ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

給与が下がると達成感が上がる

2024-09-15 10:53:41 | Office
「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」を、Audibleで聴いている。

仕事の達成感と給与は反比例する

という理論がある。

低い給与の仕事は現場に近い。
行った仕事の結果がすぐに反映される。
例えばトイレ掃除の仕事。
きれいにすれば結果がすぐに分かる。達成感はダイレクトに感じられる。
ただし不衛生なところを掃除するので、自分自身の安全衛生は低い。

ごみ収集の仕事や看護師の仕事を数日間ストライキされれば、街はゴミだらけになるし、病院は成り立たなくなる。
本来そのような必要な仕事こそ給与が高くて然るべきだが、現実ではそうではない。

どちらかといえば、そのような人々を管理する立場の人間に高い給与が支払われる。
ところが、管理職の仕事の成果は感じられにくい。
下手な管理をするぐらいだったら、何もしないで現場に任せてほしいときすらある。
仕事の達成感がない上に、必要性すらなくなってくる。

ブルシット・ジョブでは、「仕事の達成感と給与は反比例する」という。

この理論が正しいとすれば、給与が0のボランティアは最高の達成感を得られる。
数学的には0で割ることはできないけれど、しかしながらほぼ無限大の達成感になる。
たしかに災害ボランティアへの参加は、とんでもない達成感があった。
ボランティアで収入もないが、自分からの持ち出しのほうがある。
どちらかといえば、給与はマイナスになる。

私自身は、反比例よりも、「収入が低いほど達成感が高くなる」でよいと考える。

この考え方に、「遊び」を含めることができる。
遊びは自らお金を支払う。
有料オンラインゲームでもいいし、スキーやゴルフや日曜工作でもいい。
趣味や娯楽にお金を払い、実行する。
達成感が発生する。
お金を多く払う遊びほど、達成感が高いかといえばそうでもない。
どちらかといえば、低い支出で高い労力を費やし、高い成果を得るところに達成感が存在する。

収入か支出0近傍で達成感が最大になる

と言えるかもしれない。

弁護士は給与が良いが、達成感があるかといえばそんな気はしない。

医者は現場に近く高収入だが、本当に現場に率先して出ていく医者というのも少ない。

技術も必要だし知識も必要だ。

高い収入の管理職は、仕事が社会に及ぼす影響が、プラスではなくマイナスであるともいう。

つまり、いないほうが、やらないほうが、社会にとって有益と言える。

全員雇用前提の社会主義では、仕事を行わない人に、不要な仕事をアサインして働かせようとする場合も多く見かける。

サボる人が出てくるわ、仕事がどうしてもやりにくい障がいを持っているわけでもないのに、自分がやらず他人に行わせる人もいる。

達成感を感じられないから、成果欲求がどんどん高まっていく。
達成できてないのに達成を求め、いつまでたっても商品が出来上がらず、赤字となっていく。


すべての労働災害は人災

2024-06-19 22:17:41 | Office
当たり前ですが、忘れがちなので再度。

すべての労働災害は人災です。

そもそも労働は、経済活動の一つと定義できる。

経済活動は基本的に利潤追求。

利潤を追求する中で、手を抜く。

手を抜いて事故が起こる。


正規の手順があればまだいいほうで、大抵の現場には正規の手順なんてものはない。

なんとなくイメージで覚えていたり、経験の中で培った手順をそれぞれ持っている。

様々な試行錯誤の末、文字通り間違えて身につけていく。

手順は、いつの間にか、それぞれの人が身につけるもので、そこに正規の手順などない。


どんなに先進的な研究を行っていたとしても、逆に先進的で誰もやったことがないから、正規の手順はない。

当然、事故が起こる。

ロス・アラモス研究所の、デーモン・コア事故などは最悪事例だけれど。


プルトニウムの半球の間にマイナスドライバーを挟む。

誤ってドライバーが抜ければ、臨界反応が起こり、付近にいた人は放射線被曝して死んでしまう。

最悪の場合、核爆発が起こる。
(もっとも、同時に同じ力でプルトニウムをぶつけ合わせる爆縮レンズによって、原爆の爆発力が実現されるのだけれど)

今となっては当たり前の危険な行為だけれど、先進的すぎる実験の中で、その危険性を十分把握していたかはわからない。


最悪事例は最悪事例として、世の中の仕事ではこのようなことが多く潜在する。

すなわち、
・知らない
・教えない
・やらない
では、当然事故は起こる。

そもそも、人は万物全てを知らないし、これからも知り得ることはない。

月の裏側に降り立つことができなかったように、太陽の表面に降り立って匂いを嗅いで生きて帰ってくることは不可能でしょう。

シュレーディンガーの猫のように、最終的に観察しない限り、存在するかどうかは不確定なのです。

直接観察できない現象は、別の手法で観察して推測するしかない。

同様に、地球の中心の匂いも知ることができない。

このように、すべてを知ることができないのだから、人類には永遠に知らないことが存在する。

1年先の自分の正確なGPS座標を知ることもできない。
そもそも1年後生きているのか?


そのようなわけで、知らなければ教えることもできないし、対策を実行することもできない。


しかしながら知識があっても災害が起こる。

人は間違えるし、手を抜くから。


そもそも人類が知り得る範囲の原理で対策しても事故が起こるのだけれど、さらに人は間違える。

人が間違えても大丈夫なように、間違えても安全を保つ、フェイルセーフの考え方もあるけれど、考えて対策していなければ防げない。

良くも悪くも、全ての事故は人が行動したり判断したりして起こるので、「確実な安全」など存在しない。


全ての労働災害は人災。
自分起因だけでなく、他人起因、国家政治起因など、人の行動が災害になる可能性をはらむ。

だから、営利活動たる会社での災害は、人起因なのです。

芸術家技術者

2024-03-14 09:54:58 | Office
150社。

50歳で転職活動をして、派遣ではなく正社員。そのような前提で活動して既に6か月が経とうとしている。

エージェントなどを駆使して、ハローワークや直接求人応募なども含めて、応募企業は150社を超えた。


なぜ派遣ではなく正社員にならなかったのか?
それだけ大変だからだと結論できる。
わざわざそんな大変なことを好き好んでやる人間はいない。

針に糸を通すより難しい、たった0.6%の確率に人生をかけるのは、賢くない。


つまり賢くないからできる。
独り身だからできるとも言える。


そんな中やっと採用企業が出つつある。

自分自身も変えるし、社会も分析するし、勉強もする。

もちろん、独立自営も考えてその手段を実行するための方法も調べるし、打診もする。


私の結論は、私は営業に向いていない。
営業できないことはない。
しかし本質を撃ち抜く開発を行う前提の営業は、相当人を選ぶ。
世の中そんなにメンタルが強い人もいない。


それと、開発技術者は、芸術家であるということ。

優れた芸術家は、変人が多い。
同様に、優れた開発技術者は、変人が多い。

様々な手法や技術を広く深堀りして理解する。
そうすると常人の理解できる範疇ではなくなる。
それだけで変人なのだが、コミュニケーションを犠牲にするとさらに変人度が増す。


経済学・経営的観点からすると、仕事は分業化し、属人化を廃して、誰でも継続できるようにするべきだ。

ところが、開発業務そのものが芸術的であり、それは当然属人化する仕事そのものなのだ。

「誰の手による開発か?」
が、重要になる仕事だ。

経営的には、素晴らしい開発を継続するためには、そのような芸術家肌の小難しい人間を大量に飼い馴らす必要がある。

とてつもなく大変な仕事だ。

いわばその一人だったわけで、その人間が一般企業に入社しようとすれば当然大変になる。


開発の組織化手法の一つとして、MBD(モデルベース開発)がある。


リンク先ではソフトウェア開発が代表例として挙げられているが、機械系物理系開発でもMBDが用いられている。

検証の自動化を行うことによって、開発後半の速度を上げるのだが、上流の開発技術者の知識能力があることが前提となる。

素人が上流プロセスを行うと、逆に検証プロセスが増えて複雑化する。

そうすると、これが「アジャイル開発だ」などと言い出したりするが、MBDはいわゆる上流から下流に流れるウォーターフォール開発であり、アジャイル開発ではない。

アジャイル(Agile 素早い、敏捷な)開発は、仕様が固まる前に実行テストする開発手法であり、MBDとは真逆の開発手法になる。

この根本矛盾がわからない限り、開発は遅々として遅れる。


MBDではAI開発は成立しないと書かれているが、それはその通りで、不明点が多く、検証プロセスの設計もできないような開発は、MBDに向かない。

水素燃料電池技術開発などにおいては、そもそもシステムの物理モデルが構築できていないのだから、モデル化そのものができないため、MBDに乗らない。

事象のモデル化が出来ていなかったり、わからないシステムの開発は、モデル化できないのだ。


MBDに向いていない開発として、先日分析したトヨタの特許として、「モーター制御回路のスイッチングを制御して、心地よい和音を奏でる」という開発内容があるが、これに関しては、音楽感性的知見や経験や、それを適用しようとする発想そのものがなければ、開発しようとも思わない。

特許出願公開番号:特開2018-26931


これを見ても、開発技術者はほとんど芸術家であって、それを経済的尺度、経営的尺度で測ることは難しいことがわかる。

とはいえ、開発も経済活動のひとつなので、収益も考慮する必要がある。


私自身は、貧困な中でモノを作る、ストイック・エンジニアなので、これもまた異色ではある。

地道な芸術的改善の組み合わせを行いながら、時間的費用的視点を持って、費用期日目標に合わせたアウトプットを出す。

単純に無駄な仕事をしたくないのだ。

工業高校的現場の観点から、研究開発上位の新規開発の観点両方までを持って、経験しているという、特異な人間なので。

まぁ、それだけ見ても就職は難しいことはわかりますよね。

MBAを取る動機

2024-03-11 09:58:32 | Office
先日会社の経営者と話して、そんなものかと思った出来事。


理工系の大学に入って、勉強しなかったので、MBAを取った。


これはどういうことかと言うと、その人は理工系大学の航空宇宙工学科に入ったけれど、しっかり勉強しなかった。

だから技術者にはならなかったし、なれなかった。

自分の将来のために、MBA(経営学修士)を取って経営に参画することにした。


技術を真面目に追求することができないということは、ある意味経営に向いているとも言える。

長期的かつ真面目な深堀りは、どちらかといえば技術開発に向くが、経営的判断には向かない。


技術的深堀りができる特性を持っているのなら、それをさらに深堀りして活かせばよいという考え方もある。
得意分野を伸ばす方法だ。

しかしその場合、悪い仕事でもうまく遣われてしまうという問題もあって、それを防ぐためにも大局的かつ政治的なコントロールが必要になる。


そんなわけで、現在私は社会経済を学んでいる。


現在能力の深化でなんとかなるのであれば、新たなことを勉強する必要もないのだけれど、人として生きている限り万能ということはない。

万能な人は存在しないし、そもそも人類は全知全能でも万能でもないのだから、日々改善し変革成長していく必要がある。

現在の自分の能力が足りないと実感することで、新しいことを学んでいく。

技術課題と対峙した際に、技術を極めようとするか、政治的に対処しようとするかという手段を選ぶ必要も出てくる。


自分は技術の深堀りでなんとかなっていたのだけれど、技術だけですべての対策ができるとも思ってはいなかった。
だから政治経済を学ぶ必要も感じていたし、そのために時間と費用を確保する必要もあった。

技術的対策が忙しくなると、時間の確保はおろか、体力を確保することも難しくなる。

ある意味言い訳だけれど、別分野を学ばずに済むぐらいの技術力を身に付けてもいた。


自分の適正な給与はいくらなのか、自分の適正な肩書は何なのか、仕事や給与交渉をするにあたって必要な情報なのだけれど、実際のところこれを明確化するのは骨が折れる。

厚生労働省が各職業の平均給与を統計算出しているので、それを用いて給与を計算する。

同一価値労働同一賃金計算シート

同一価値労働同一賃金計算シートです。※「ファイル」→「ダウンロード」→「Microsoft Excel(.xlsx)」の順に選択し、エクセルファイルをダウンロードしてください。


業種別平均給与を計算する方法を明確化するのもけっこう大変だったのだけれど、さらに大変なのはこれを周知することではある。

せっかく国家公務員として、厚生労働省の官僚になった人たちが、日々苦労して算出した統計データなのに、有効活用しないのはもったいないでしょう?


ところがこれは技術屋的なまじめな考え方で、一般的な人は、とりあえずゴネる。

証拠や根拠を明確化するよりも、理不尽であろうとも、ゴネて自分の意見を通す。

一般的な人々の社会的なやり方は、論理的整合性云々よりも、ゴネたり、脅しすかし褒めてでもやらせてしまうというもの。

そこまでするまでもなく、普段の日常生活では、ちょっとした笑顔や清潔感や挨拶、無駄な発言はせずに簡潔に応答するなどを心がけるだけで、かなり生活はしやすくなる。

それだけで買い物の会計が楽になる。

論理的かつ地道に生きるか。
感情的かつ即興的に生きるか。


両方あるといいけれど、そう簡単でもないので。


音楽のかっこいい即興演奏が成立するのは、地道な練習や音楽理論の探求をしているからではある。
その積み重ねが辛く苦しいのであれば、練習も勉強もしない。
音楽が楽しいから練習する。

知識技能にしても、面白いからやるというのが最大のモチベーションだと思う。

それと、必要であると実感してその環境があるのだったらやりますよね。

夢を持つというのは、望む環境を作ったり、望んでいた環境が巡ってきたら、見逃さずに行うための準備や心がけとも思います。

逆境が視点を変えるためのきっかけで、それがとんでもないメリットの場合もあります。
いわゆるピンチはチャンス。
それを見逃さないようにするには、普段から様々な対策を練っておく必要を感じます。