者、市民らが訪れた。

かつて多くの出船、入船で賑わった港も、近年は寂しい状況が続いていたが、この日は久しぶりに港が賑わいだ。

港はやはりこうでなくちゃ。復興のシンボルとしてもこのマグロ船の竣工は本当に嬉しいことである。



船の上からもちまきが行われたが、港でこうした行事が行われるのも何年ぶりなんだろうか?

私も撮影しながら、そのおこぼれに預かった。1個しか取れなかったが、もちまきはいくつになっても楽しいものだ。



この船には日本初のナノバブル洗浄タンクが装備されているのが特徴だ。

ナノバブルは気泡の滞留時間が長く、水質改善、悪臭防止、腐敗防止等多くの分野で採用されており、マグロ延縄漁船では世界初の採用でもある。



マグロ船の状況も近年は大きく変化している。現在、経営体と漁船数は最盛期の半数以下となっており、

岩手県では、宮古のここの漁業部が3隻、もう一つの漁業部が2隻、釜石の水産会社が10隻所有しているのみだ。

昨年の津波で、ここの漁業部は事務所、自宅、倉、倉庫などが被災したが、幸いに人と漁船の被害は免れた。

社長はこの新造船の竣工に「感無量だ」と言葉を詰まらせていた。

船は5月1日に神奈川県の三崎から出港する。オーストラリア西方沖でミナミマグロを漁獲し、来年3月に帰港するという。


風の呼び名

2011-02-10 16:40:01 | 海だより
宮古地方での風の呼び名

ナライ=西南風

アバタ・ヒカタ(ヒカダ)=北東風

マカタ(マガダ)=北西風

イナサ=南東風

「寒の西風は櫓の下からもかわる」

「イナサと泥棒は夜を荒らす」

などの日和見諺もある。


ちなみに我々のレスキュー艇の名前は

「シロッコ」=地中海北岸に吹く暖かい南または南東風

「エテシア」=地中海東部、特にエーゲ海一帯に夏季に吹く北風

「ゼフィル」=そよ風という意味のフランス語。幸せを運ぶ西風

トドヶ崎灯台探訪

2010-11-03 21:34:35 | 海だより
先月23日、本州最東端の灯台へ行ってきた。

東経142度04分21秒に位置し、今年で設置されてから142周年ということで一般公開された。

昭和32年に発表された映画「喜びも悲しみも幾歳月(木下恵介監督)」は、

戦前・戦後を通じてここトドヶ埼灯台で過ごした灯台守の妻である田中キヨさんの手記をもとに製作されたもの。

かつては灯台守もいたが、平成8年4月から無人化されている。

灯台には重茂地区の姉吉から徒歩で1時間。また姉吉には市街地から車で60~75分かかる。

我々は今回、宮古湾からボートでアプローチ。ジュニアヨットクラブのメンバーたちを乗せて

宮古湾から閉伊崎を交わし太平洋を南下。約40分ほどで灯台に到着した。

この日は快晴で海は真っ青。多少風が強かったものの快適なクルージングと美しい絶景を楽しんできた。


トドヶ崎灯台探訪



客船入港

2010-10-22 17:07:36 | 海だより
本日、客船飛鳥2が入港した。今年7月の入港に次いで2回目。

通算では5回目の入港だ。

昨日までは沖合に、航海訓練所の練習船銀河丸も停泊していた。

このように港が賑やかになることはいい事だ。

これまで宮古港に入港した客船を調べてみた。

100%確実ではないが、以下の船の名前が残る。

にっぽん丸(商船三井)、しんさくら丸(商船三井)、ふじ丸(商船三井)

飛鳥(郵船クルーズ)、飛鳥2(郵船クルーズ)

ぱしっふぃっくびいなす(日本クルーズ客船)、おりえんとびいなす(同)

おせあにっくぐれいす(昭和海運)、かめりあ丸(東海汽船)

ニューゆうとぴあ(新日本海フェリー)、ルネッサンス4(イタリア船籍)

オーロラ1(ギリシャ船籍)、ワールドディスカバラー(アメリカ船籍)

アムステルダム(アメリカ船籍)

これら合わせて延べ63回の寄港の記録が残る。

これらはすべて平成の記録であるが、

昭和50年代にも旧にっぽん丸が入港しているはずだ。

また加えて、客船ではないがフェリーのサブリナやブルーゼファーなどもあった。

帆船の日本丸、海王丸、あこがれも入港した。

漁船をはじめ、多くの船の出入港で賑わってきた宮古港。

近年は、往時の面影がないほどの淋しさになったが、こうしていろんな船が入って

くることはまちに元気を与えてくれる。

宮古港はあと数年もすれば開港400年を迎える。

歴史ある宮古港が再び多くの船で賑わう、そして絵になる港町になることを願うばかりだ。




シーカヤック&トレッキングツアーに参加しませんか

2010-10-13 15:49:37 | 海だより
カヤッキング&トレッキングツアー参加者募集中 

目の前に広がる宮古湾、そして背後に聳える月山。これら身近な自然を散策してみませんか?シーカヤックによる宮古湾内の周遊、そしてトレッキングで月山山頂を目指します。
地域の資源を活かしたエコツーリズムのモニターツアーです。どうぞ、気軽に参加下さい。

■日時/2010年10月31日(日)
■集合・出発/リアスハーバー宮古
■参加費/2000円
■定員/先着20人
■日程/リアスハーバー9:00出発(シーカヤック)ー宮古湾ー白浜漁港(10:45)ートレッキングー月山山頂12:15ー下山13:15ー白浜漁港14:30ーリアスハーバー宮古15:00(解散)
■インストラクターが同行します。カヤックに自信のない方にはボートにて周遊を行います。カヤックは2人乗りも可能です。カヤックとトレッキングが出来る服装で参加下さい。昼食は各自持参下さい。
■問合せ/NPOいわてマリンフィールド0193-71-1120



2010三陸シーカヤックマラソンレースin宮古

2010-10-11 18:13:43 | 海だより
2010三陸シーカヤックマラソンレースin宮古



秋の宮古湾を舞台に繰り広げられる三陸シーカヤックマラソンレースin宮古(岩手県宮 古市)が10月10日に開催された。10回目の記念レースとなった大会には全国から1 46人が参加して、パドルさばきを競った。
 レースは15キロ(気象により20キロから変更)、12キロ、5キロ、キッズの部で実 施。藤の川海岸前をスタートし、浄土ヶ浜などの景勝地を折り返し、リアスハーバー宮古 を目指した。鹿児島県奄美市から参加した白畑瞬さんが15キロの部で優勝。全13部門 の優勝者に宮古産のアワビ貝を使用した螺鈿細工のメダルが贈られた。また大会にはマリ ンスポーツ・キャンペーンガールの「海なでしこ」2人が参加して華を添えた。



海なでしこ

2010-09-30 11:02:21 | 海だより
千葉国体のセーリングでは少年女子のSSチームが7位に入賞しました。

おめでとう!


さて、秋になっても海のイベントはまだまだあります。

そのお知らせです。


その前に、今度の土日(10/2-3)に宮古市産業まつりがシーアリーナで開かれます。

当NPOでは一昨年から、会場内でミニFMの自主放送を行っています。

今年も参加し、イベントの様子や出店者のPR活動を行います。


さて、秋の海のビッグイベントと言えば10月10日開催される

「三陸シーカヤックマラソンレースinみやこ」です。

早いもので今年で10回目の開催です。

東日本では最大規模の大会で、日本国内でも有数規模の大会となっています。

10年という節目の年でもあってか、今回は全国各地から150艇以上の参加となります。

コースも宮古湾を舞台に20キロ、12キロ、5キロ、そしてキッズレースとあります。

そして今回はゲストとして『海なでしこ』http://www.uminiikou.com/report/が参加します。

海なでしことは、国土交通省やUMI(うみ)協議会(マリン関連12団体で組織)が

若い世代にマリンレジャーに親しんでもらおうと女子大生サークルなどのメンバーから

選抜して平成20年に結成したものです。

現在、17人の女性で結成され、マリンレジャーライフのスタートの手伝いや

体験したマリンレジャーや海の知識について、素直な目線で伝える役目を担っています。

今大会にはそのうちの2名が参加し、12キロの部に出場します。

全国から参加の選手の皆さん共々、声援をよろしくお願いします。





海図第一号

2010-08-28 08:35:33 | 海だより
日本人の手で最初に作られた海図は釜石港である。

その原版(銅製)と印刷された現物が、釜石で公開展示され、昨夜足を運んだ。

海図は明治4年に測量され、翌5年に日本初の海図第1号として刊行された。

昨夜は、それに関する講演会もあり、その歴史的背景など興味深く聞いた。

海図の原版の大きさは縦36センチ、横45センチ、36,453分の1の縮尺だ。

何故、釜石が第1号だったのかは、当時、釜石港は東京ー函館間の中間補給地点として

重要な港であったほか、洋式高炉による鉄の生産に成功し、官営製鉄所建設の動きがあった

ことから、海図第1号の対象港に選ばれたようだ。


明治4年といえば、日本初の洋式海戦が行われた宮古港海戦の2年後である。

興味深いのは、その測量船には「春日」という船が使われているが、

宮古港海戦の時は、新政府軍の軍艦として宮古港にも入港し旧幕府軍の船と戦った。

当時の「春日」には、後の日露戦争で連合艦隊司令長官となった東郷平八郎が、三等士官

として乗り組んでいた。左舷一番砲担当士官兼射士だった。

ちなみに幕府軍の「回天」には、土方歳三が乗っていた。

「回天」による「アポルタージュ」攻撃の宮古港海戦は後の箱館戦争の

明暗を分けたとも言われる海戦でもあった。


その測量船「春日」は、北海道を測量し、帰路に宮古、釜石、石巻、塩釜も測量している。

そこで気になるのは、わが宮古港の海図のことである。

第1号が釜石であるならば、他の測量した港の海図はどうだったのか。

宮古市にはそれら海図に関する資料はないが、海上保安庁の記録を調べてみると、

宮古港は北海道の野付湾についで第3号に作られている。

第3号だけにおそらく刊行された年も釜石のものと同年であると思う。

東京や函館よりも前に作られていて、第1、第3が岩手県であるというところにも興味を

惹かれる。

宮古港の第3号海図はもちろん残されていはいない。

が、釜石同様その歴史的背景を知りたいものだ。

ちなみに現在の海図番号は釜石がW1091、宮古がW1094となっている。