今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

人につまずきを与えない

2018-01-21 00:01:37 | コリント



第1コリント8:8-9

しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。

 

人と直接かかわりを持たなくても、人に不快感を与える行為はたくさんあります。

本人はまったくそれに気づかないですね。

 

自宅から教会に向かっていく時に、公園の前に立ってたばこを吸う人がいました。

その人は今まで何回も見かけたこともあります。

公園前のマンションに住む人です。

 

自宅ではたばこが吸えないのか、いつも公園がある所でたばこを吸っています。

とても迷惑です。

 

50メートル離れたところでも、たばこの臭いがしますし、公園には小さい子どもも多いので、本人は外で気持ちよく吸っているつもりですが、周りはみんな迷惑しています。

誰も何も言わないからと、その行為が正しいわけではないです。

 

面と向かって言いたくても言えないことがたくさんあります。

 

ですから私たちは行動する時に、

それが人の迷惑になるのか、または人につまずきを与える行為なのかを考える必要があります。

 

昔の人たちはそのことをもっと考えていましたが、今の時代の人々には、この配慮が本当に足りない気がします。

もっと他人に対する配慮を心掛けたいです。


【祈り】

主よ。自分さえ良ければではなく、人にも良いことが出来る人間になれますように。


【聖句をノートに書きましょう】

-つまずき-

  • 第1コリント8:13
  • 第2コリント6:3

 

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このことは主の栄光のためのことなのか

2018-01-20 00:01:08 | コリント



第1コリント10:31

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

 

主は私たちが何かをする時、また決断が必要な時に、失敗しないための基準をここで教えて下さいました。

 

すなわち自分がしようとすることが、神の栄光になるのかを考えなさいと主が語りました。

 

皆さんはそのようにしていますか?

 

私たちが自宅でご飯を食べる時に、これが神の栄光になるかどうかを考える必要はないです。

しかし、もし誰かに招待されたならば、考える必要があります。

 

政治家にわいろを贈る人は高級な店に人を招待します。

もし何も考えず、食べるものに心が誘惑されて行くならば、後にそれが大きな問題にもなります。

 

これはキリスト教の聖会でも実際に行われてあります。

もし牧師がいつも金持ちの人とホテルのレストランで食べるならば、金のない信徒たちがつまずかないでしょうか。

またクリスチャンが大酒飲みならば、神の栄光になるでしょうか。

 

ものごとの判断が難しい時には、これが果たして神の栄光になるのかを真剣に考えてみて下さい。

すると答えが見えてきます。


【祈り】

主よ。肉の欲におぼれて神に恥をかかせる者になりませんように。


【聖句をノートに書きましょう】

-栄光-

  • ヨハネの福音書11:4
  • 使徒の働き7:55
  • 第1テモテ1:17

 

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イエス様ならばどうするのか

2018-01-19 00:03:32 | ピリピ



ピリピ3:10-12

私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、

どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。

 

クリスチャンになって変わらなければならないものは色々ありますが、その中の一つは価値観が変わらなければなりません。

信じる前は世の価値観を持っていました。

その価値観に基づいて物事を決めました。

 

しかしキリストにあって新しくなった人には、新しい価値観が必要です。

しかしそれはどこで得るでしょうか?

 

キリストから得ます。

キリスト以外から選んだらいけないです。

 

使徒パウロは、新しい価値観を得るために、キリストの中に入りました。

同じ立場になって、キリストが選んだものを選びました。

 

キリストの苦しみに預かることも、まったく恐れませんでした。

むしろ苦しみを味わうことで、キリストの苦しみに共感しました。

 

相手を知るための一番良い方法は、相手の立場になることです。

キリストのための苦難は絶対嫌だと思う人は、キリストの苦難を心で感じる事は出来ないです。

 

パウロは自分をキリストの立場においてキリストが選んだ道、決断をそのまま自分のものにしました。

ですから自分の十字架を負ってキリストに従うことが出来ました。


【祈り】

主よ。キリストが歩んだ道を歩みながらキリストに見習いたいです。


【聖句をノートに書きましょう】

-キリストの歩み-

  • マタイの福音書4:17
  • マタイの福音書9:35
  • マルコの福音書10:45

 

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信仰が祝福になるためには

2018-01-18 00:00:27 | ガラテヤ



ガラテヤ3:9

そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

 

神は信仰ある人に多くの恵みと祝福を約束しました。

そしてヘブル11章では、信仰ある人たちがどのような祝福を受けたかを紹介してあります。

 

彼らが受けた祝福は、世が与える祝福よりも豊かで永遠の祝福でした。

罪の赦しだけでなく、神の子になる特権も受けました。

 

信仰によって大きな祝福を受けましたが、どのようにしたら信仰が祝福されるでしょうか。

それには、まず信仰のこころが必要です。

 

心に神に対する確固たる信仰ある人が、救いの恵みを求めます。

 

永遠に死ななければならない罪人である人間にとって、一番の祝福は罪からの解放であり、滅びから命に移される救いです。

また信仰の行いが伴う時に、その信仰が祝福になります。

 

行いのない信仰は、不安定で偽りで死んだ信仰です。

真実で完全な信仰ならば自然に行いが伴います。

 

信仰の行為を見せる時に、神も具体的にその信仰に祝福を与えます。

さらに信仰に望みが伴う時に祝福がきます。

 

ヘブル11:1

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。


神の約束に望みを抱いて神を信じ続ける時に、神は必ずその信仰に報いて下さいます。

 

ヘブル4:3

信じた私たちは安息に入るのです。



【祈り】

主よ。人生の最後まで信仰を持ち続けることが出来ますように。


【聖句をノートに書きましょう】

-信仰-

  • マタイの福音書17:20
  • ルカの福音書17:5
  • 使徒の働き16:5

 

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アブラハムは信仰の父

2018-01-17 00:03:49 | ローマ



ローマ4:16

そのようなわけで、世界の相続人になることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

 

アブラハムはどのようにして信仰の父になったのでしょうか?

 

彼はモーセより以前の人でしたから、具体的な律法は知りません。

 

またキリストの犠牲による救いの計画も知りませんでした。

しかし彼がどのようにして義なる人になったでしょうか。

 

義なる人とは、神がその信仰を認めたことを意味します。

それは彼が絶えず神を信頼したからです。

 

すなわち自分の判断を保留し、すべてを神にゆだねる信仰と信仰の行為がありました。

どこに行くのかも知らず、神が出て行きなさいと言われた時に、とにかく出て行きました。

 

そして息子イサクを神にささげなさいと言われた時も、そのまま従順しました。

 

アブラハムの従順は個人的な信仰でしたが、神は彼の信仰を未来のための一つのサンプルとして私たちに示して下さいました。

 

それによって私たちがアブラハムのように神を信頼する信仰を持つことが出来るのです。


【祈り】

主よ。信仰によって祝福される人も幸いな人ですね。アブラハムを見習います。


【聖句をノートに書きましょう】

-アブラハムの信仰-

  • 創世記12:1-3
  • ガラテヤ3:6-9

 

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