歳をとってできなくなるというのは、ある。
無理をすると、何が起こるかを知っているためでもある。
3日不眠不休で働くことはできる。
しかし、それによりまともな思考ができなくなるし、体調も崩し、かえって破壊的な失敗をすることを学んでいる。
全力疾走することもできるが、それによりアキレス腱を切ったり筋肉痛になったり骨を折るなど、多大な損害を被ることも知っている。
激しく主義主張することもできる。
しかしそれにより手ひどいバッシングをされることや、多くの責任を取る必要ができることを知っている。
努力して報われないことや、他人を信用して裏切られることや、他人の手ひどいミスに巻き込まれるなど、それにより疲れたり、失望することを知っている。
そんなデメリットは当然あり得るのだから、無理できるように備えて、頭の柔軟さを鍛え、集中力を鍛え、体を鍛え、リーダーシップや実行力を鍛え、健康を維持する努力を怠らなければよい。
ところが日々の流れや大衆の流れに押し流されて、毎日を過ごしてしまう。
家に帰ってテレビを見てのんびりしてしまう。
ゲームをしてしまう。
酒を飲んで寝転がってしまう。
パチンコに興じてしまう。
読書をして見聞を広めたり、
資格試験のために問題集を解いたり、
作品づくりに没頭したり。
一生を充実したものに変えるためには、他人の助けや他人からの働きかけを待ってもやってこない。
自分を変革する必要がある。
流れる水は同じ水にあらず。
私という個人は私でありつつ、日々変わっている。
日々衰えていくこともできるし、日々新しい見聞を広げることもできる。
堕落することもできるし、進化することもできる。
とはいえ、さすがに先週は充実させすぎたか。