ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

期待値のズレ

2021-06-26 11:36:28 | Human
本を読んで賢くなろう。
読むだけじゃだめで、考えて実践する。

そんなわけで、「アサーティブ」から。

家族や友達というのは、自分と一緒にいる時間が長いので、
「言わないでも自分の気持ちや考えをわかるはず」
「自分が何を言っても許してくれるはず」
といった期待値が大きい。

子どもが親に対して、甘えてもよいと考え、かなり理不尽なことを平気で言うように、親もまた子どもに何をしてもいいといった価値観を持って接する。

これもまたその家庭環境にもよるけれど。

本当は反抗期などの自立過程でその環境を変える必要があるけれど、それを経てないと(それを経ても)、それぞれの相手に対してのモラルや立場を尊重せずに、思考的にも生活的にも干渉してしまう。

自分がクライアントで、相手がカウンセラーのように、どんなに理不尽でも、何を言っても良い相手だと考えてしまう。

ま、実際はそんなことはない。

それは友人関係や職場関係でも起こる。

自分は付き合いが長いからとか、上司だから部下にどのような指示をしても拒否されないとか、結構なムチャが言える。

これもまた、実際はそんなことはない。

いじめはこんなところからも生まれるのだろう。


それぞれ個別に生きていて、意思を持っていて、それぞれの立場や生活があるので、すべての言動を許せるほどの許容力はない。

期待値のズレですね。

得てしてこれが人間関係の深刻なトラブルを起こす。

相手の無茶な要求に、感情的な拒否反応を示すと、それを受け入れる期待を持っていた相手がさらにヒートアップし、感情的に返す。

それが溜まり溜まって、さらなる問題を起こす。


どうすればいいか?

別に真剣に返す必要はないのですよ。

駅で絡んでくる酔っぱらいに、わざわざ本気で意見したり、怒ったりしても、状況は良くなるどころか悪くなる。

放っておいて関わらない

残念ながら、対応としてはこれとそんなに変わらない。

相手を変えようとしない。
聞いているふりをして受け流す。
特に反応しない。
とりあえず、逃げる、立ち去る。
「ちょっと他の用事があるので」などと中座する。
「うわ、びっくりした」と自分の感情を素直に表し、困っていることを伝える。

そんな対応方法はいくらでもある。

最悪な結果をもたらすよりも、そこで失礼とか思わずに、最善の対応をすると考える。

それは失礼ではないし、自分の決めたことには自分で責任を持つしかないし、他人は干渉できない。


「空気を読む」より上の、「大局と先を読む」。

究極の自己主張(アサーティブコミュニケーション)となる。


そんな認識。
コメント (1)
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悩みがほとんど解決?

2021-06-24 09:23:36 | Human
アサーティブ・コミュニケーション、アサーション・トレーニングを学び始めた。

これまでの人間関係における、生きづらさ、やりにくさが、かなり改善される気配。

assertiveは直訳すれば、

形容詞
1自信のある,自我の強い
2断言的な,断定的な,独断的な
(出典 weblio)

という意味になるのだけれど、日本語のニュアンスとはまた違い、

・自分の主張を通すとともに、相手の主張も通す
・感情を感じて必要に応じて出す(全部出すわけでも、全く出さないわけでもない)
・すべてを言う必要はなく、言わないことも選択できると認識する
・自分の意思決定には他人は干渉できない。代わりに自分で責任を持つ

など。
全く合理的で戦略的なコミュニケーション。


とはいえひねくれものなので、他人の意見を聞かないという選択肢もあっても良いだろうなとも思う。

独自の理論構築をするとき、他の情報を一旦シャットアウトする必要もあるので。

それもまた選べると。


色々と学んでいます。
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PC直る

2021-06-23 21:42:44 | Technics
PCがブルースクリーンエラーで止まる現象。

グラフィックボードのドライバーをインストールしたら直った。

思いっきりファンをつけて冷却対策したけど、そこじゃなかったらしい。


まぁ冷やして悪いことはないからそれはそれで。
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労働コンプライアンス

2021-06-22 10:43:23 | Office

現在、労働法を調べている。

 

いやもうね、世の中で、少なくとも日本で、これほど守られていない法律もないのだろうな。

 

チャールズ・チャップリンの、「モダン・タイムス」は、Wikipediaではこのような概要が示されている。

 

資本主義社会や機械文明を題材に取った作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。自動給食マシーンの実験台にされるシーンや、チャップリンが歯車に巻き込まれるシーン、ラストのチャップリンとヒロインが手をつないで道を歩いてゆくシーンなどが有名である。

モダン・タイムス - Wikipedia

 

文句も言わず、福利厚生を求めず、健康もいとわず、給与も請求せず、会社のため社会のために粉骨砕身で働き続ける。

 

一見美徳だけれど、約100年前の1936年に上映された映画と、価値観が変わっていないんですよ。

 

 

誰にだって、基本的人権が存在する。

性別、年齢、人種、宗教、LGBT関係なく、生きる権利がある。

 

日本国憲法第13条には、以下が示されている。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

労働法というのは、モダン・タイムスのように、一つの歯車や便利な道具として使われるのではなく、そもそも人が生きるために存在している。

 

生きるっていうのは、ご飯を食べたり、夜寝たり、笑ったり、談笑したり、ゆっくりとした休暇を取ったりするためですよ。

 

中性脂肪をひたすら溜めて、血尿を出し、酒の飲みすぎで肝硬変になり、親の死に目にも会えず、睡眠不足になり、交通事故を起こし、朝になって吐き気を催しても、別に行きたくもない同じ場所に、同じ時間、会いたくもない人間たちと会うために生きているわけじゃないんですよ?

 

そういったことを防ぐために、労働法は生まれたわけで。

 

労働法を知らないとか、民法を知らないとか、人生の大半を無駄にしているどころか、むしろマイナスしかないのではないかと思い始めている。

 

労働者も雇用者もどちらも。

 

法律っていうのは、わざと限定的だけどあやふやな文章で書いてあってですね。

ほかの法律や、法律で決められない、どうしようもない部分と干渉しないように書かれている。

矛盾が生じてしまうので。

 

文面を読むだけじゃなく、法律ができた背景や、実例や判例なんかを調べて、どうしてこのような文面になったかを理解できる。

 

そんなわけで、図書館などで本を借りて勉強していますよ。

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Lv

2021-06-20 09:56:14 | Human
1万倍の経験を数分や一時間程度で理解してもらうのは難しい。

大学一年生でも、高校一年生でも、中学一年生でもいいけれど、入りたての人が教職員の知識経験量を得ていることは難しいのですよ。

それでも社会経験のない教員よりも、波乱万丈の人生を送っている子供のほうが世の中を知っていたりするけれど。

波乱万丈の経験をしていて知識もある。


しかしながら、一年生並みの経験しかしていないのに肩書だけは得てしまった人にものを教えるのは、結構骨が折れる。

相手が自分を一年生だとわかっていればなんとかなるけれど、その自覚がなく、学ぶ気もない人を学ばせるって大変ですよ。

しかも時間がない。
一年もかけられない。

経験してもらえばわかるけれど、そんな手間暇もかけられない。

数分で片を付けるには、セミナー講師のような胡散臭いことをやらねばならんのか?

あれか?カリスマ的な?
いやだなぁ。結局自分で道を探して決めないとならないので、必ず先導がいるわけじゃないのよ。

これまでもそういう苦労をしてきた先人は山ほどいるとは思うけれど。


図書館でも行くか…
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