ハバクク書3:16-19
『私は聞き、私のはらわたはわななき、私のくちびるはその音のために震える。腐れは私の骨のうちに入り、私の足もとはぐらつく。私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう。
そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。』
必要なものが満たされ、自分の願いが叶えられた時だけ神様に感謝するのは、条件的な感謝です。
そして辛いことが続くと、神様につぶやくことが多いです。
その姿はイスラエルの民が40年間荒野を通った時にいつも見られました。
祝福されたら感謝、何もないとつぶやきました。
みなさんはどうでしょうか?
条件なしにいつでも神様に感謝をささげていますか。
それとも条件的な感謝ですか。
条件的な感謝をする人はこのようなタイプです。
イエス様が種まきのたとえで語りました。
マタイの福音書13:20-21
『また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。』
立派な信仰の持ち主はいつも神様に感謝をささげます。
それを当然なことだと思っています。
絶えず主に感謝のいけにえをささげます。
環境や条件が変わっても主は永遠に変わらないからです。
そして主に信頼する者を永遠に守って下さる神様ですので、それを信じて感謝をします。
【関連聖句】
エペソ5:20
『いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。』
《 3分バイブルボイス 》
【天国・地獄】地獄は悲惨な場所:詩篇116編