現在、労働法を調べている。
いやもうね、世の中で、少なくとも日本で、これほど守られていない法律もないのだろうな。
チャールズ・チャップリンの、「モダン・タイムス」は、Wikipediaではこのような概要が示されている。
資本主義社会や機械文明を題材に取った作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。自動給食マシーンの実験台にされるシーンや、チャップリンが歯車に巻き込まれるシーン、ラストのチャップリンとヒロインが手をつないで道を歩いてゆくシーンなどが有名である。
文句も言わず、福利厚生を求めず、健康もいとわず、給与も請求せず、会社のため社会のために粉骨砕身で働き続ける。
一見美徳だけれど、約100年前の1936年に上映された映画と、価値観が変わっていないんですよ。
誰にだって、基本的人権が存在する。
性別、年齢、人種、宗教、LGBT関係なく、生きる権利がある。
日本国憲法第13条には、以下が示されている。
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
労働法というのは、モダン・タイムスのように、一つの歯車や便利な道具として使われるのではなく、そもそも人が生きるために存在している。
生きるっていうのは、ご飯を食べたり、夜寝たり、笑ったり、談笑したり、ゆっくりとした休暇を取ったりするためですよ。
中性脂肪をひたすら溜めて、血尿を出し、酒の飲みすぎで肝硬変になり、親の死に目にも会えず、睡眠不足になり、交通事故を起こし、朝になって吐き気を催しても、別に行きたくもない同じ場所に、同じ時間、会いたくもない人間たちと会うために生きているわけじゃないんですよ?
そういったことを防ぐために、労働法は生まれたわけで。
労働法を知らないとか、民法を知らないとか、人生の大半を無駄にしているどころか、むしろマイナスしかないのではないかと思い始めている。
労働者も雇用者もどちらも。
法律っていうのは、わざと限定的だけどあやふやな文章で書いてあってですね。
ほかの法律や、法律で決められない、どうしようもない部分と干渉しないように書かれている。
矛盾が生じてしまうので。
文面を読むだけじゃなく、法律ができた背景や、実例や判例なんかを調べて、どうしてこのような文面になったかを理解できる。
そんなわけで、図書館などで本を借りて勉強していますよ。