みやこ海風だより

市議会報告からNPO活動、海を活用したまちづくり、文化創出のまちづくりをベースにしたつぶやきです。

マタギ料理

2010-03-27 09:39:36 | Weblog
昨日、閑静な山間の里に佇むマタギ料理の店「悠々亭」に行ってきた。

仕事の関係で写真を撮るためだったが、そこでクマ汁を味わってきた。

私にとっては初めての味。どうよ??ってな感じだったが、意外とさっぱり味。

濃厚な味を想定していたが、結構イケル!

でも、やはり脂はたっぷりのようで、汁を飲み終えたら身体が温まった。

こりゃ、寒い日にはいい!!

ほかにもクマの手の煮込みやシカの刺身などの料理が用意されている。

炭火でじっくり焼く川魚も美味そうだ。

料理は20種類ほどのセットコースとなっているからいろいろ楽しめる。

この店は三陸鉄道佐羽根駅近くにある。

開業して8年という。

何かの店という存在は知っていたが、普段はここに人が住んでいないため、

一体何の店なんだろうと周辺を訪ねる度に思っていた。

それがマタギ料理の店と知ったのはつい数年前。

遅ればせながらも、その存在を昨日やっと解明することが出来た。

囲炉裏を囲む部屋の風情がとてもいい。

いつかプライベートでがっつり食べて、その様子をリポートしたいものだ




宮古道路

2010-03-20 08:59:23 | まちネタニュース
我社の近くで整備されていた宮古道路が完成したようだ。

日々その全容が見えていたが早いものだ。

明日が開通式で一般開放は午後3時からだという。

この道路は三陸縦貫自動車道の一部となるもの。

宮古の金浜地区と松山地区を結ぶ4・8キロの距離だ。

これによって国道45号の津軽石地区から国道106号の千徳地区までの距離と時間は

5・2キロと14分ほど短縮される。

我々も国道45号を使って津軽石や山田方面に向かう場合には、

花輪地区から根井沢地区を通って大回りしていたが、これでかなり利便性が良くなる。

小山田橋付近の交通混雑の緩和にもつながるだろう。

あとは、小山田橋と花輪橋の間にもう一つの橋が必要になってくるが、

いずれ将来の三陸縦貫自動車道の一歩が見えたものと歓迎したい。


帽子投げ

2010-03-16 15:33:46 | Weblog
卒業式では、その学校に応じて様々なセレモニーが行われることも少なくない。

昨日は宮古海上技術短期大学校の第1期生の卒業式。

式典を終えたあと校舎正面玄関に集まった卒業生29人は、この学校の恒例行事となった帽子投げを行った。

リーダーの合図のもとに「ごきげんよう」との大きな声で、

青空高く帽子が舞い上がり、卒業生たちは学び舎に別れを告げた。

帽子投げは防衛大学校での行事として有名だ。

防衛大学校の「帽子投げ」の伝統はアメリカの陸軍士官学校「ウエストポイント」で行われているのを真似たものといわれている。

もともと卒業式での「帽子投げ」は、イギリスの大学で続いていた伝統的光景であり、その伝統がいろんな形で広がったものと考えられている。

宮古でのものは数年前からの海上技術学校(現短期大学校)となってからのようで、歴史的にはまだ浅い。

しかしながら、海の厳しさを学んだものにとっては、達成感とか開放感といった感情が組み込まれた儀式でもあり、見ている方も熱くなってくる。

「ごきげんよう」

新たな船出を応援したい。

卒業

2010-03-13 15:33:17 | Weblog
本日は某中学校の卒業式。

学校評議員を行っている関係で、毎年参加している。

長男、長女が卒業してからもう10年を超えたが、自分の子どもたちがいなくても

式はいつでも感動的だ。

卒業生、在校生たちが歌う合唱にいつものことながら目頭が熱くなる。

校歌もとてもいい。

これからの子どもたちの夢は限りないものだ。

その翼を大きく広げた旅立ちにあらためてエールを贈りたい。







青春回帰

2010-03-09 10:35:28 | 風待ち談話
今夜から明日にかけて大雪となるようだ。

弥生3月といえども、まだまだ春は遠い。

明日は市内各所を一日かけて回るため、ちょっと大変だ。


さて、最近は団塊世代の青春回帰という言葉がやけに身にしみるようになった。

自分はその世代を構成する一員ではないにしろ、そこに近いところにはいる。

それだけにそこに近づいていく時間と今を離れて行く時間に妙に心が揺れ動く。

だからこそ自分にとっても青春回帰は必要なことでもあり、

人生を楽しむためにも忘れてはならないものだ。

そんな自分が唯一青春回帰する時間は車の中。

昔懐かしい音楽、特にフォークソングを車の中で聴く事。

わずかな移動時間の中で聴く青春音楽。

昔を思い出しながら口ずさむことで、

それがストレス解消と明日への活力につながっていく。

よし、今日は誰の曲でいこうか。。。。



昭和8年の津波

2010-03-03 16:30:06 | まちネタニュース
昭和8年3月3日、午前2時30分頃に起きた地震によって、当地方は未曾有の津波惨事となった。その時、襲った津波の高さは10m。
もっとも被害にあった田老町は、数戸の民家と高地にある役場、学校、寺院を残すだけでほとんどの町が流失した。

うず高く積まれた家屋の破片と数百の死体をながめた2000余の生存者は不帰の客となった家族と明日の生活を思ってただ自失するだけだった。

港は流木の山、まちは一夜にして荒野、自然の暴威はあまりにもむごかった。
情報や防災対策も何もない時代。人々は地獄の苦しみを味わった。

あれから70余年。
奇しくも先日の大津波は、本当に忘れた頃にやってくるという教訓だった。

本日予定されていた津波避難訓練は中止となったが、またいつ来るとも分からない津波にこれからも我々は対峙していかなければならない。

チリと津波はこの地方にとっては縁が深い。
本日は、日本の防災計画を研修するため来日していたチリの関係者5人が宮古・田老を訪れ、防潮堤などの視察を行った。
母国の被害を心配しながらも、国の復興と防災のためにと先進地の計画を真剣な表情で学んでいた。

津波その後

2010-03-02 08:23:16 | Weblog
人的な被害はなかったものの、やはり漁業施設には大きな影響があったようだ。
養殖施設が流されたりと。。

宮古湾内でも大きな潮位の変化が観測されたが、うねりのような波が押し寄せるというものではなく、水位がわずかな時間に上昇するという津波のようだった。
ハーバーでも約1mほどの変化があった。

国道45号線も閉鎖されたり、さながら有事の状況のような緊迫感があったが、まずは大事に至らなくてよかった。

3月3日は津波避難訓練の日。今回の津波を教訓にまた防災に備える意識が高まっていくのではないだろうか。

本日は雪。
3月に入ってもまだまだ寒さは続くようだ。