サモワールを囲んで

日本ユーラシア協会愛知県連ブログ

NORIKO学級 -ウズベキスタンの小さな日本語学校

2013年11月25日 | ロシア語サロン
11月17日のロシア語サロンにはウズベキスタンの方がお二人来てくださいました。
ガニシェル・ナジーロフさん(左)と ディロラ・マンスロワさんです。

お二人はフェルガナ盆地の南部、キルギスとの国境沿いにあるリシタンという小さな町から来られました。
この町でこの夏ボランティアの日本語教師をして最近帰国されたのが羽渕桂さんです。去年ユーラシア協会
愛知県連の講座でロシア語を勉強していた彼女がこのお二人を連れてきてくださいました。

羽根渕さんとリシタンの子供たち。


羽根渕さんが日本語を教えていた学校が「NORIKO学級」です。


先日のサロンで ナジーロフさんからこのNORIKO学級についてお話を聞きました。
ソ連が崩壊し1992年ウズベキスタンが独立国となると 日本はいち早く独立を承認し大使館をおくことに
なり、初代の大使として赴任されたのが孫崎 享(まごさき うける)氏でした。(現在は外交評論家と
して有名ですね)
孫崎さんは石川県小松市の出身で九谷焼など焼き物に興味があり、陶器の町として有名だったリシタンを
見学に来られたのが日本との交流の第一歩になりました。彼を通じて石川県の陶磁器業界との交流が
始まり、ナジーロフさんのお兄さん(陶器職人)は来日して研修を受けることができました。
さらに小松市を本拠地としていた建設機械の会社コマツもフェルガナ地方に進出、エンジニアとして
赴任されたのが大崎重勝氏でした。ウズベク人が大好きになった彼は子供たちのために何かがしたい
と夫人と共に無料で日本語を教え始め、退職金を投じて小さな日本語学校を設立しました。これが
「NORIKO学級」です。NORIKOは奥様の名前だそうです。

残念ながら大崎氏は2005年に亡くなられましたが その意志を継ぐサポーターに支えられ
無料で子供たちに日本語を教える活動は続けられて10年になります。卒業生は日本語
弁論大会で常に上位を占め、日本に留学したり、日本関連の仕事についている人も多い
とのことです。

日本語を学ぶ子供たち


今では「地球の歩き方」にも載っている「NORIKO学級」。大使館の方からバックパッカーまで
先客万来のようですが 子供たちと日本語で話してくれる人は大歓迎とのことです。

羽根渕さんのお話ではリシタンの人たちは みんな「こんにちは!」と日本語で挨拶してくれるそうです。
こんなかわいい子供たちに会いに行きたくなりますね。


ナジーロフさんは現在この学校の校長先生です。日本語もとてもお上手でした。



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