第1テサロニケ2:4
『私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。』
同じ働きをしても神から受ける評価は全然違います。
また素晴らしい働きをしても、まったく評価されない時があります。
気の毒な人たちがいました。
パリサイ人たちはまったく評価されなかった人たちでしたが、彼らよりももっと気の毒な人たちがいました。
マタイの福音書7:22-23
『その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』』
彼らの問題は何だと思われますか?
その働きを、誰を喜ばせるためにしたか、です。
神を喜ばせるためにしたならば、神が知らないわけがないです。
神はしっかりと覚えて冠を用意したでしょう。
しかし人や自分を喜ばせるためにしたならば、主の名を借りて自分たちが利益を独り占めしたので、詐欺師みたいな者になってしまいます。
ですから厳しいことが言われました。
伝道も奉仕も、教会や牧師や人を喜ばせるためにしたならば、神はそれを喜びません。
まず神を喜ばせることを目標にしないといけないです。
【祈り】
主よ。人や自分のことが先になることもあります。気を付けます。
【聖句をノートに書きましょう】
-主のために-
- ガラテヤ1:10
- ピリピ1:21
- 第1歴代誌28:9
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